第19話 交戦、そして出会い
第36新世界研修センターA棟第1エレベーター内。
非常階段から迫りくる足音に驚いた律子は、とっさにこのエレベーターに乗り込んでしまった。
しかも、このエレベーターはなぜか6階、13階、そして36階にしか停止しない仕組みになっていたのだ。
仕方がないので、最も地上に近い6階で降りることに律子は決めた。
後先考えずエレベーターに乗ってしまったが、6階に近づくまでのわずかな時間に律子はこれに乗ったことを後悔せざるを得なかった。
なにせ6階まで止まらないうえ、着いた途端にドアの向こう側に人がいる可能性があるのだ。
もし人がいたら、何をされるかわからない。こんな場所だ。言い訳が通用するとは到底考えられない。
しかし、律子は同時に不審な点も感じていた。このビルにはなぜなのか監視カメラらしきものが今に至るまで見かけないのだ。
監視カメラだらけならすぐに逃げるつもりだったが、ビルの奥に行っても監視カメラらしきものがまるで見当たらない。
ビル内を歩いている人には気づかれないよう隠して設置しているのだろうか・・・・・。
そうこう考えているうちにエレベーターは6階に着いた。
ドアがスムーズに開いていく。
どうか誰もいませんように・・・・・。
どうだ?
良かった!誰もいなかった!
律子はエレベーター内から左右をゆっくり見まわして誰もいないことを確認してから向かって左の柱の陰に隠れた。
6階は1階で見た案内板を思い出すと単に研修所としか書かれていなかった。見たところ学校の教室のような部屋が廊下を挟んで左右に位置しているのみで、一見したところおかしいと考えられる様子は今のところない。
しかし、一番奥の教室から何やら掛け声のような大きな声が聞こえる。
律子は気づかれないように教室を覗いた。
「私たちはいかなる過酷な労働も率先垂範して従事し、雇用主様の要求には無条件に服従し、情報の開示を求めず、権利を主張をせず、会社側の提示した労働条件および報酬に無条件にサインし、納税の義務を厳守し、労働組合を一切結成しないことをここに誓います!!」
スーツ姿の男女が直立不動で奇怪な宣誓文を読まさせられている。
教壇の上には、講師なのか教官なのかわからないが、指導しているであろう女性がいた。
「いいかお前ら。権利主張するなんてくそ生意気なことは一切思考の中から消せ!!」
その女性はものすごい剣幕で怒鳴り散らしている。教室はおろか廊下まで張り詰めた緊張感が伝わってきて、律子は一瞬びくっとした。
気づかれぬようにその場から離れ始めたその時。
運悪く、教壇上のヒステリックな女性と目が合ってしまった。
「おまえら!!そのまま精神修練読経を続けろ。脳細胞の奥まで染み込むまでやれ!!」
ヒステリックな女性は、ツカツカと甲高い靴音を立てながらわざとらしく教室の扉を大きな音を立てて乱暴に開け、廊下に出てきた。
「おやあ~、なにおしているのかなあ~木偶人形ちゃん。何を勝手に外うろついているんだよ!どこのクラスの奴か知らねえがさっさと教室に戻りな!!」
見かけはスーツ姿のOLといった感じの若い女性であるが、派手でどぎつい化粧に水商売の人がはくようなエナメルのブーツをはき、口調は極めてきつく、総じて人を見下した態度は素人目にも極めて不愉快だ。職業訓練などの講師というより漫画の世界などで出てくる強制収容所のサディスティックな女教官と言ったほうがしっくりくる。
「あなたは誰ですか!?いきなり人に対して暴言を吐くなんて!非常識ですよ!!」
「ん~?ハンドラーの言葉を繰り返す能のない木偶人形が何言ってんだよ!!!」
何を言っているのこの人・・・・・?ハンドラー?木偶人形?ここで何か講習を受けている人たちはみんな社会人か大学生風の人ばかりなのに何?
律子は場の状況が理解できなかった。教室内にいる人たちはごく真面目そうな背広姿の男女なのに、それを教壇からSMの女王みたいな頭のおかしい人が怒鳴り散らしながらおかしな文書を繰り返し読ませている状況?漫画や小説よりも奇怪な光景だと律子は思った。
「まだ生意気に自我を保っている奴がいたとは。ちっとお仕置きが必要みたいね!」
その女は何やら両手を重ねて奇怪な構えを作り、こちらに両手の掌を向けて何やら唱え始めた。
「深淵よりいでし業火の起源よ・・・。我にその炎を滅びの光として現世に現せ!」
その女が呪文らしきものを唱えた直後、重ねられた掌が花火のようにまぶしく輝くと目にもとまらぬ速さの閃光がこちらめがけて放たれた。
シュッ、ギュアアアアア!!
閃光は律子のすぐ横を通過した。そして律子の後ろの廊下にある白い柱、ちょうどビルの鉄骨のある部分の白い壁がガソリンをかけて燃やしたかのように黒焦げになっていた。
しかも閃光が通過した際はほぼ無音、通過した音は後から聞こえてくるほどの高速の閃光だった。
「今はわざと外したの。怖いでしょう?素直に言うこと聞くか、骨の髄まで焼却処分されるか、どっちか選びな!!」
恐ろしかった。
何なの?今のは?
手が光ったかと思ったら目にもとまらぬ速さで何かが横を通って気づいたら後ろの壁が真っ黒に焦げていた・・・・・。
これってファンタジー物に出てくる魔法の類じゃないの?
嘘だ、新世界の磁場には人間の頭脳や肉体の能力を向上させる効果はあると聞いていたけど、こんな魔法とか呪文とかが存在するなんて話は聞いたことがない。
「待ってください。私は故合って仕方なくここにきてしまっただけです。なんでいきなり攻撃するんですか!?」
律子は精一杯叫んだ。しかし、
「やっぱ生意気な欠陥品だわお前。返事は“はい”だ、お前らに許可されてる返事はそれだけなんだよ!!木偶は言い訳することなんぞ許されてねえんだよ!!そういう能書きをほざく生産性のない奴は跡形もなく消えな。来世はいい世界に転生すんだな小娘!!!」
再び女の閃光魔法が律子に襲い掛かる。
早すぎて避けようがない。
いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
律子に閃光魔法が直撃した瞬間だった。
先ほど壁を一瞬にして炭化させた魔法は、律子のすぐ手前で消えた。
律子は火傷の一つすら負っていない。
「はっ!?何お前?なんで殿上人様から授かった閃光魔法の直撃喰らって何ともないんだよ!?」
女は続けて3発ほど同時に先ほどの魔法を間髪入れず律子に放った。
結果は同じく、いずれも律子の手前で跡形もなく消えた。
えっ、魔法が消えたの?
「なんで消えちまうだよ!!わけわかんね!!」
女の口調は相変わらず乱暴の極みだが、その表情からは明らかな動揺が見て取れた。
「何の手品使ってんのか知らねえが、今度は外さねえ!!マジ殺してやる!!」
「いい加減してください!!!そんなことするなら私も容赦しません!!!」
律子は丹田に力を込めて、女を一喝した。
女は一瞬何かひるんだ様子だった。
「生意気言いやがって!!今度こそ死ね!!」
女は閃光魔法を最大出量で放った・・・・・。いや、放てなかった。
先ほどまで光輝いていた掌から閃光の光は一瞬で消えてなくなった。
「えっ、どういうこと?マジ殿上人様の魔法消えたの?」
女ははっきりと動揺している。
今がチャンスだ。
律子は脱兎のごとく女に向かって走り、見る見るうちに女との間合いを詰めていく。
「ケッ、魔法がなくてもこっちはタイマンはれんだよ!!小娘!!」
女は律子の顔面目掛けて右ストレートを放ってきた。
律子はそれを当たる瞬間にひねりを加えて威力を増した左腕の上段受けではじいた。
同時にその左手の掌底で女の鼻をめくりあげるように突いた。
「うぎゃああああああああああああああああ!!!!!!!いじいいいいいいいい!!!」
掌底突きで鼻尖をへし折られた女はもだえ苦しむ。
間髪入れず律子は相手との距離をほぼ間近まで接近し、四股の姿勢から右の肘打ちを女の水月に打ち込んだ。肘打ちと同時に右手の拳も女の顎にアッパーの要領で同時に決まった。
「ぶぐぅっ」
言葉にもならぬ言葉を発し、女はその場に気絶した。
受けは攻め。律子が空手で日ごろ習ってきたことが危機的状況を打破したのだった。
「ぐずぐずしてはいられない!早くここから脱出しないと!」
教室にはまだスーツ姿の男女が大勢いる。だが不気味なことに彼らは先ほど女から命令された文書をカルト宗教の信者のごとき雰囲気で黙々と読み続けている。
女が廊下で倒れていることにもまるで気にしている様子がない。そもそも気づいている様子がない。心を喪失した文字通り人形のような異様さがあった。
今は早くここを離れないと!
律子は非常階段から下に降りていったが、4階付近でまたしても下の階から警備員らしき声が聞こえてきた。
まずい!
律子はやむを得ず4階の非常階段ドアを開けて4階フロアへ入った。
そこはこれまでとは打って変わって照明がほとんどないくらいフロアだった。
それまでは無機質ではあるが一応研究所に多少のビジネスオフィスの要素が混ざっている感があったが、ここは違う。
暗い廊下の中央に等間隔で薄暗い電球が照っている以外に照明はなく、左右には真新しいペンキで白く塗られた鉄格子が規則正しく設置されていた。
要は、このフロア全体はまるで刑務所のような監獄だったのだ。
「これって何?このビルって新世界の研修所のはずじゃなかったの?なんで牢獄みたいな牢屋があるの?」
律子が驚愕していると、奥の牢屋から誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
「だれ?」
「!!!!!!!!!!!!」
誰かが意味不明な言葉で叫んでいる。英語?違う。こんな言葉聞いたことがない。
叫び声のもとの牢屋の前に行くと、中には一人の少女が収監されていた。
外見は律子とほぼ同い年くらいの色白で髪はプラチナブロンドのセミロング。ファンタジー世界によくある白いドレスのような服を着たその少女を見たとき、最初律子は欧米の白人女性だと思った。
だがよく見ると、彼女の耳は人間とは思えないほど細長い。
「この女の子、耳が長い。もしかしてこの人もファンタジーに出てくる、たしかエルフとかいう種族の人?」
律子が少女を見ながら考えていると、少女は律子に何かを叫び続けている。
状況的にここから出してほしいと言っているようだった。
この人は私に助けを求めているみたいだけど、どうしよう?悪い人だから牢屋に入れられているのでは?いや、でも何かそんなに悪そうな雰囲気はしないし・・・・・。かといって近くに鍵はなさそうだし。どうしよう・・・・・。
律子はとりあえず牢屋の鍵穴を調べ見ることにした。律子が鍵穴に近づいた瞬間・・・・・。
ガチャッ!ガン!!
牢獄特有の重い開錠の音とともに少女を閉じ込めていた牢屋の鍵は開いた。
えっなんで!私何もしてないのに鍵開いちゃった。
戸惑いを隠せない律子をしり目に、その耳長の少女は律子に駆け寄った。
暗くて見えにくかったが、よく見ると少女の両手には妙な形をした手かせがはめられている。中央に赤い宝石のようなものが埋め込まれた変わった手錠のようなもので、足にはされていなかったが、少女は今も手の自由が奪われていた。
「今度は手かせか。こっちもどうしたものか」
律子がその手枷を悩みながらじっくり見た瞬間、なぜかその手枷も外れてしまった。
ええっ!今度は手枷まで!?どうなっているの?
私、某大泥棒の3代目みたいなことなんてできないのに!
手の拘束を解かれた少女が何やら唱え始める。
次の瞬間、少女は律子に話しかけた。
「牢屋から出してくれてありがとう。私はエレーナ。種族はホワイトエルフ族カシン氏族の者です」
落ち着いた口調で日本語を介する少女に、律子は驚きを隠せなかった。
「は、初めまして。私は上総律子。中学校2年生です。あ、あなたは日本語がお出来になるのですか?」
「私たちホワイトエルフ族は魔法全般に長けていますので、違う種族の言語も魔法ですぐに意思疎通が可能なところまでできるようになります。あなたが外してくれた手枷は魔法の力を無効化してしまうものでしたので、それをはめていた時はなにもできなかったのです」
いきなりの出来事にますます頭が混乱する律子。
しかし、悩む時間もなくエルフを名乗る少女は緊張感を持った口調で言った。
「それではすぐにここを脱出しましょう。私はある程度の距離ごとまでなら時空を転移して瞬間的にここを離れられますから、私にしっかりつかまっていてください」
律子に選択肢はない。
言われるままに律子はそのエルフの少女の腕を持った。
「ではいきます」
瞬間、律子とエルフの少女は牢獄から消えた。
ビル6階でヒステリック女が気絶しているところを発見されたのはその直後だった。




