第17話 選別石の間
夜。
日が完全に沈んで、あたりはすっかり暗くなった。
腕時計を確かめると、午後6時半。現実世界でもすでに日が沈んでいる時刻だ。
緊張と不安が交差するたびに律子の心に大きな負荷がかかっていく。
このような時、人は孤独感とも戦わねばならない。
一人ですべてを判断しなければならない緊張感が通常の倍のスタミナを消耗させる。
戦場で兵士にかかるストレスは通常の10倍と軍事関連の本に書かれていたのを思い出す。
緊張により集中力が高められていく中、律子はあることに気が付いた。
この世界に来てからとぎれとぎれであるが、頭が一瞬ボーッとすることが多いのだ。
そう考えながら同時に周囲を警戒し、律子は丘陵地帯を少しずつ気づかれないように慎重に下りながら、目の前の不気味な高層ビルの裏手の入り口付近まで来た。
そこには双眼鏡で見た感じと同じ小さなドアが一か所あるだけ。
律子は素早くドアに近づいて調べた。
ドアは最新式の外見をした金属製の物で、双眼鏡で見た感じより身近に見るとかなり大きく感じた。鍵穴は2か所あり、とても素人が開錠できそうにない代物だった。
“どうしよう・・・・・。さすがに本格的な鍵開けは無理だし。やっぱり離れて一夜を明かしてから明日に出直すべきかな?”
どうするべきか考えていた矢先、突然ドアの鍵が内側から開く音がした。
律子は間髪入れず、すぐ近くの茂みに身を隠した。
しばらくして裏口のドアが開き、中から一人の作業着を着た男がゴミ箱らしきものを乗せたカートを押しながら出てきた。
彼が行く先を見ると大きなくぼみがあり、その中にはゴミが多く散乱していた。おそらくそこにごみを捨てに行くのだろう。
中に入るチャンスは今しかない。
律子は作業着を着た男がこちらに背を向けてドアを開けたままからこちらの近くから離れていった一瞬のスキをついて、脱兎のごとく、それでいてできる限るり音を立てぬよう注意を払いながら走り、素早くビルの中に入り込んだ。
入ってすぐ左手に、先ほどの作業着を着た男が普段詰めているであろう部屋があった。
素早くそこを通り過ぎてまっすぐの廊下を進んでいく。
内部に入った時の第一印象はよくある真新しいオフィスビルといった感じであった。が、外見から想像していたように窓がほとんどなく、奥に進んでいくにつれ蛍光灯の光のみが明るく照らされ、一切の飾りのない無機質な内装はビジネス系のビルというよりも何かの研究所のような印象を受けた。
しかし、それ以上にこのビルはより異質な何かを感じる。
ビル内部に入ってから奥に進むごとになぜか思考が鈍い感じになるというか、頭がより重くなっていく感じがするのだ。
少しでも気を抜くと何か自分で思考する機能が飛んで行ってしまうような、自分が自分でなくなってしまうような強烈な違和感を感じるのだ。
それも、このビルの廊下を進めば進むほどである。
しばらく進むと、非常階段が見えてきた。
そこには各階のフロアに関する説明が書かれた案内板があった。
それによると、ビルは地上36階あり、ほとんどの階は階全体が研修所と表記されていて、それぞれ“第1研修所第1教室~”などと数字で振り分けられていた。
どうやらビル全体が新世界における企業や予備校などの研修所をひとまとめにした多目的ホールのような施設になっているらしい。
ところが、その案内板の中で1つ気になるものがあった。
“地下6階 選別石の間”
選別石?何だろう?
聞いたこともない名称。なぜそのような意味不明な部屋がこんなビルの中にあるのか。律子はしばし理解できなかった。
ほぼ研修所としか書かれていないあたり触りのない表記しかない案内板の中でひときわ異質な表記。
律子は胸騒ぎがした。なぜかそこに律子の知りたい何かがあるような気がしてきたのだ。
律子は非常階段をできるだけ音を立てぬよう慎重に下りながら、“選別石の間”と書かれた部屋を目指した。
なんだろう、地下深くに行くごとに頭がぼーっとする感じがきつくなっていく感じがする。
律子は頭の思考がぼやける感じを必死にこらえながら階段を下りていく。
地下6階に到着すると、律子は非常階段のドアをゆっくり開けた。
律子の目に飛び込んできたのは異様そのものだった。
その階はほぼ全体が何か青白い光で照らされたようになっていて、壁はコンクリートなどで覆われていない土か岩肌がむき出しの状態になっていた。
そして広間の中央には青白い光を放つ岩のようなものが見える。
そのファンタジー映画に出てくるような光景の中に、なんと大勢の学生服を着た若者たちがいるのだ。
学生たちは全員体育の授業の時のように直立不動の体制で岩のようなものの前に整列しており、数は50名前後。その前にはスーツに身を包んだ女性2名が何やら説明をしている。
「これより新世界合同合宿開始にあたって、選別試験を行います。皆さんにはこの選別石に触れてもらい、13階の5号研修室で30分ほど経過観察をし、適合が認められれば36階の研修所での授業開始となります。もし不適合とされた場合は6階の研修所での授業開始となります」
スーツ姿の女性の説明が終わると、学生たちは番号順に呼ばれた人から一列になってその岩のようなものに触れ始めた。
学生らが岩のようなものに触れると、一瞬それが放つ青白い光がより強く光ったのが見えた。
それを終えた学生は、奥にある大型のエレベーターの前で待機し、10人くらいになるとエレベーターに順に乗って上の階へと消えていった。
律子は目の前の光景に言葉を失っていた。
学生たちは制服からいずれも名門の進学校の人たちだと分かる人ばかり。
しかも、気のせいか学生たちの目には生気がなく一言も言葉を発する様子がない。
律子は一瞬、かつてテレビで見たドキュメンタリー番組で見た映像を思い出した。
この部屋と学生たちの雰囲気はその番組で特集されていた、過去にテロ事件を引き起こしたカルト教団の施設や信者のそれをほうふつとさせるものだったのだ。
とっさに律子は音を立てぬようすぐにドアを閉めた。
カルト団体のような異様な雰囲気に加え、この階に到着してから思考がぼやけて今にも飛んでしまいそうな違和感が一気に強まったのだ。
気分が悪くなりそうになった。
あれはいったい何なの?
よく新世界では人間の能力を向上させる磁場があってそれでスキルとか学力を飛躍的に向上させるとはよく聞くけど、その具体的な手順とかはなぜか伏せられていて報道されているのを聞いたことがない。
あの岩みたいなのがその新世界の磁場と何か関係があるの?
何かあまりいい気がしない。
しばらくしてまたゆっくりドアを少し開けて覗いてみると、学生たちは全員岩のようなものに触れる作業が完了し、最後の一人がスーツ姿の女性2人とともにエレベーターに乗って扉が閉じられた。
広間から一気に人気が消え、その場にいるのは非常階段のドアから覗いている律子1人になった。
律子は非常階段のドアからその広間に入った。
中は全体的に薄暗く、中央の岩のようなものから発せられている青白い光で広間全体が照らされている。神秘的とも不気味ともどちらの解釈も成り立つような静寂がその場を支配していた。
この岩みたいなものは何なのだろう?さっきの人たちはみんなこれに触ってから上の階に行っちゃったけど・・・・・。
律子は恐る恐る青白い光を放つ岩のようなものへと近づく。
近くで見るとそれは岩の中にところどころ小さな水晶が埋め込まれているような、自然物なのか人工物なのか判然としない物だった。
霞先輩ももしかしてこれに触れたりしたのだろうか?どうしたら先輩をもとに戻せるんだろうか?本当にこんなところに来てしまってよかったんだろうか。
どうすればいいの?この世界から脱出する方法は公式の出入り口からくらいしかたぶんないし、私がそこを通らずに来たとばれたらまずいことになるだろうし、どうしたら・・・・・。
少し緊張の糸がとけてしまったため、その場で深く考え込んでしまった律子は、一瞬、目の前の岩に無意識のうちに触れてしまった。
その瞬間。
「えっ何!痛っ!」
触れた瞬間、その岩のようなものは先ほど見たように青白い光を一層強く発し、それと同時に律子の頭に電撃が走ったような瞬間的な痛みが生じた。
律子は反射的に後ろに倒れてしまった。
「痛たた・・・・・。何が、何が起きたの?」
身に何か起きていないか、律子は自分の全身をくまなく調べた。
何もない。やけどや傷らしきものは何もない。
頭に一瞬感電でもしたかのような衝撃が走っただけで、思考もこの場の重苦しい感じは別にしてしっかりと働く。
今のはなんだったの?
答えを見つけることが困難な難問が同時に複数出てきたような気がして、律子の頭は混乱した。
その時。
カツンッ、カツンッ、カツンッ!
律子が来た非常階段から足音が聞こえてきた。扉は閉じていたが、この広間が静かな関係からか足音がはっきりと聞こえる。それもこちらに向かって下りてきている音だ。
次第に大きくなってこちらに迫る足音。
どうしよう。このままじゃ見つかっちゃう!ほかに出口は?あれしかないか!
律子に考えている余裕はなかった。
仕方なく、学生とスーツ姿のの女性が乗ったエレベーターに律子は乗った。
そのエレベーターは6階、13階、36階にしか止まらないようになっていた。
律子はもっとも地上に近い6階のボタンを押し、エレベーターは閉じられた。
直後、非常階段の扉は開かれたが、間一髪、律子は難を逃れたのだった。
だが、このあと律子はこのビルの本当の姿の一部を目撃することになる。




