第24章:一緒に住もう
第24章:一緒に住もう
茅場町の同期会での「全員目視パニック」から一週間。
季節は完全に秋の深まりを見せ、冷たい夜風が門前仲町の私のアパートの窓を叩いていた。
私はベッドの上で、膝を抱えながら一枚の書類を見つめていた。
『賃貸借契約更新のお知らせ』
気がつけば、今のアパートに住み始めて丸四年。更新の時期が迫っていた。
更新料、家賃の一ヶ月分。アラサーの懐にはそれなりに堪える出費だ。
(更新、どうしようかな……。いっそ、もっと会社の近くに引っ越す? それとも……)
脳裏に、東陽町のワンルームで髪をクシャクシャにしながら笑う湊斗の姿が浮かんだ。
付き合って二ヶ月、お互いの部屋を行き来する日が増え、私の部屋のクローゼットには彼のスウェットが、彼の部屋には私の洗面用具が、少しずつ「外堀」を埋めるように増えていた。
(湊斗に、このこと……言うべきなのかな。でも、付き合ってまだ二ヶ月だし、『一緒に住みたい』なんて言ったら、重い女って思われないかな……。戦友からオカン、そして今度は『結婚を迫る重い彼女』へのジョブチェンジは、さすがに難易度MAXすぎるわよね……)
ウジウジと悩むのは私の性分ではないはずなのに、坂井湊斗という男が絡むと、私の世界の基準は簡単にバグを起こしてしまう。
翌日の日曜日。
東陽町の、すっかり綺麗になった(週に三度、私が風紀検査を行っている)湊斗の部屋で、私たちは並んでお昼のピザを食べていた。
「なぁ、美奈、そのコーラ取って」
「はい、どうぞ。……ねぇ、湊斗」
私はコーラのグラスを渡しながら、あえて何気ないトーンを装って切り出した。
「実はさ、私のアパート、来月末で契約更新なんだよね。更新料払うか、引っ越すか、ちょっと悩んでて……」
言いながら、私の心臓はバクバクと嫌な音を立てていた。湊斗がどんな顔をするか、怖くてピザの耳をじっと見つめる。
しかし、当のコミュニケーションの化物は、私の心配など一瞬で粉砕した。
「え? 更新なの?」
湊斗はピザをモグモグと咀嚼しながら、こともなげに、あっさりと言った。
「じゃあさ、これを機に、一緒に住もうよ」
「……へ?」
私は間抜けな声を上げてフリーズした。
「だから、同棲。一緒に住もうよ、俺たちの部屋探してさ。俺、ちょうど今回の昇進で手当も増えるし、美奈のアパートの更新料払うくらいなら、新しいマンションの初期費用に充てた方が論理的だろ?」
湊斗はウェットティッシュで手を拭くと、私の正面に回り込み、私の両手をそっと握りしめた。その瞳は、いつになく真面目で、深い熱を帯びている。
「それにさ、俺、ずっと美奈と一緒にいたいから。朝起きた時も、夜遅く帰った時も、お前が同じ家にいてくれたら、俺、これ以上の元気出ないわ」
「みな、と……」
不意打ちの、ストレートすぎる「ずっと一緒にいたいから」の言葉。
私の胸の奥が、じんわりと温かい炭酸で満たされていく。重いどころか、向こうから全力のストレートが飛んできたのだ。
「……うん。そうだね。一緒に、住もうか」
私が小さく頷くと、湊斗はニカッと白い歯を見せて、私の手をきゅっと握り直した。
さあ、決まれば行動は早い。二条ゼネラルフーズの実務型マシーン二人の本領発揮だ。
その日の午後から、私たちはスマートフォンで賃貸アプリを開き、内見の条件を検索し始めた。
条件:東西線沿線(東陽町〜茅場町周辺)、2LDK、バストイレ別、築浅。
「お、ここ良くない? 駅から徒歩五分で……」
「どれどれ……って、家賃高っ!? ちょっと湊斗、いくら昇進手当が出るからって、二人の給料の合算からこの固定費は、原価計算の段階で即レッドカードよ!」
「うわ、本当だ。東京の家賃、高騰しすぎだろ……。これじゃ、生活費を圧迫して、焼き鳥すら行けなくなる……」
探せば探すほど、都心の「まともな2LDK」の家賃の壁が、私たちの前に巨大な外圧として立ちはだかった。スペックと予算の妥協点が見つからず、私たちの同棲計画は早くも暗礁に乗り上げかけていた。
◇
数日後の木曜日、仕事終わりの夜。
私は再び、お台場のデッキに面したレストランで、麗奈との定期女子会を開いていた。
ショートカットになった頼もしすぎる共犯者(麗奈)に、私はアイスティーを飲みながら、どんよりとした溜め息を吐き出した。
「――というわけなのよ、麗奈さん。湊斗と『一緒に住もう』って話になったまでは良かったんだけど、とにかく東京の家賃が高すぎて。私たちの予算内だと、お互いのプライベート空間がゼロの狭いワンルームか、築四十年の事故物件みたいなところしかなくて……」
私の愚痴を聞いていた麗奈は、優雅にパスタをフォークに巻きながら、フッと完璧な唇を綻ばせた。
「あら。そんなことで悩んでいらっしゃいましたの? 実にシンプルで、論理的な解決策がありますわ」
「え? 解決策?」
私が身を乗り出すと、麗奈はバッグから、一枚の洗練されたパンフレットを取り出した。
「我が家の不動産管理部門(二条アセットマネジメント)が所有している、江東区の築浅高級タワーマンションが、現在数部屋空いておりますの。そちらの2LDKのワンフロア、お二人に『貸して』あげますわ」
「えええええええ!?!? タ、タワマン!?」
私は驚きのあまり、アイスティーのストローを噛みちぎりそうになった。
「そ、そんな恐れ多いですよ! 室長の実家の持ち物なんて、家賃だけで私たちの月収が吹き飛びます!」
「怯えないでください、美奈さん。実は、私もお父様の檻(本宅)を出て、自立した一人のビジネスパーソンとして、来月からそのマンションの同じフロアの別室に引っ越す予定なのですわ」
「ですから、美奈さんが近くにいてくれた方が、私の『友達第一号』としての実務的コミュニケーションも捗りますでしょう? 家賃は、お二人の予算に合わせた『格安の共犯者価格』で結構ですわ。文句はありませんわね?」
麗奈は悪戯っぽくクスッと笑った。
完璧なお姫様の、格好良すぎる富豪ムーブ。
◇
その夜、私は大急ぎで東陽町の湊斗の部屋へ向かい、この件を報告した。
「――というわけで、麗奈さんがウチで持ってるマンション貸してあげるって! しかも同じフロアに麗奈さんも引っ越してくるから、格安でいいって!」
私がノリノリでスマートフォンの物件写真(めちゃくちゃ綺麗で広いキッチン、夜景の見えるリビング)を見せると、湊斗はベッドの上でガタガタと震え出した。
「え、えええ……? 二条さんの……いや、麗奈さんのマンション……? しかも同じフロア……?」
湊斗の端正な顔が、急激に引きつっていく。
「美奈、お前正気かよ……。俺、元婚約者だぞ? 振られた(体裁の)元カノと同じフロアで、今の彼女と同棲するって、それ、どんな生殺し状態だよ……。俺が廊下で麗奈さんとバッタリ会った時の気まずさ、想像してみろよ。毎日が針の筵だろ……」
「何言ってるのよ、サラリーマンがこの圧倒的コストパフォーマンスを前にして、私情を挟むんじゃないわよ! 麗奈さんはもう、私たちの『最高の共犯者』で友人なの! 廊下で会ったら『あ、室長、お疲れ様でーす』って挨拶すれば一秒で終わる話でしょ!」
私は湊斗の肩をガシッと掴んで揺さぶった。
「う、うーん……美奈がそこまでノリノリなら、俺、文句言えないけどさ……。でも、本当に大丈夫か? 俺、毎晩麗奈さんの視線のプレッシャーで、美奈とベタベタしてるところを見られないかヒヤヒヤするんだけど……」
「見られたら『オホホホ』って笑われて終わりよ! ほら、明日内見の返事出すから、覚悟を決めなさい、坂井チーフ!」
「うわぁ……俺の同棲生活、スタート前から難易度がウルトラMAXなんだけど……!」
湊斗は枕に顔を埋めて絶叫していたが、その顔はどこか、美奈の強引なオカン・チーフラブに巻き込まれて、嬉しそうに緩んでいた。
古い檻をぶち破り、公私ともに誰も入れない強固な「システム」となった私たち。
新たなるタワマン同棲インフェルノ(?)の足音を聞きながら、私たちは手を繋ぎ、新しい未来へと力強く一歩を踏み出すのだった。
――最終章へ続く。




