第14章:社内恋愛の難易度はMAX
第14章:社内恋愛の難易度はMAX
東陽町の汚部屋パニックから明けた、翌日。
二条ゼネラルフーズの社内は、まだフードフェスの余韻と、二条麗奈さんの婚約解消の噂話で、微かに浮き足立っていた。
そんな中、私はいつも以上にキリッとしたオフィスカジュアルを身にまとい、眉間にシワを寄せてパソコンに向かっていた。
「浅田チーフ、昨日もお休みだったのに、朝からお疲れ様です!」
「あ、うん。おはよう、後輩くん。フェスの事後データ、午前中にまとめるからチェックよろしくね」
サバサバと、あくまで「優秀でドライなチーフ」として振る舞う。
そう、私は今、極限の緊張状態にある。
二条麗奈さんというブランドを傷つけないためにも、また私たちの今後の仕事のためにも、付き合いたての坂井湊斗との関係は【完全秘密厳守】。
これが私の鉄の掟だった。
しかし、その掟を、当の張本人が粉々に粉砕しにかかってくる。
「──おはよ、美奈」
午前十時、自動販売機の前で缶コーヒーを買っていた私の背後から、低く甘い声が降ってきた。
心臓がドクンと跳ね上がる。
振り返ると、スーツを完璧に着こなした湊斗が、誰にも見えない絶妙な角度で私にぎこちないウインクを投げてきていた。
(バ、バカ!! 『美奈』って呼ぶな、社内よここ!!)
私は目を血走らせ、周囲に人がいないか首がちぎれるほどの速度で左右を確認した。
幸い、パーテーションの陰に隠れて誰も見ていない。
昨日は変な時間に爆睡してしまってから、夜中ずっと起きていた。
夜中のテンションでずっと抱き枕相手にニヤニヤしたり、やらかした自業自縛に猛省してばたついていたり……そんなこんなでまだ情緒が安定しないままで今に至る。
昨日抱き枕にしていたように熱いハグを今すぐしたい! と思う私と、それを後ろから羽交い締めにして止める冷徹な私がいる。
「……おはよう、坂井くん。何か用かしら」
努めて冷静に、トーンを落として言ってみる。
(駄目だ……今尻尾が生えてたらブルンブルン振ってるんだろうなぁ)
「冷たいなぁ。昨日さ、あの後、部屋がめちゃくちゃ綺麗で感動した。美奈の匂いが残っててさ、俺、枕抱きしめて寝──」
「黙れっ」
私は湊斗の口を、手元にあった冷たい缶コーヒーで力任せに塞いだ。
「冷たっ!?」と悶絶する湊斗の手を引っ張り、私は人が来ない奥の給湯室へと彼を放り込んだ。
ガチャリとドアを閉め、湊斗の胸ぐらを掴んで壁際に追い詰める。
「あんた、脳みそハッピーセットなの!? 社内では絶対に他人のフリ! 私物の貸し借り禁止! プライベートの話は一秒もしないって、昨日の夜にLINEで長文の警告書送ったでしょ!!」
「えー、だって、やっと付き合えたんだから、ちょっとくらい話したいじゃん。昨日だって、行ってきますのチューのとき……」
「あーーーーー!!! その話を、今、ここで、するな、ブッコロ!!!」
羞恥心で顔が爆発しそうになった私は、反射的に右足を跳ね上げ、湊斗のすねを容赦なく蹴り上げた。
「痛てぇええええ!!」
湊斗がすねを押さえて片足でピョンピョンと跳ねる。
「いい、坂井くん。今度会社でオカンって言ったり、私のことを名前で呼びそうになったり、距離感を一ミリでも間違えたら、マジでブッコロだからね!!」
「ブッコロって何だよ、物騒だな!! でも、怒ってる美奈も可愛いわ」
「……っ、このオンナの敵め、すね肉の刑を追加したいの!?」
私が再びローキックの構えをとると、
「でもせっかく密室にいるんだし今だけ……」
「バカーーー!」
情けないチュー顔をして近づく湊斗に力任せにローキックを入れた──はずだった。
しかし湊斗は私の行動を初めから予期していたのか、後ろにジャンプしてかわされた。
「わー! すみませんチーフ! 仕事戻ります!」
湊斗はいつもの馬鹿にする時のふざけた調子の声を上げて、給湯室から逃げ出していった。
◇
一人残された給湯室で、体勢を崩してシンクに寄りかかったまま、私は熱くなった顔を両手で覆った。
(あいつは本当にずるい! 戦友の顔をしたまま、不意に澄んだ目で甘えてくる……)
そんなもの、付き合いたてのアラサー女子の心臓がもつわけがない。
社内恋愛の難易度は、まさにMAXだわ。
あいつの「距離感バグ」の猛攻に耐えながら、私はこの秘密を死守できるのだろうか。
週末の女子会で香織たちに愚痴をぶちまけることだけを心の支えに、私は再び、般若のような顔をしてオフィスへと戻るのだった。




