第11章:七年越しの告白
第11章:七年越しの告白
土曜日のお台場、朝九時。
ビッグサイトに向かう階段の途中で、湊斗の背中を見つけた。
……いつものように後ろから体当たりをするのか、それとも平気を装って軽く声がけするべきなのか……。
迷っているうちに立ち止まって距離を取ってしまった。
それから一時間、何度か近くをすれ違ったが、やはり気まずすぎて目を合わせられない。
(普通に挨拶くらいしてくれてもいいじゃない……もう)
いや、湊斗のせいにしても埒があかないのは分かってる。だけれども……。
「──大変です、浅田チーフ! 試飲用の秋の新作飲料、物流のミスで別の倉庫に半分送られてました! 開場まであと一時間しかないのに、このままだと開始早々にサンプルの在庫が底を突きます!」
「なんですって!?」
二条ゼネラルフーズが社運をかける、年に一度の大型フードフェスティバル。
開場直前の熱気に包まれたビッグサイトのブース裏で、後輩の悲鳴のような報告に、私の背筋が凍りついた。
新ブランドの命運がかかったこのイベントで、サンプルの枯渇は絶対に許されない。
麗奈さんが人生を賭けて勝ち取ったチャンスを、ここで潰すわけにはいかない。
「──そのトラブル、俺が引き受けた」
パーテーションを押し開けて飛び込んできたのは、インカムを装着した湊斗だった。
「美奈、別倉庫の住所は? 品川倉庫か……ここから一番近い営業所のトラックを手配する。二条さんの新規事業室のコネで、品川倉庫から搬送の特別許可を今すぐ申請させてくれ! 俺が自ら助手席に乗って、開場から三十分以内にはここに届けてやんよ!」
「湊斗……! 分かった、住所はここ。麗奈さんへの連絡は私が回す、あんたはトラックの手配を!」
「よし、あとで笑顔で会おうぜ!」
湊斗が疾風のように走り出す。
私もすぐにスマホを掴み、麗奈さんへ連絡を入れた。
『美奈さん、分かりましたわ。私の名前で役員ルートの決済を大至急通します!』
『お願いします、麗奈さん!』
怒号と悲鳴が飛び交う、イベント当日の大修羅場。
けれど、私の心に恐れはなかった。
ピンチになればなるほど、私と湊斗の「システム」は異常なほどの高効率で回転を始める。
私はブース前でステージの進行を十分ずつ後ろへずらす交渉を統括し、湊斗は品川の渋滞を縫うようにしてトラックを大激走させた。
結果は、完全勝利。
開場から二十分後、ブースの在庫が切れるまさにその瞬間、湊斗が汗だくで段ボールを抱えて滑り込んできた。
「間に合っ……たぞ、美奈!」
「ナイス、湊斗! 全員、サンプリング再開!!」
ステージは大盛況。
新商品のアピールは大成功に終わり、二条ゼネラルフーズのブースはイベント全体で過去最高の動員数を記録したのだった。
◇
午後八時。
喧騒が去り、すっかり照明が落とされた薄暗い展示会場の舞台裏。
撤収作業を他のメンバーに任せ、私はパイプ椅子に腰掛けて、ようやく冷えたお茶を喉に流し込んでいた。
全身の筋肉が、安堵感で泥のように重い。
「……お疲れ、美奈」
足音が近づいてきて、目の前で止まった。
見上げると、ネクタイを外し、ワイシャツのボタンを二つほど開けた湊斗が立っていた。
イベントを成功させた男の、やり切ったような、でもどこか酷く張り詰めた顔。
面と向かうと声が出ない……普通に「お疲れ様」の一言でもいいはずなのに……。
湊斗は私の前にゆっくりと膝をつくと、私の目線に合わせるようにして、じっと私を見つめた。
「あのさ、美奈。昨日の夜の続き、ちゃんと話させてくれ」
展示会場の遠くから、フォークリフトのバックブザーが小さく聞こえる。
「俺、今日確信したわ。トラブルが起きた時、俺の頭の中に真っ先に浮かんだのは、会社の評価でも出世でもない。お前を困らせたくない、お前と一緒に今日みたいなピンチを乗り越えたい、それだけだった」
湊斗が私の両手を、下からそっと包み込むように握りしめる。
その手は、驚くほど熱くて、微かに震えていた。
「俺、カッコ悪いところばっかりお前に見せてる。でも、お前といる時が、世界で一番自然でいられるんだ。家族とか、オカンとか、そんな言葉で逃げて本当に悪かった。……美奈、俺と付き合ってほしい。お前の全部を、俺に預けてくれないか」
人生最大レベルで必死な、坂井湊斗の、七年越しの本気の告白。
あんなに夢に見た瞬間だった。
あんなに欲しかった言葉だった。
だけど、私の目から溢れてきたのは、嬉し涙ではなかった。
胸の奥からせり上がってきたのは、七年間、ずっとあいつの後ろ姿を見つめ、傷つかないように自分の心に嘘をつき続けてきた「私のプライド」の叫びだった。
私は、湊斗の手をそっと振り払った。
「……嫌だよ」
「美奈……?」
湊斗の目が見開かれる。
「嫌だよ、湊斗。なんで今更なのよ……っ」
私は涙をボロボロと流しながら、声を震わせた。
「私はずっと、あんたの『都合のいい戦友』だった。あんたがピンチの時だけ呼び出されて、弱音を聞かされて、身の回りの世話を焼いて。麗奈さんとの婚約がなくなったから、私が独り立ちしてマッチングアプリを始めたから、それで焦って私のところに来たんでしょ? それじゃ、私はずっと『ついで』みたいじゃない!」
「違う、俺はそんなつもりじゃ……!」
「私の気持ちを知らないで、勝手に『オカン』なんて枠にハメて笑ってたの、あんたじゃない!」
私は叫んでいた。
長年、胸の奥底のブラックホールに溜め込んできた本音を、全部あいつにぶつけるように。
「私だって、一人の女の子として、大好きな男の人に最初から見つめられたかった! 誰かのついでじゃなくて、たくさんの選択肢の中の妥協点でもなくて……私をちゃんと、一番最初の、唯一の選択肢にしてよ!!」
薄暗い舞台裏に、私の泣き声が響き渡る。
湊斗は、完全に絶句していた。
自分が「家族」という甘えの言葉で、どれほど私の尊厳を傷つけ、二番手に追いやり続けていたか。
その罪の重さに、今、初めて本気で気づいたような顔をしていた。
湊斗は深く頭を垂れ、それから、もう一度私の手を、今度は骨がきしむほど強く、ぎゅっと握りしめた。
「……言い訳はしない。俺は最低だ。お前の気持ちに甘えて、お前をずっと傷つけてた」
湊斗は顔を上げた。その瞳には、私と同じように、涙が溜まっていた。
「切ないけれど、ついでなんかじゃない。お前は俺にとって、最初から、ずっと唯一の存在だったんだ。ただ、近すぎて、失うのが怖すぎて、答えを出すのが遅すぎただけなんだよ。……今すぐ許してくれとは言わない。お前の『一番最初の選択肢』になれるまで、俺、一生かけて泥臭くアプローチし続けるから。だから……俺を諦めないでくれ、美奈」
完璧だった営業のエースが、プライドも何もかも投げ捨てて、私の前で必死に頭を下げている。
私はハンカチで顔を覆いながら、ただただ、しゃくりあげて泣き続けた。
七年分の重すぎる片思いが、ようやく「同期」という殻を破り、本当の恋として、私たちの間で激しく燃え上がろうとしていた。




