第2話 密書
森は静かだった。 だが、その静けさは安らぎではなく、どこか不穏な沈黙だった。
「……完全に道、間違えたな」
ライルが地図を見つめながら、苦い顔をする。 陽はすでに傾き、森の中は薄暗くなっていた。
「ま、あの襲撃のあとだ。道がズレるのも無理ないさ」
セレブが肩をすくめる。
「でも、夜の森って……こわいよぉ……」
ノアがライルの後ろにぴったりくっついて、心細そうに言った。
「安心しろ。俺がいれば、狼だろうが熊だろうが、拳で黙らせてやるぜ」
レイアックスが拳を鳴らして笑うが、誰もツッコまなかった。
そのとき、木々の隙間から、かすかに煙が立ちのぼっているのが見えた。
「……あれは?」
「人の住処かもな。行ってみよう」
丸太で組まれた一軒家は、森の奥にひっそりと建っていた。 扉を叩くと、しばらくしてギィ…と音を立てて開いた。
「……何の用だ」
現れたのは、鋭い目をした老人だった。 白髪に無精髭、腰には古びた鍛冶槌。全身から“ただ者ではない”気配が漂っていた。
「道に迷ってしまって……一晩、休ませていただけませんか?」
ライルが丁寧に頭を下げると、老人は鼻を鳴らした。
「他を当たれ。ここは宿屋じゃねぇ」
「おじいちゃん、だめだよっ!」
奥から、少女の声が飛んだ。
現れたのは、薬草の籠を抱えた小柄な少女。 長い栗色の髪に、素朴なワンピース。目が合うと、ぱっと笑顔を見せた。
「こんにちはっ!わたし、フィリス。おじいちゃん、ちょっと怖いけど、ほんとは優しいんだよ!」
「フィリス、余計なことを言うな」
「でも、困ってる人を追い返すなんて、だめだよっ!」
老人はしばらく黙っていたが、ふいにため息をついた。
「……狼にでも食われてぇなら、勝手にしろ。庭は貸してやる。好きにしな」
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その夜、焚き火を囲んでいた一行のもとに、突然の悲鳴が響いた。
「きゃあああああっ!」
「フィリス!?」
ライルが立ち上がると、森の奥から狼の群れが現れた。 フィリスが薬草を摘みに出たまま、囲まれていたのだ。
「くそっ、行くぞ!」
レイアックスが真っ先に飛び出し、拳を構える。 セレブは木陰を駆け、ノアは震えながらもフルートを構えた。
「がんばって……!みんな、がんばってぇ……!」
ノアの旋律が夜の森に響き、仲間たちの動きが軽くなる。 ライルは剣を抜き、狼の群れに飛び込んだ。
戦いが終わったとき、フィリスは無事だった。 傷を負ったライルに、彼女はそっと薬草を当てながら言った。
「ありがとう……みんな、ありがとう……」
その様子を見ていた老人は、静かに家の扉を開いた。
「……中に入れ。手当てくらいはしてやる」
夜が明ける頃、森の空気はひんやりと澄んでいた。老人の家の囲炉裏には、まだ赤い炭が残っている。
「……で、あんたらは何者だ?」
老人が湯気の立つ茶をすすりながら、低く問いかけた。 その目は、鋭くもどこか試すような光を宿していた。
ライルは一瞬迷ったが、正直に答えることにした。
「護衛任務の途中で襲撃を受けました。仲間を失い、逃げる途中でこの森に…」
「ふん。で、その箱は?」
視線が、ライルの傍らに置かれた木箱に向けられる。 黒い金属の留め具が、朝の光を鈍く反射していた。
「……開けてみるか」
ライルがそっと蓋を開けると、中には一巻の羊皮紙が収められていた。 封蝋には、プレート王国の王印――だが、裏面には別の印章が重ねられていた。
「これは……?」
セレブが目を細めて覗き込む。
「“檄文”だな」 老人が低く呟いた。
「げきぶん……?」
ノアが首をかしげる。
「王国の中枢を揺るがす密書だ。反乱の計画、あるいは王家の闇を暴く証拠……そういう類のものだ」
「なぜ、こんなものが……」
「おそらく、あんたらは知らずにとんでもないものを運んでる。……それも、命を懸けてな」
そのとき、外から馬の蹄の音が響いた。
「……来たか」
老人が立ち上がる。 扉の外には、王国軍の兵士たちが現れていた。
「この家に、逃亡者が潜んでいるとの報せを受けた。捜索を許可してもらおう」
兵士の隊長が、無表情に告げる。
「……あいにく、今は客が来ていてな。病気の孫娘の看病に来てくれた薬師たちだ」
老人は、まるで何事もないかのように言った。
「……薬師?」
「そうだ。ほら、あのちっこいのがそうだ」
「えっ、わ、わたしっ!?」
ノアがびくっとして、フルートを落としそうになる。
「……ふむ。ならば、屋内を確認させてもらう」
「構わんが、俺の鍛冶場には手を出すなよ。爆ぜるぞ」
兵士たちは顔をしかめ、しばらく家の中を見回ったが、やがて引き上げていった。
「……助かったな」
老人が、囲炉裏の前に戻ってくる。
「なぜ、助けてくれたんですか?」
ライルの問いに、老人はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと答えた。
「……孫が、あんたらを信じた。それだけだ」
そして、棚の奥から一本の剣を取り出した。 重厚なバスタードソード。刃には、狼の牙のような紋様が刻まれている。
「これは……?」
「“ヴェイルの牙”。俺が鍛えた最後の剣だ。持っていけ。……その箱を運ぶなら、これくらいの牙がいる」
ライルは、剣を両手で受け取った。 その重みは、ただの鉄の重さではなかった。
こうして、一行は再び旅立つ。
「檄文」を抱え、王国の闇へと踏み込むために・・・・・・・・・・・




