第1話 襲撃
ーー記す。
ナーサ歴433年、大陸には静かなる亀裂が走っていた。
誰もが気づきながら、誰も口にしなかった。
力は一つの影に集まり、
正しき声は押し潰され、
大地そのものが息を潜めていた。
だが、あれは始まりにすぎなかった。
真の闇は、もっと古く、もっと深く、
大陸の根に眠る“忘れられた力”とともに目を覚ましたのだ。
空は裂け、
大地は燃え、
人々は天を仰いだまま倒れた。
その影は、まるで世界そのものが終わりを告げるかのようであった。
絶望が大陸を覆い尽くしたその時、
四つの灯火が、闇の中にかすかに揺れた。
それは英雄と呼ぶにはあまりに小さく、
しかし、歴史を動かすには十分な光であった。
拳で道を穿つ者。
影を奪い、戦局を翻す者。
仲間の心を繋ぎとめる者。
そして、封じられし力を振るう唯一の者。
彼らの名は、やがて語り継がれる。
だが、この章において重要なのは名ではない。
“選ばれざる者たちが、世界を救った”という事実である。
この物語の第七の章を、私はこう呼ぶ。
──『灰色の幻影』。
さあ、語ろう。
世界が揺らぎ、
運命が試され、
英雄が生まれたあの日のことを。
プレート王国 皇帝 ブラード
風が、草原を撫でていた。 春の匂いを含んだ風が、ルースの町を遠ざかる馬車の帆を優しく揺らしている。 馬の蹄が乾いた土を叩き、車輪がきしむ音が、旅の始まりを告げていた。
ライルは馬車の脇を歩きながら、無言で周囲を見渡していた。 護衛任務とはいえ、見知らぬ者たちと組まされるのは気が進まない。
(……妙な夢を見た。あの声は、なんだったんだ?)
夢の中で囁かれた「鍵」という言葉が、頭から離れない。 その意味も、誰の声だったのかもわからない。ただ、胸の奥にざらついた不安だけが残っていた。
「ねぇ、あの人、ずっと黙ってるねぇ」
小さな声が聞こえた。 振り返ると、馬車の荷台に腰かけた少女が、こちらをじっと見ていた。 長い黄金色の髪に、ルビーのようのような深紅の瞳。年の頃は十五、いや、それより幼く見えるかもしれない。
「……何か用か?」
「ううん、なんでもないの。ノアっていうの、ぼく。よろしくねっ」
「……ライルだ。よろしく」
ノアはにこっと笑って、また空を見上げた。 その隣では、筋骨隆々の男が拳を鳴らしている。
「おいおい、自己紹介タイムか?だったら俺も混ぜろよ。レイアックスだ。拳で語るのが趣味だ」
「……うるせえなぁ、静かにしろよ。敵が来たらどうするぅ~」
最後に声をかけてきたのは、フードを目深にかぶった男。 腰には短剣、背には弓。いかにも盗賊風の出で立ちだ。
「俺はセレブ。ま、名前だけでも覚えといてくれりゃいいさ」
ライルは小さくため息をついた。
(寄せ集めの護衛隊か……先が思いやられる)
その時だった。 風が変わった。 草の匂いに、鉄の匂いが混じる。
「……伏せろ!」
ライルの叫びと同時に、空が黒く染まった。 無数の矢が、空を覆い尽くすように降り注いできた。
矢の雨が、空を裂いた。 馬が悲鳴を上げ、荷車が横転する。護衛兵たちの叫びが、混乱の中に溶けていった。
ライルは咄嗟にノアを抱きかかえ、馬車の陰に飛び込んだ。
「きゃっ…!な、なにっ…!?」
「伏兵だ。動くな、矢がまだ来る!」
レイアックスはすでに前線に飛び出していた。
「上等だァ!どこの野郎だか知らねぇが、拳で返してやるぜッ!」
彼の拳が地を叩き、衝撃波が草をなぎ倒す。 だが、敵の姿は見えない。矢だけが、森の影から無慈悲に飛んでくる。
「くそっ、姿を見せろよ……!」
セレブは素早く馬車の下に潜り込み、短剣を抜いた。
「こりゃあ、ただの山賊じゃないな。動きが手慣れてる」
ライルは剣を抜き、周囲を見渡す。
(このままじゃ全滅だ……!)
その時、馬車の前方で叫び声が上がった。
「隊長がやられたぞーッ!」
ライルが駆け寄ると、隊長が地面に倒れていた。 胸に深く矢が刺さり、血が止まらない。
「……お前……ライル、だったな……」
「しゃべるな、今すぐ治療を!」
「……これを……受け取れ……」
隊長は、血に濡れた手で小さな木箱を差し出した。 黒い金属の留め具がついた、重厚な箱だった。
「……ソウルの町……メルビン公爵に……必ず……届けてくれ……」
「これは……なんだ?」
「……“鍵”だ……世界の……運命を……」
その言葉を最後に、隊長の瞳から光が消えた。
ライルは箱を抱きしめ、立ち上がった。
(鍵……またその言葉か……!)
「逃げるぞ!森へ!」
ライルの叫びに、ノアが駆け寄る。
「う、うんっ!でも、こわいよぉ……!」
「大丈夫だ、俺が守る」
「……うぅ、うん……!」
レイアックスとセレブも、合流してきた。
「おい、あんたらも逃げるのか?だったら、ついでに守ってやるよ」
「ついでって言うなよ……!」
四人は、燃え上がる馬車と倒れた仲間たちを背に、夜の森へと駆け込んだ。 それが、彼らの長い旅の始まりだった。




