勇者の帰還
勇者の部屋の前には二人の騎士。
少し離れたところから、魔力を絞って気配を探ると中にいるのは勇者とハナちゃんだけの様子。
「どこに転移します?」
「風呂場が一番無難ね」
勇者はベッドに入っているが、ハナちゃんが転移に気がついてしまう可能性があるので寝室に転移するのは悪手だ。
風呂場なら、耳の遠い老犬は気が付かないだろうし魔法も掛けやすい。
睡眠や精神干渉系は、距離が近ければ近いほど成功率が上がるのだ。
「風呂場から睡眠かけられます? ちょっと距離がありますが」
「エルフだから余裕よ」
「あ、そうでしたね。ジューン様はエルフ最高峰でした」
ひそひそと転移先を決め、ジーンを巻き込んで風呂場へ転移する。
浴室は少し床に水気が残っており、勇者が一人で湯浴みした形跡がある。
侍女が付き添ったなら、床も拭き上げているはず。
「ハナちゃんは……あ、勇者も寝てるっぽいけどどちらも深く眠らせましょう」
「お願いします」
私達は数分様子を見て、静かに寝室へ滑り込んだ。
「じゃあ、術の邪魔にならないように幸運付与だけ先にやっちゃうわ」
私は勇者に幸運を付与し、少し考えてハナちゃんにも幸運を与えた。
犬にとっての幸運は一体何だろうか。
(毎日のお散歩、おやつチャンスが増えるとかかしらね……)
「終わったみたいですね。では行ってきます」
ジーンの姿が空気に滲み始め、やがて霧のように霧散していった。
まだ少し幼さの残る勇者の寝顔は、大人と子供の狭間にある年頃特有の危うさがある。
(……この子はどっちを選ぶのかしら。おそらく帰還を選ぶと思うけれど──)
夢に物理的に侵入するというのは夢魔特有の魔法で、どう作用しているのか皆目見当がつかない。
が、ジーンの気配は勇者の頭から漂っているので、私の推測では直接脳に作用していると見た。
夢魔自体が身体ごと霧状になって侵入しているようだけれど、さすがにこれは私でも再現出来なさそうだ。
(まあ、私には人様の夢に侵入してまで話すような用事もないけれど)
毎回夢魔が勇者や聖女の夢枕に立つのは、夢の中のほうが圧倒的に本音が出やすいからだ。
あと秘密裏に接触できるから。
夢の中の内容は、後日どんぐり歌劇団とジーンによって再現映像が作られて放映されるはず。
色々研究はされているが、夢の中を覗くのは夢魔以外には無理なので致し方ない。
「…………」
護衛するとは言ったが、何が起こるわけでもなく時は静かに流れていく。
二時間ほど経って、ジーンは再び姿を現した。
「帰還するそうです」
「じゃあ、魔法陣を展開させるわ」
万が一にも誤りは許されないので、直接ではなく魔法陣図から魔法陣を展開する。
「起動して三十秒後に覚醒魔法を発動させる」
勇者が最初に着ていた服は事前に回収してあるので、ジーンと二人で着替えさせ、ハナちゃんと一緒に魔法陣の中央に寝かせる。
「よーし、起動させるわよ」
四重円の精密な魔法陣に、私の魔力がどんどん吸い込まれていく。
その必要魔力量は膨大で、本来であれば触媒や生贄、魔術師数百人規模の魔法陣なのだ。
召喚より送還魔法陣の方が必要魔力量が多いので、魔力が桁違いに多い私でも連続起動はできない。
魔法陣は静かに輝きを増し、その柔らかい光は一人と一匹を包んでいく。
「ありがとう、お幸せに」
一拍置いて勇者と犬の気配が消え失せた。
何事もなかったように魔法の気配も消え失せる。
少しよれたシーツ、畳まれた部屋着だけが勇者の存在した証。
この場で夢の内容を聞くほど長居は出来ない。
放映される再現映像で充分だ。
「さあ、帰りましょ」
私とジーンはそれぞれ転移をし、帰宅した。
(終わった……! 長かった……)
これで私の仕事はおしまいである。
後の事務処理はカルミラの仕事だ。
次回は千年後だが、もうやりたくないから逃げ切りたいところ。
「…………」
勇者とハナちゃんは、お散歩中だったという転移した瞬間に戻っているはずだ。
こちらでの記憶は、戻った直後は夢のように少しぼやけるようになっている。
鮮明に思い出すか、そのまま夢として記憶を沈めるかは本人次第。
転移した証拠は全くない──付与された幸運も、自分じゃ確認しようもない。
でも、勇者グランが元の世界で運のいい人として生きていくことには変わりない。
(ハナちゃんもね)




