虚無のアイヒェルと勇者グラン
『魔王アイヒェル……何故わざわざ人間社会に出て来て、災厄を起こした!』
『災厄? さてな。お前は歩いた後を毎回あらためながら歩くのか?』
『大勢の人が死に、仕事を失ってるんだぞ』
『……それが我と何の関係が? 招かれもしないのに押し入ってくるほうが非常識ではないか』
カレーニアが勇者に囁く。
『勇者様、話してどうにかなる相手ではございません』
『愛する者を失った悲しみ……それには同情する。だが、災いを起こすのはダメだ』
(!?)
一瞬の間が流れた。
あ、そういえば虚無のアイヒェルは愛する暴虐の女王を人間のせいで失って、宣戦布告したんだったわね。
フレスベルグは無言で憂いを帯びた表情でパーティを見つめる。
だが断言してもいい。
(絶対フレスベルグも設定忘れてるわ…………!)
私はこっそりフレスベルグの背後から設定を囁いた。
フレスベルグがなんとも言えない顔で溜息をついた。
美形なので何をしても不自然にならないのは、良いことだが。
『今となっては詮無きことだ。お前たちは我を殺しに来たのだろう?』
『退くならば命までは取らない! こんな不毛な戦い、もうやめるべきだ!』
勇者は拳を握り、必死に魔王を説得しようと試みているが、他メンバーは戦闘態勢に入っている。
ハナちゃんが前衛にいるのが気になる。
危ないから後方に下がってほしい。
カレーニアがしきりに足元の煙を気にしている。
人間ではあるが、犬獣人のハーフなので嗅覚を妨げる匂いに気づいているようだ。
ニーヴも嗅ぎ回っているが、あまり気にしてはいない様子。
アラインは全体を見渡せるよう、一番後ろに陣取っている。
(あ、撮影班の会釈に頷いた……エルフは本当に目もいいのよね……)
私はもう後方とはいえ舞台に上がっており、エルフの耳も大きく展開させてある。
モニター越しではわからなかった、勇者の息遣いや身動ぎ。
彼らの不安、興奮──心臓の音も。
徐々に心拍数が上がっていくのが、手に取るようにわかる。
『不毛、か? それはお前が決めることではない』
フレスベルグは優雅に立ち上がった。
『我は決めた、人間は根絶やしにすると!』
フレスベルグが腕を振って暴風を起こすのと、アラインが障壁を張ったのは同時だった。
アラインはあらかじめ問答無用で攻撃が来るのを知っていたので、間に合ったともいえる。
フレスベルグはその身体の特殊さから、魔力の操作を苦手としている。
が、発動に関しては龍に近いデタラメな発動をするので、ものすごく早い。
もちろんまだまだ私よりは遅いけれど。
勇者たちは扉まで吹っ飛んだ。
《ちょっと、強すぎるわ》
《え、まじか。もうちょい弱くだな……》
勇者たちがお互いの確認をしあい、態勢を整え直した。
ちゃんと待ってあげているフレスベルグは偉い。
『残念だが、話し合いは無理なようだね。──なら、僕はあなたを討つまでだ!』
勇者が聖剣(レスター謹製)をスラリと抜き放ち、寸分の狂いもない美しい型で剣先を魔王に向ける。
暗い室内でギラリと白刃が煌めいたのは、照明さんがピンポイントで光源をあてたからだ。
『ほう、聖剣か。それを出してくるならば、我も相応のものでお相手しよう』
フレスベルグは黒煙を噴き出すいかにも悪そうな大剣を取り出した。
煙は黒くて禍々しいが、毒性はない。
が、煙がもうもうと出てくれるのは三十分である。
まあ、後は勇者を殺さないようにフレスベルグの練習時間になる。
三十分たったらレスター、二十分たったら私、そこから二十分たったらフレスベルグ。
交代したらすぐにアマネを迎えに行かなくてはいけないので、私は忙しい。
アマネは大好きな兄であるフレスベルグの勇姿を間近で見たくて、覗き見を諦めてお手伝いを頑張っているのだ。
約束は約束なので、交代したら舞台裾で見学させてやらなくてはね。
『気をつけて、グラン……毒かもしれないわ!』
『ロウ、そのまま。ラウゲンは薬剤を必要に応じて用意……』
第五王子殿下が短い指示を飛ばす。
『クソっ、近寄れない……』
『落ち着けグラン。あっちは一人なんだ』
すう、と勇者が息を吐き肩が少し落ちた。
呼吸を整える一拍。
次の瞬間、勇者は魔王に肉迫し白刃がギラリと光を放つ。
フレスベルグは無表情でその剣を薙ぎ払う。
『ほう、この鎧に傷をつけたか。どうやら子供のお遊びではないようだな……勇者よ』
(キマったー!)




