3-1
「そもそも!」
イデは声を張り上げる。
「人間ってのは理解出来ないものを排除したり、事実を捻じ曲げたりして、自分たちに都合の良いようにしてしまうという習性がある。そのいい例がこの間話した神と生贄だ。それと同じ事が俺たちマグスやドリィにも言える」
一旦言葉を止め、手にしていた瓶に直接口をつけて、水を喉に流し込む。
マグスのイデとドリィのセージがこの村にやってきてから数日。あれから毎日、リリは夕方になると、一日分の食糧を持って、秘密のお家へと赴いていた。彼らを匿った翌朝は、リリが自分で食事を用意して行ったのだが、さすがに家族に内緒で毎回食事の用意をするのは無理がある。でもだからといって、イデに飲み食いを禁じるわけにもいかないし、彼らは村内でちょっとした騒ぎを起こしてしまっているから、なるべくなら村に立ち入ることは止めた方がいい。
そういうわけで、リリは彼らから金を受け取り、その金を使って村で食糧を買っては彼らのもとまで運んでくることにしたのだ。
リリは自分で選んで買ってきた、固めのパンを食いちぎる。夕食は彼らと共に取るのが、ここ数日のリリの日課となっていた。家族との食事は気まずくて、どうにも食卓につく気がおきない。イデは意地悪だし、難しい話ばかりするけれど、それでもあの気まずい食卓よりはだいぶましだと思う。だからこうしてリリはイデの長話に付き合っているのだ。
「『悪魔の力を使う』だの『悪魔の力で作られてる』だの、バカバカしいにも程がある。大体、悪魔ってのは何だ! 悪魔の定義とは何だ!」
ビシッ、とイデの人差し指がリリを指す。
「え? えと、……テイギって」
「悪魔って言うのが何なのかを聞いてるんだよ」
セージが横からそう囁く。こういう風にセージの解説なしでは、イデの話は全くわけが分からない。
「悪魔……」
リリは考えてみる。今まで悪魔、悪魔、と簡単に口にしてきたけれど、それは一体何なのかと聞かれると、答えに詰まってしまう。
「悪魔っていうのは……。悪いことをする……生き物?」
「生き物? じゃあ、その生き物はどんな生き物なんだ? 目はいくつある? 手は何本? 足は? どんな言葉を話して、どこに住んでるんだ? 誰か悪魔を見たことがあるってのか?」
たたみ掛けるようなイデの詰問。あまりの早口に、リリはそれらを全部聞き取れなかった。聞き取れたとしても、答えられなかっただろうけれど。
「ホラ見ろ。答えられねぇじゃねぇか。そんな曖昧模糊としたものに、マグスやドリィの力の源を求めたって無駄だ。それに、悪魔が悪いことをするってんなら、それは神とはどう違うんだ?」
「神と悪魔は違うわよ」
「だから、どう違うのかを聞いてんだよ」
「それは……」
やっぱり答えられない。
「どちらもどんな姿をしているのか具体的に分からず、誰も見たことも話したこともない。その上人間に災いをもたらす。どうだ、神も悪魔も変わらねぇだろ?」
言われてみれば、そうかもしれない。
イデの話はどれもこれも新鮮であった。リリには理解し難い話も沢山あったけれど(特に神だの悪魔だのという話は)、イデは事細かに詳しくそれについて話す。難しい言葉はセージが教えてくれる。そうしてゆっくりと咀嚼するようにイデの言葉を受け入れていくと、それは至極もっともなことだったりするのだ。
リリは今まで、神が何なのか、悪魔が何なのか、そういったことを考えたことなどなかった。おそらく村の皆だってそうだろう。しかし、こうして少し考えてみれば、イデが言うような疑問にぶつかる。疑問にぶつかってしまえば、神や悪魔に疑心を抱くことになるだろうが、誰もそれを考えていないから、誰も神や悪魔の存在を疑ったりしない。
「神と悪魔が同一のものだってことは分かったな。神などいないってことも話したはずだ。神がいないなら、それと同じ存在である悪魔だっているわけがない。だからドリィが悪魔の力で作られているってのもデタラメだし、マグスは悪魔の力なんて使うわけがない。大体、このヘラヘラした間抜けヅラが悪魔の力で作られてるって言って、お前信じるか?」
今度はセージへと人差し指を突きつける。
「間抜けヅラって……」
セージは眉尻を下げて、もごもごと口の中で何かを呟いたが、結局は閉口した。イデに反論したところで敵わないと分かっているのだ。
まあ、間抜けヅラ云々は除くとして、イデの言う通り、セージが悪魔の力で作られているなどリリには思えなかった。この優しく笑うドリィが悪魔と関連があるわけない。
「じゃあ、ドリィはどうやって出来るの?」
「どういう風に作られてると思う?」
ドリィがどうやって作られているのか。具体的なことは分からないが、耳にしたことはある。それは「クラフト」と呼ばれる悪魔使いが、何らかの儀式を行い悪魔と契約し、その力を借りて作るのだというものだ。けれど、ドリィが悪魔と何の関わりもないというのなら、きっとこの話は正解ではない。それは分かってけれども、他の答えが思いつかず、リリは間違っているであろう解答を示した。イデがまた怒ってしまうなと思いながら。
しかしリリの予測に反して、イデは怒り出さず、それどころか笑みを見せた。それはもう意地の悪そうな笑みを。リリがどう答えるか、ある程度予測していたのだろう。
「ドリィがクラフトの手によって作られる、っていうところだけは当たりだ。残りは見当外れもいいところだけどな。いいか」
イデがわずかに身を乗り出した。
「妙な偏見によって不当な差別を受けているのは、俺たちマグスやドリィだけじゃない。クラフトも然りだ。今まで俺の話を聞いていたなら分かると思うが、クラフトは悪魔とは何の関係もない。クラフトってのは、ある特殊な学問を修める者たちのことを言う」
「学問?」
「そう、クラフトは悪魔使いじゃなく、ただの学問の徒なんだ。『カガク』っていう学問のな」
「カガク?」
またもや聞きなれない言葉だ。リリは首を傾げる。
「カガクってのは、色々な物質の性質とか構造とか反応とかを調べる学問のことだ。その学問を極めたクラフトたちはあらゆる道具を作った。例えば、火を使わない灯りとか、声を遠い場所へと送る道具とか、馬よりも速く走る乗り物とかな」
「そんな……」
「信じられないか?」
リリは肯いた。いたずらに信じることなど出来ない。火を使わずにどうやって灯りを灯すのか。声を遠い場所へ送るとはどういうことなのか。馬よりも速い乗り物なんて想像もつかない。
「まあ、信じられなくても無理はない。確かに、カガクについて何の知識もない奴らからすれば、それは不思議で不気味な現象に、悪魔の力でも使っているように見えてしまうんだろうよ。だから大衆はクラフトを敬遠し、迫害した。自分たちには理解出来ないものを作り出し、使いこなしているからだ。だけどそれは特別な力でも何でもないんだ。ある程度、カガクを学べば誰だって理解し、使いこなせるものなんだ。お前だって例外じゃない。クラフトたちのように極めなくてもいい。ただ少し知識をつければ、カガクによって作られた物が別に怪しい物でもなんでもないってことが分かるだろう」
「それじゃ、ドリィも?」
「そうだ。カガクによって得た知識で作られている。クラフトたちの言葉ではアンドロイドとも言う」
イデの話はやはり難しい。リリの理解の二三歩先どころか、十歩くらい先を行っている。そしてイデはリリを置いてけぼりにしたまま、話を続けていく。
「そしてマグスは、ドリィに己の遺伝子から抽出された情報を記憶させることによって、マスター登録し、ドリィの主人となるわけだ」
「いでんし? ますたーとーろく?」
「イデ、もうちょっと砕いて話さないと、分かりづらいよ」
しきりに首をひねっているリリを見かねたのか、セージがそう言った。イデはセージに言われてようやく、話に付いて来ていないリリに気づいたようだ。
「あー、だから、ドリィに主人だってことを覚えさせるってことだ」
「あ! それ聞いたことある。マグスは体の一部を切り取って、ドリィに植え付けることで主人だってことを認めさせてるって」
「まあ確かに、切り取った体の一部を自分のドリィに植え付けるってことをしてる奴もいるが、別にそこまでする必要はない。マスター登録……主人だってことを覚えさせるには、髪の毛一本、爪ひとかけらぐらいあれば充分なんだ」
「でもそれじゃ……」
リリの脳裏にあの青い目のドリィの姿が浮かぶ。確かめたわけじゃないけれど、あの青い目は、処刑されたタクリ・キサイスのものであると思えた。
そのことを言うと、
「だから、そういった悪趣味なことをしてるマグスもいるって言ったろ」
と少し不貞腐れたようにイデは返してきた。
「イデは、そういうことしてないの?」
「あのな」
イデはますます不貞腐れる。
「見りゃあ分かんだろ!? 俺のこのスマートな腕が、セージのゴツくて太い腕に合うわけねぇだろ?」
確かに。イデの腕とセージの腕はサイズが見るからに違う。セージの腕とイデの腕では一回り……、いや二回りぐらい違うかもしれない。
「じゃあ、どうしてマグスはわざわざ体の一部を切り取ったりするの?」
その「ますたーとうろく」とやらが、髪の毛一本、爪ひとかけらで済んでしまうなら、わざわざタクリ・キサイスのように目を抉らなくても良いだろうし、イデのように腕を切り落とすことだってしなくて良いだろうに。
「そういう『しきたり』だからだ。いいか? マグスになるってことは、ドリィの主人になるってことは、大きすぎる力を手に入れるってことだ。ドリィは人の数倍もの身体能力を持つ。それらを自由自在に操ることが出来るようになるんだからな。だから体の一部を切除するのは、大いなる力を手に入れる前に行う戒めの儀式みたいなものだ。ドリィの主人になったからといって、決してその力に溺れないように、傲慢にならないように。ま、くだらねぇ因習だとは思うがな」
イデはそう吐き捨てたが、そう言うイデにも右腕がない。彼もしきたりには逆らえなかったのだろうか。リリはイデがおとなしく、そんなしきたりに従うとはとても思えなかった。
そう言うと、イデは少しだけ驚いた顔をし、それから眉根を寄せて、
「失礼な奴だな、オマエ」
と言い、それから……、
それから、ほんのわずかな時間、いや時間と言い表すこともためらってしまうくらいの刹那、
彼の顔から表情が消えた。
違う。ただの無表情ではない。そこに浮かび上がったのは、悲しみ。それから怒り。
それらを打ち消そうとせんがための無表情。
リリは咄嗟に顔を背けた。そのイデの無表情を、見てはいけないと感じたから。
そしてセージを見ると、彼も一瞬だけ、とても傷ましそうな顔をしていた。
「わ、わたし……」
リリは立ち上がって、砂埃を落とすためにお尻をはたいた。彼らが見せた、わずかな表情の変化が、この場に留まることが出来なくなるくらいの気まずさを呼んだ。この気まずさは、両親との食事の時間以上だ。リリはもうここに居たくないと思った。いや違う、居てはいけないと思ったのだ。
「わたし、もう帰るね。あ、そうそう、もうわたし、ここには来られないと思うから、食糧多めに買っておいたから」
「来られない?」
セージが鸚鵡返しに聞いてきた。
「うん、明日、家から出ちゃダメなんだ。生贄は収穫祭の前日は家族とだけ過ごすのが決まりなんだって」
そう、もう収穫祭はすぐそこまで迫っていた。
そしてリリは――
「答えは出たのか?」
イデが問い掛けてくる。
答え。
生か、死か。
リリはどちらかを選ばねばならない。
答えは――
「まだ……」
「……そうか」
この期に及んで、リリはまだ決めかねている。
生か、死か。
一度決めてしまえば、答えの変更は不可能だ。だからこそ、リリも慎重にならざるをえない。
家族も、友達も、住む所も、何もかもを失って、それでもリリは生きていたいと思うのか。
答えは出ない。
「まあいい。時間ギリギリまでじっくり考えてみろ」
「……うん」
「収穫祭当日、俺たちは生贄の儀式に乱入する。必ずお前のところまで答えを聞きに行く。……だから、それまでに決めておけ」
生か、死か。
収穫祭は、明後日。
半ば逃げるように秘密のお家を去り、自宅へと帰る途中、リリはナキルと会った。偶然、ばったりと出会わせたのだ。けれど、ナキルはリリを探してあちこち出歩いていたらしい。ようやく出会えたリリにナキルは、
「どこ行ってたのよー」
と口を尖らせた。
リリは「ごめんごめん」と笑って見せ、どこに居たのかをごまかした。幸い、ナキルはそれ以上追及してくることはなかった。
「で、どうしたの?」
「うん、コレ」
ナキルは手に持っていた何かを、リリへと突き出した。
「これは……」
それはひと目で手作りであることが分かる布製の人形であった。
ナキルは昔から、こういった手芸や料理などが得意で、特に人形作りはお手の物であった。ちょっとした布の切れ端さえあれば、ちょちょいと簡単に作ってしまう。あまりに簡単そうに作るので、リリも作ってみようと作り方を教わったことがあった。けれど、どちらかといえば不器用の類に入ってしまうリリは、見事に惨敗してしまったのだった。出来上がったリリの人形を見てナキルは、
「うん……、いいんじゃ……ないかな……」
と引きつった笑みを見せていた。その時、ナキルのこめかみの辺りを流れていた冷汗を見て、リリはもう二度と人形は作るまいと心に固く決めたものだった。
柔らかそうな布の肌、青いボタンの目、茶色い毛糸の髪、ナキルが今差し出している人形は、今までにナキルが作ってみせたものの中で、一番の出来であった。余った布で作っていた今までの人形と違って、この人形はあきらかに、わざわざ布を揃えて丁寧に作ってあるのが見てとれた。
「これ、リリにあげる」
「わたしに?」
ナキルはこくりと首を縦に振った。
「出来れば、ずっと持っていて欲しい……」
「ずっと?」
ずっと、明後日の収穫祭の時も。そういうことだろうか。
「あたし……、こういうことしか出来ないから……」
ナキルは一度頷いたまま、顔を上げようとしない。
「うん、ずっと持ってる。嬉しいな。わたし、ナキルの人形って大好き」
いつもと違って元気のないナキルを見て、リリはわざと明るい声を出す。ナキルは収穫祭が近くなっても態度の変わらない、ごくわずかな人々のうちの一人であったが、さすがに収穫祭を明後日に控えた今は、いつも通りとはいかないようだ。もう、こうして顔を突き合わせて話をする機会はこれが最後になってしまうであろう。リリは明日、外出を禁じられているし、明後日はもう収穫祭本番である。
(そうだ。もう、最後なんだ……)
今更ながらに実感した。これが、ナキルとの最後のお喋りなのだ。
ナキルは物心ついた頃からの親友で、何をやるにもいつも一緒であった。またナキルはリリの憧れでもあった。ナキルは明るくてハキハキした性格は多くの人に慕われ、ナキルはリリたちと同年代の少女たちの間ではリーダー格であった。ナキルに相談して解決しなかったことなどないし、落ち込んでしまったときも、ナキルが「大丈夫!」と背中を叩いてくれれば何でも出来るような気がした。
ナキルは一番の友達、今までも、そしてこれからも。
(これから?)
どうだろうか。ナキルはこれからもリリのことを友達だと思ってくれるだろうか。
明後日、リリが死を選び、生贄としての役割をまっとうしたとしたら、ナキルは友達として泣いてくれるだろうと思う。そして心の中でいつまでも友達だと思っていてくれるだろう。
けれど、生を選んだとしたら? 村を捨て、家族を捨て、友達すら捨てて、生贄という運命から逃げ出したならどうだろう。ナキルはリリを罵り、なじるだろうか。裏切られたと思うだろうか。許してはくれないだろうか。
リリはそっと差し出された人形へと手を伸ばし、ナキルから人形を受け取った。
その時、リリには分かった。ナキルが震えている。
「ナキル?」
ナキルは顔を伏せたままだ。よく聞くと、彼女の口からは小さな嗚咽が漏れていた。
「リリ!」
ナキルが唐突に顔を上げ、リリに抱きついてきた。リリの首に腕を回し、しっかりとリリがここに生きていることを確認するかのように。
「ナ、ナキル?」
「ごめんね。あたし、こんなことしか出来ない。何の役にも立たない人形を作るぐらいしか出来ない!」
ナキルが泣いている。気丈で、いつだって強気だったナキルが。
泣いている。声を押し殺すことすらせずに。
(ああ……)
リリはナキルの肩に額を押し付けた。
(わたしは選べるの? こんなナキルを裏切ってまで……)
生を。




