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ドリィ  作者: 萩尾さく
第二章 片腕のないマグス
4/22

2-2

 村の南の外れには森がある。

 その小さな木の群生地は森と呼ぶには規模が小さいものであったが、とにかく村で一番、木が生い茂っている場所だということには変わりない。それゆえ、村人たちからは「森」の名称で呼ばれていた。

 リリがこの森へ足を踏み入れるのは、ずいぶんと久しぶりのことであった。

 幼い頃は、「狼が出るから」、「暗くて危険だから」という理由でこの森へと立ち入ることを禁じられていたが、禁じられれば禁じられるほど、その場に入り込みたくなるのが子供というものである。この森はリリと仲の良い幼なじみたちの秘密の遊び場であった。

 けれど歳を重ねるごとに、自然と男の子たちとは疎遠になり、また女の子同士でも気が合う者、合わない者とがはっきりしてきて、昔のように無邪気に駆け回ることが出来なくなっていた。未知の世界に繋がっているように感じられていた森も、成長してくるにつれ、森と呼ぶのもおこがましいほどのものでしかないことに気づいた。体いっぱいに溢れていた冒険心は薄れ、いつの間にか足を運ばなくなっていた。

 森を少し入ったところに、子供たちしか知らない秘密の獣道がある。そこを通り、ちょっとした段差を飛び降りて、更に進む。森のあらゆるところから伸びた蔓が、自然のトンネルを作っており、それをくぐりぬけた先に、リリたちが子供の頃に作った秘密のおうちがあった。

 秘密のお家、といっても本当に家が建っているわけではない。蔦のトンネルがそのまま続いて天然の屋根を形成し、その奥に洞窟があるのだ。洞窟はほんの少ししか奥行きがなく、洞窟というよりはくぼみと言った方がより正確かもしれない。リリたちはそこに宝物を持ち寄って隠したり、おやつを持ち込んだりしていたものだ。

「どう? 宿屋とは比べものにならないけど、ここも結構快適だと思うよ」

 秘密のお家がまだ残っていたことに、どこか嬉しさを覚え、思わず声が弾んでしまう。振り返ると、二人の男たちが蔓のトンネルに悪戦苦闘しているところだった。

 子供の頃は何とも思っていなかったが、今改めて通ってみると、蔓のトンネルは意外と狭い。小柄なリリでさえ軽く屈まなければならないくらいだ。男たちにとっては通りやすいとお世辞にも言えないことだろう。特に大柄な男は、ほとんど這いつくばるようにしてトンネルを進んでいた。

「ありがとう。雨露をしのげる場所を教えてもらっただけで充分だよ」

 体中に葉っぱをくっつけながら大柄な男が笑った。目付きの悪い男は、相変らず不機嫌そうな顔で秘密のお家を見回している。

 宿が村に一軒しかないことを告げた時の二人の表情といったら、悪いとは思うけれども笑ってしまいそうになるくらい、情けないものだった。大柄な男は「何てこった……」と天を仰ぎ、目付きの悪い男は「これだから田舎は……」と延々と文句を言い続けた。もちろん早口で。

 その反応があまりにも哀れに見えたので、リリは家に泊めてやろうかと持ちかけた。男たちは得体の知れない余所者であるし、酒場での一件からして変わり者であることが窺える。その上マグスの疑惑付きだ。普通ならば、家に泊めようなどと思わなかっただろう。

 でもリリは、この二人が悪人であるとは思えなかった。道端で言い合いをしている二人を見て、いい二人組みだなと感じた。何となくではあるが、二人のまとう雰囲気が心地良いように感じたのだ。

 いきなり余所者を連れてきたら、両親は驚くだろうし、嫌な顔をするかもしれない。でも二人を泊めることを拒否することはないだろう。今の両親は、リリの言うことなら何でも聞いてくれる。収穫祭を一週間後に控えた今ならば。

 でも、この申し出を二人の男たちは断った。「それではお前の家に迷惑をかけることになる」と。

「さっきの酒場の奴らが何もしないとは考えられない。ひょっとしたら、中央からオーダーでも呼んでくるかもな」

 目付きの悪い男がそう吐き捨てていた。

 考えられることではあった。あの時、酒場にいた者たちは、この右腕のない男をマグスではないかと疑った。その疑惑は、二人の男に対する警戒を薄めたリリですら捨てきれないでいる。酒場にいた者たちならなおさら強い疑念を持っていることだろう。

 だからリリの家に泊まるということは、リリの家族を面倒なことに巻き込みかねないと、二人の男たちはそう言うのだ。

 では、どうすればいいのか。それを考え始めたリリに、大柄な男が言った。

「どこか野宿できそうなところはないかな?」

 そう言われて、リリが思いついた場所というのが、この秘密のお家であったのだ。秘密のお家は森の中の分かりづらいところにあるし、リリの昔の仲間たちもここの存在を忘れているだろう。リリだって今日の今日まで忘れていた。ここならば、もし中央からオーダーや紅の十三使徒などがやってきたとしても、そう簡単には見つからないだろう。

 そして現在に至る、というわけである。

「この村には、いつまでいるの?」

 秘密のお家の一角に荷を下ろし、腰を落ち着けた大柄な男にリリは聞いた。

「こんなことになっちゃったから、なるべく早く出た方がいいと思うけど」

「それはそうだけどね……」

 大柄な男は困ったように笑う。

「収穫祭までは出ていかねぇぜ」

 目付きの悪い男が口を挟んできた。

「もともと、収穫祭目当てでこんな辺鄙なところまで来たんだ」

「辺鄙って……」

 目付きの悪い男は、目付きだけでなく口も悪い。酒場にいたときから、この村のことを田舎だのなんだの酷い言いようだ。

「イデ……! のどかでいい村じゃないか」

 大柄な男がたしなめるように言う。

「のどか? つい一週間前に処刑があったところをのどかって言えんのか?」

 リリも大柄な男も言葉に詰まった。

「それに一週間後にはまた処刑があるんだろ?」

「処刑……?」

 リリは聞き返す。また処刑があるなんて話、リリは聞いていない。

「収穫祭だよ。生贄がでるんだろ?」

 リリは更に言葉を詰まらせ、息を呑む。目付きの悪い男は、収穫祭を、神に供物を捧げる儀式を、処刑と言った。

 ならば、リリは処刑される罪人なのか。

「イデ、いい加減に……」

「同じことだろ。マグスを殺す公開処刑も、収穫祭の生贄も、罪のない奴らを無意味に殺す。おんなじだ」

「…………」

 無意味?

 生贄が無意味?

 この男は何を言うのだろうか。生贄は無意味ではない。村を守るために必要なことだ。それなのに……。

 リリは緩くかぶりを振った。

「無意味じゃない……」

「あ?」

「無意味なんかじゃない!」

 そうだ。生贄が無意味だというなら、自分は何のために死ぬのか。

「無意味だよ」

 目付きの悪い男はキッパリと言い切る。リリを見る目には、一片の迷いもない。リリは言い返すことが出来なかった。

 リリには迷いがあったから。

 小さい頃から十五までしか生きられないと言われ続け、自分なりに心を整えてきたつもりであった。自分は村のために死ぬのだ。村を守るのだと。


 でも――


 本当は、心の奥底で考えていた。何故自分は死ななければならないのか。どうせ死ぬなら、何故生まれてきたのか。何故、他の誰でもなく自分でなければならないのか。

 何度考えても答えは出ない。だから、「村のため」、「皆のため」と己をごまかしてきたのだ。

 見透かされている。この男の険しい目に。

 それでも、リリはかぶりを振った。

 ここまできて、あと一週間というところまできて、今更死ぬのが怖いなどと言えるわけがない。もう決まったことなのだ。リリが生まれたときから、決まっていたことなのだ。

「無意味じゃ……ない……」

 悲しくなるくらい、リリの言葉には力がなかった。目付きの悪い男の姿を見ていられなくて、顔を俯ける。目付きの悪い男が、浅く息を吸うのが分かった。その口から、また言葉が発せられる。リリの心を抉るような言葉が。

 だが、


『ぐー』


 男の口から言葉は出てこなかった。その代わりに秘密のお家に響いた少し間の抜けた音は、目付きの悪い男の腹から発せられていた。

「は?」

 リリは伏せていた顔を上げて、目付きの悪い男を見る。

 男は、真っ赤な顔をして、腹を押さえていた。

 そういえば、この男はあの酒場で食べ物を注文したにも関わらず、腸詰めを一口しか食べることしか出来ていなかった。

「お腹、空いてるの?」

「うっ、うるせえ! お前には関係ないだろ!」

 目付きの悪い男は、ますます顔を赤らめて、リリから顔を逸らした。

 リリは酒場の主人からもらったマフィンへ目をやる。このマフィンはリリの大好物で、家に帰ったらゆっくり食べようと思っていたけれど、どうやらこの男の腹に納まることになりそうだ。



 あの後、リリは二人の男にマフィンを与えると、そのまま帰途についた。あまり遅くなると両親が心配するからだ。その際に、翌朝食べ物を持ってまた来ると言うと、大柄な男は丁寧な言葉で感謝の意を述べた。それから男たちは、まだ名乗ってもいないことに気づき、始めて自己紹介をした。

 大柄な男はセージ。目付きの悪い男はイデ。そういう名であった。

 家に帰ると、母が玄関のドアの前でウロウロしながらリリの帰りを待っているところであった。母はリリの姿を見ると、今にも泣き出すのではないかというぐらいに顔を歪めた。

「リリ……。ずいぶんと遅いから心配したんだよ……」

 そう言って、リリに抱きつかんばかりに身を寄せる。

 母がリリの身を案じるのは分かる。腹を痛めて生んだ娘であるというばかりでなく、収穫祭を控えたこの時期に、リリに何かあったならば、村は混乱すること間違いなしであろう。今更代わりの生贄を用意するにも時間がない。

「ごめんなさい。ちょっと寄り道してて……」

 リリは母から顔を逸らし、肩にかかる手を少しだけ乱暴に外すと家へと入っていった。「どうして遅くなったのか」それを聞かれたくなかったからだ。秘密のお家からここまで、ずっとどうやって遅くなった言い訳をしようかと考えたのだが、いい考えは浮かばない。だから、「どうして」と聞かれないようにしなくてはと思ったのだ。

 奥では父が安いエールの杯を傾けていた。その父にも「ごめんなさい」と言うと、リリは台所に葡萄酒を置いて、逃げるように部屋へと足を向けた。

「リリ!」

 背後から母がそう呼びかけてくる。出来ることなら無視してそのまま部屋へ行ってしまいたかったけど、それも不自然だと思い、リリは足を止めた。

「何?」

「お前、夕飯は?」

「……今夜はいい。お腹空いてないから」

 嘘ではなかった。あまり食欲はない。それに、ここのところずっと続いていた、食卓を家族で囲んだ時の気まずさといったら……。

 両親はリリの心情を慮ってか、むりやり明るい声で明るい話題を選んでしゃべっているのがよく分かった。でも両親はその態度が余計に気まずさを盛り立てていることに気づかない。

「そうかい……?」

 母の声が極端に沈み込む。リリに罪悪感がのしかかってきた。確かにあの二人組みのことを黙っているという後ろめたさもあるが、それ以上に両親の気遣いを無為にしているという思いがそれを生んでいた。しかし、よくよく考えれば別にリリが罪悪感を持つことは、ひとつもないのである。むしろそれを感じるのは、リリに死を強要する両親を始めとした大人たちであろう。

「ねえ……」

 リリは自分でも気づかぬうちに、台所へと向かおうとしていた母を呼び止めていた。

「もしも、わたしが『死にたくない』って言ったらどうする?」

 自分で自分がわからない。今更、こんなことを聞いてどうするのか。言ってしまってからリリは後悔した。今までに何度も喉まで出かかった台詞である。しかし、それを聞いてはいけないと、リリは分かっていたはずだった。それなのに何故、口から出てしまったのだろう。

 母は戸惑った顔をしてリリを見た。何も言わずに、せわしなく瞳だけを動かしている。何と言っていいのかが分からないのだろう。

「ごめんね、何でもない。聞かなかったことにして」

 リリは曖昧な笑顔を浮かべ、母に背を向けた。

 部屋に入ると、リリはランプに灯をともすこともせず、寝台に腰を下ろした。

「どうしよう……」

 声に出してみる。誰も答える者はないと分かってはいたけれど。

 リリの中にあった「迷い」が頭をもたげてきている。今までずっと、「村のため」「皆のため」となだめすかしてきた「迷い」が。

 原因は、あの目付きの悪い男――イデの存在だ。

 あの男は収穫祭に捧げられる生贄を、処刑だと言った。マグスを殺す処刑も、神に捧げる生贄も同じだと。

 では、一週間前に首を切断され、この世を去ったあの眼球のないマグス、タクリ・キサイスと自分は同じなのだろうか。

 タクリ・キサイスは何故、死を選んだのだろう。充分に逃げられる状況にありながら、どうしてむざむざ死へと向かったのだろう。

 そして自分は何故、死を選ぶのだろう。

「村のためだから。わたしが死なないと、村に不幸が訪れる……。だから……」

 口に出して呟く。そうしないと、自分がどんどん崩れていくような気がした。小さい頃から積み重ねてきた覚悟が、塵になって吹き流されてしまうのではないかと、そんな気がしたからだ。



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