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ドリィ  作者: 萩尾さく
第一章 処刑の日
2/22

1-2

 広場の中央には、大人の背丈ほどの高さの台がしつらえてあった。それが公開処刑の舞台となる。

 舞台の上には断頭台。リリは断頭台というものを初めて目にした。ロープで吊り上げられている巨大な刃に傾きかけた陽の光が反射し、リリの目を射す。村人たちは舞台を取り囲むように集まり、やはりひそひそと大声を上げることなく囁き合っている。

 舞台上に一人の司祭と五人のオーダー、一人の罪人、そして一体の人形が上った。

 オーダーのうち二人は目隠しの男の肩をつかみ、断頭台のすぐそばへ。もう二人はドリィの両腕をつかんで舞台の片隅へ。一人は斧を手にして、巨大な刃を吊るして断頭台の上を通り、舞台上に固定してあるロープの元へ。ネズミ顔の司祭は、断頭台のすぐ脇へと立つ。赤いマントの男は舞台上に上がらず、舞台へ上がるための短い階段の一番下で、舞台を見上げていた。

 目隠しの男の肩をつかんでいるオーダーのうち一人が、目隠しの男の膝裏に蹴りを入れて、男をむりやりひざまずかせる。ぐいぐいと目隠しの男の肩に力を入れ、そして断頭台の下方にある半月状にくぼんだ部分に男の首を押し当てた。すかさず上から男のうなじにぶつけるように、やはり半月状にくぼんだ部分がある板をはめ込んだ。

 男の首が、しっかりと断頭台に固定された。もう逃げることは適わない。

 リリがいる場所は、丁度目隠しの男の正面。断頭台によって完全に動きを奪われた男の頭頂部が良く見えた。

 リリは無意識のうちに拳を固く握り、息を止めて、この光景を見ていた。握った拳の内側が、じっとりと汗で濡れていくのが分かる。それでも手に込めた力を抜くことは出来なかった。

 あの目隠しの男には、あと数分で「死」という運命が訪れる。

 一体、どんな気持ちなのだろう。

 死の直前というのは。

 リリは正面にいたから良く見えた。男は断頭台に押しやられているときもずっと、表情を変えなかった。大通りを歩いていた時と同じように、その口元はずっと結ばれたままだった。

 怖く……ないのだろうか?

「これより、処刑を執り行う!」

 舞台上でネズミ顔の男が、声を張り上げた。

「罪人、タクリ・キサイスは悪魔と通じ、人ならざる力を得、人民を恐怖に陥れた。その罪は重大であり、許し難いものである!」

 リリはこのとき初めて目隠しの男の名を知った。

 タクリ・キサイス。

 覚えておこう。他の誰が忘れても、自分だけはしっかりと覚えておこう。

 死んでしまっても、その存在が消えないように。

 リリは、あの死に逝く人形遣いと何ら面識があるわけではない。リリにとってあの男は、処刑される重罪人でしかないし、あの男にとってリリは、数多い見物人のひとりに過ぎない。

 それでも、リリは「タクリ・キサイス」の名を心に刻み込んだ。

 今、この時、リリの目の前で消えていくであろう一つの命を、心の中に留めておきたかったのだ。

 タクリ・キサイスを断頭台に押し付けていた役人のうちひとりが、タクリ・キサイスの頭のすぐ下にバケツのような形をしたカゴを置いた。切断した首を入れるためのものだ。

「最期に何か言うことはあるか?」

 ネズミ顔の司祭がタクリ・キサイスにそう言った。

 タクリ・キサイスは断頭台の脇に立つネズミ顔の司祭を窺うかのように、わずかに顔を上げる。首を固定されているから、本当にわずかしか動かなかったけれど、それを見たネズミ顔の司祭は一歩退いた。リリのいる場所からは分からないが、気の弱そうなネズミ顔は、この期に及んでなお表情を崩さない男に気おされているのかもしれない。

 そしてタクリ・キサイスは声を上げた。

「インビジブル!」

 張りのある、しっかりした声であった。

「はい」

 その声に応えたのは、舞台の片隅で両側を役人に固められているドリィの女。インビジブルというのは、あのドリィの名なのであろうか。

「最期の頼みだ。…………逃げろ。そして逃げ切ったらマスター登録を抹消。いいな!」

「貴様っ! 何を言うかっ!」

 突然ドリィに命令を下した人形遣いに、ネズミ顔の司祭が泡を食った。キィキィと耳障りながなり声を立て始めている。リリの周りにいる見物人たちも、一斉に騒ぎ始めた。「あの人形遣いは、何を言い出すのか?」と。

 その騒ぎの中、タクリ・キサイスは本当に最期の言葉を発した。その声は、騒ぎに紛れてしまったけれど、ずっとタクリ・キサイスを見ていたリリには届いていた。

 彼はこう言った。

「生きろ。そして自由になれ」

 その言葉は、インビジブルというドリィにも届いていたようだ。

「イエス。マスター」

 ドリィは抑揚のない声でそう応えると、体の前で拘束されている両腕に力を入れた。ブチブチと音を立てて、ドリィの両手首を縛っていたロープがいとも簡単に千切れていく。

「なっ……!」

 ドリィの両腕をつかんでいたオーダーのうちどちらかが、そう声を上げた。だがその驚きの言葉は続くことはない。その間も与えられることなく、腕を振ったドリィによって体を吹き飛ばされていたからだ。

 何という力だろうか。あの細腕からは想像も出来ないほどの力。これがドリィの力なのだろうか。

「ななな何をしている! 早く捕まえんかぁ!」

 ネズミ顔の司祭が、そう怒鳴った。けれど、その声に反応する者は誰もいない。ドリィに吹き飛ばされたオーダーはまだ起き上がっていないし、他のオーダーたちは何が起きたのかよく理解出来ていないのだろう。呆然と立ち尽くすだけであった。かく言うネズミ顔の司祭も、喚き散らすだけで一向に動こうとしない。見ればその足はガクガクと震えていた。これでは動きたくても動けないに違いない。

 自由になったドリィは、舞台上から跳躍する。

 着地したのは、リリのすぐ前。リリの周りの人々は、「ワァッ!」と声を上げて、少しでもドリィから離れようと身を引いていく。

 けれどリリは、その場から動かなかった。後ろから「リリ!」とナキルの叫ぶ声が聞こえる。それでもリリは動かない。目の前で立ち上がる美しいドリィを、ただ見ていた。

 ドリィは首だけを後ろに向けて、断頭台を見上げた。

「タクリ……」

 ドリィの口から、そう呟きが漏れた。その声はやはり抑揚がなく、冷たく響く。

 けれどもリリは、このドリィが目隠しの男を気にしているのだと感じた。あのマグスの男を残して逃げていいものか、このドリィは迷っているのだ。

「インビジブル、行け!」

 ドリィの向こう側から、タクリ・キサイスの声がした。

 どうしてあの男は、逃げようとしないのだろうか。

 このドリィの力を持ってすれば、あの断頭台から逃げることなど容易なことであるはずだ。いや、それ以前にあの大通りを歩いているときになら、もっと簡単に逃げられたはず。それなのに、どうして……。

 リリの思考はそこで中断させられた。視界いっぱいに広がった赤によって。

 リリとドリィの間に、男が立った。男の背に垂れているのは深紅のマント。紅の十三使徒だ。

「簡単に逃げられると思うなよ、人形めが」

「ターゲット、オーダー・紅の十三使徒、シン・トゥール。確認」

 十三使徒の男の低い声に対して、ドリィの声はどこまでも平坦だ。

 紅の十三使徒が身を屈めた。右足を曲げ、左足を後方へと伸ばす。地面すれすれにまで上体を沈め、だが顔だけは正面を、ドリィを見ている。

「バラバラにしてやる……、人形!」

 一瞬、体重を後ろにかけたかと思うと、紅の十三使徒は一気にドリィへと飛び出していた。紅の十三使徒が蹴り抉った土が、後ろにいたリリの脛に降りかかる。

 赤いマントの男の動きは素早く、人間離れしていた。

 対するドリィもただ黙ってやられる訳がない。紅の十三使徒が飛び出すとほぼ同時に、彼女はリリから見て左の方向へと飛び退いていた。

 紅の十三使徒は、さきほどまでドリィがいた場所で屈んでいる。飛び出す前と変わらない体勢だ。飛び出す前と違うのは、彼の右手。彼の右手は、地面と水平に横へと伸ばされ、その手に握られているのは鋭く光る片刃の剣。リリには彼がいつ武器を抜き放ったのか、認識することすら出来なかった。

 ぐりっ、と紅の十三使徒が顔を左へと向けた。その視線の先にドリィがいる。ドリィも変わらず表情のない青い目で、紅の十三使徒を見ていた。

「ターゲットの戦闘レベルをBプラスと認定。反撃に――」

「インビジブル、構うな! 逃げろ!」

 ドリィの声を遮って叫んだのは、タクリ・キサイスだった。ドリィの青い目が断頭台へと移る。その隙を、紅の十三使徒は見逃さなかった。また低い体勢から、急激に飛び出す。何の前触れもなく飛び出す男の動きは、予測しづらい。けれど、それでもドリィは、紅の十三使徒が繰り出す刃を紙一重でかわした。

「了解。退避行動に移る」

 ドリィは身をひるがえした。

「逃がすか……!」

 すかさず紅の十三使徒が間を詰める。速い。リリはその動きを追うだけで精一杯だ。

 だが男の剣はまたしても空を切り、ドリィは人間にはありえない跳躍力で、中空へと舞い上がった。ドリィが跳んだ方向の見物人が、ざわっと声を上げて逃げていく。

「しょ、処刑だ! 殺してしまえ!」

 舞台上でネズミ顔が怒鳴った。

 舞台下の人々は逃げ惑っている。その場から一歩たりとも動かなかったリリは、結果的に舞台に一番近い場所にいた。だから、ネズミ顔の甲高い声が耳に入った。場は騒然としていて、もう誰も舞台を見ていない。だから、その瞬間を見ていたのは、ネズミ顔の司祭とリリだけであった。

「やれ!」

 ネズミ顔の司祭の指示により、斧を手にしたオーダーが、その得物を頭上へと振りかぶる。そして断頭台の巨大な刃を吊り下げ、ピンと張られたロープへと勢い良く――


 事は一瞬で済んだ。

 あまりにもあっけなく、何でもない事のように。

 巨大な刃を断頭台上部に留めておくためのロープは断ち切られ、ロープの拘束から解放された刃は、何にも制約されることなく下降していく。その刃が断頭台の下までたどり着くには、まばたきする間すらいらなかった。そして彼の人の首は、コロリと転げ落ちる。

 リリの周囲から音が消えた。

 実際はまだ、場をかき回すドリィと紅の十三使徒のおかげで、あたりは怒号と悲鳴とざわめきでひしめき合っている。しかしそれらの音はすべてリリに届いていなかった。リリの体に半透明の幕でも張られているかのように、音は遠くなり、光景が霞んで見えた。はっきりと見えるのは、転げ落ちた首、それだけ。

 彼の人の首は下に置かれたカゴに上手く入らなかった。カゴの淵に頬の部分があたり、弾かれてカゴの外へと飛び出す。それは舞台上で跳ね、クルリと周りながらリリの前へと落ちてきた。

 顔がリリの方を向いていた。最期まで外されることのなかった目隠しが、少しずれている。目隠しの下の瞼は閉じられていた。

 リリはよろよろと首へと近づいていった。そっとしゃがみ、首へと手を伸ばす。

 不思議と、怖いとも不気味だとも思わなかった。伸ばした手が震えることもなかった。

 頬に触れる。もう片方の手も伸ばし、反対側の頬へ。

 少しだけ力を入れて、リリは首を持ち上げた。

 まだ、温かい。

 でももう、この人は死んでしまった。

 もう、この世のどこにもいない。

 ついさっき、この口から発せられた声をもう聞くことはない。

 彼が何を考えていたのか、それを聞くことも出来ない。

 彼がその表情を変えることもない。

 彼はただの「死体」というものになってしまった。

 これが、死ぬということ。

 感覚が麻痺している。

 切断された首を手にしているというのに、何の感情も湧いてこない。

 ただ「死」というものの事実だけを受け止めていた。

 死――。

 人ならば決して逃れられない運命。

 その運命は、あと二週間の後、リリ自身にも降りかかってくる。

 二週間後、この村では五年に一度の収穫祭が行われる。

 これまでの豊作を祝い、またこれから五年の豊作を神に願う。

 これまでの平和を感謝し、またこれから五年の安泰を神に祈る。

 この国では、神は敬愛し崇めるものではない。

 畏怖し、鎮めるものである。

 祈りの言葉は「我らを救いたまえ」ではなく、「その怒りをお鎮めください」であった。

 そして神の怒りを鎮めるために、収穫祭では毎回生贄が出された。

 今年十五歳になる少女の中で、一番収穫祭に誕生日が近いもの。それが生贄の条件。

 今年、その条件にあてはまるのは、リリであった。


 リリは、あと二週間後にその命を終える。

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