スライム一匹?
森は静かだった。いや。
正確には、静かになりすぎていた。
風の音すら遠慮しているみたいに。
若い冒険者の喉が、ごくりと鳴る。
「い、いや……その……」
ミコは笑顔だった。怒鳴らない。剣も抜かない。
ただ、抱えているスライムをそっと撫でている。
「プルは“一匹”じゃないよ」
「ちゃんと名前あるから」
若い冒険者は乾いた笑いを浮かべた。
「そ、そういう意味じゃなくてさ! ただの言い方っていうか……」
「ただの?」
「え?」
ミコは首を傾げる。黒髪がさらりと揺れた。
「じゃあ、君も“ただの人間一匹”って呼ばれて平気?」
「…………」
「私は嫌かな」
声は静か。でも森全体が圧迫されるみたいに重い。
先頭の冒険者が慌てて割って入る。
「お、おい! 悪かった! こいつ口が軽くて!」
「別に怒ってません」
即答。怖い。全員そう思った。
怒ってない人間は、地面を微妙に震わせたりしない。
ミコはプルを持ち上げる。
「ね、プル。嫌だったね」
すると若い冒険者が半泣きで言った。
「ご、ごめんなさいプルさん!!」
沈黙。ミコが瞬きをする。
「……さん付けした」
「え?」
「偉い」
空気が軽くなった。
森が解放されたみたいに、枝葉がざわめく。
冒険者たちは一斉に息を吐く。生きた心地がしなかった。
ミコは満足そうに頷いた。
「うん。ちゃんと謝れる人なんだね」
「は、はい……」
「じゃあ大丈夫」
若い冒険者は膝から崩れ落ちた。危なかった。
本能がそう告げていた。
あと三秒謝るのが遅れていたら、何か巨大なものが消えていた気がする。たぶん自分。先頭の冒険者が咳払いする。
「……改めて名乗る。俺はガルド。こっちはリナ、そんでこいつがユウトだ」
金髪の女剣士リナがぎこちなく頭を下げる。
「よろしく……プルさん」
「おいそこまで行くと逆に変だろ」
「でも怒らせたくないし……」
ミコは少し考えてから言った。
「私は雨宮ミコ」
「アマミヤ?」
「名字」
「ミコでいいか?」
「うん」
ガルドは、ちらりと森の奥を見る。
一直線に消し飛んだ木々。どう見ても災害跡。
「……あれ、本当に嬢ちゃんがやったのか?」
「たぶん」
「“たぶん”で森は消えねえんだよ」
ミコは不思議そうに首を傾げる。
「でも、プルが危なかったから」
それが理由として十分すぎるみたいに。
ガルドたちは顔を見合わせた。ダメだ。価値観が違う。
リナが恐る恐る聞く。
「そのスライム……使い魔とか?」
「違うよ」
ミコは即答した。
「大切な子」
ぷる。その瞬間だった。森の奥から、低いうなり声。
ズシン。ズシン。木々が揺れる。ガルドの顔色が変わる。
「最悪だ……!」
現れたのは巨大な猪型魔獣。岩みたいな皮膚。
赤黒い牙。突進猪。
新人殺しで有名な魔物だ。リナが剣を抜く。
「ミコちゃん下がって!」
ユウトも青ざめながら短剣を構える。
だが。プルが。ぴょん。
ミコの腕から飛び降りた。
「あ」
地面へ着地。そして。
ぷるぷるしながら、ボアブルの前へ出る。ガルド絶叫。
「スライムが前線に出るなァ!!」
ボアブルが咆哮。
突進。地面が砕ける。
「……プルから離れて」
次の瞬間。ボアブルだけが消えた。
本当に、消えた。爆発も悲鳴もない。
巨大な魔物がいた空間だけ、綺麗になくなっている。
後ろの崖が丸ごと抉れていた。沈黙。
ユウトが震える声で言う。
「……あの」
「なに?」
「プルさん、絶対大事にしてください」
「もちろん」
ミコは優しくプルを抱き上げた。
「勝手に行っちゃ駄目だからね?」
その後ろで。ガルドは小声で呟く。
「王国に報告するべきか……?」
リナは即答した。
「やめとこ」
「なんで」
「“スライムを狙うかもしれない人類”って認識されたら終わる」




