6 フォレストラー侯爵サイド
「……遅い。どういうことだ。」
ウィリアム・フォレストラー侯爵は、壁に掛けられた時計を見て眉を寄せた。
約束の時間はとうに過ぎている。
伯爵家の馬車が出発したと聞いたのは、もう5時間以上も前のことだ。伯爵家から侯爵家まで馬車を使えば3時間ほどで移動できる。
それなのにも関わらず、まだ伯爵家の馬車が来ないのだ。
フィラーレが来るのを指折り数えていたフォレストラー侯爵は机の上を指でトントントンと強く叩いた。
「逃げちゃったんじゃないの?」
軽い調子であくび混じりに声を上げたのはフォレストラー侯爵の悪友である皇太子のアレスだ。皇太子らしくなく、フォレストラー侯爵の部屋の重厚なソファーに足を組んで寝そべっている。
「……。」
フォレストラー侯爵はアレスの言葉にしばしの沈黙で答える。
「おおこわっ。お前がそんなんだからフィラーレちゃん逃げちゃったんだって。可愛そうだよねぇ。フィラーレちゃん。まだ若いのにこぉ~んなにこわぁいウィリアムの奥さんになっちゃうだなんて。しかも、聞けば婚約期間もそこそこに婚姻したんだって?
フィラーレちゃんが他の誰かにとられちゃうかもって思ったのかもしれないけどさぁ、いささか性急過ぎじゃないかな?もっと余裕を持たないと可愛い女の子は逃げていっちゃうぜ?」
赤みを帯びた金髪を無造作に手で撫で付けながら、軽薄な口調で確信をついたような言葉を吐くアレスをフォレストラー侯爵は目に力を込めて睨みつけた。
「逃げたらどうなるかは、カンタータ伯爵にきちんと釘を差してある。」
「それって、脅したんでしょ?」
「……脅しではない。」
フォレストラー侯爵は、そう言いながらも乱暴に新月の夜空のように真っ黒な髪を乱暴にかきあげた。
「駄目だよ。ウィル。君は優秀だけど、女性についてはダメダメだよ。女性に脅しは厳禁だ。」
「フィラーレを脅してなどいない。」
「カンタータ伯爵を脅したんでしょ?それはフィラーレちゃんを脅したのと同意義だよ。」
「むっ。」
「まったく、君は本当に不器用だねぇ。今日だってここで首をながぁ~くして待ってるんだったら、迎えに行っちゃえばよかったのに。」
アレスがそう言うとフォレストラー侯爵は目を大きく見開いた。まるで目から鱗が落ちたかのようだ。
「あれ?その様子じゃ迎えに行くって選択肢があることに気づいてなかったの?」
アレスがそう言うが早いか、フォレストラー侯爵が上着を手に取ったのが早いか。フォレストラー侯爵は客人であるアレスのことを振り返ることもなく、部屋を出ていってしまった。
「あー行っちゃったよ。まったく僕は皇太子なんだけどなぁ。普通僕を置いていかないでしょ。ほんと、フィラーレちゃんのこととなると正常な判断が出来ないんだから。」
フォレストラー侯爵が出て行った部屋でソファーに寝転びながらアレスは独りごちると、そのまま大きな欠伸をして目を閉じた。
☆☆☆☆☆
「旦那様、いったいどちらへ?」
階段を駆け降りるフォレストラー侯爵を侯爵家の執事であるバトラーが止めた。
今日はフィラーレを迎える予定なのだ。それなのにフォレストラー侯爵が外出しそうなので、慌てて声をかけたのである。
フォレストラー侯爵は億劫そうにバトラーを一瞥すると、
「遅いから迎えに行く。」
と、常にない低い声で告げた。
「ああ、そうでしたか。行き違いにならぬようお気をつけください。」
「ああ。」
バトラーは穏やかな声でフォレストラー侯爵を見送った。
フォレストラー侯爵は、厩に行くと愛馬の手綱を握る。
真っ白な鬣の愛馬はフォレストラー侯爵を見ると「ヒヒーン」っと一声嘶いた。愛馬の鬣を数度愛しげに撫でると、おもむろに背に乗る。
「フィラーレの元に急ぐんだ。」
胸のポケットから取り出した年代物のハンカチを取り出すと愛馬に匂いを嗅がせる。
ハンカチは丁寧にアイロンがけされ、厳重に封がされていた。肌見離さず持っているからか、ハンカチを入れてある袋は所々がほつれていた。
フォレストラー侯爵の愛馬は、小首をかしげて「ヒヒーン?」と鳴くと足を一歩前にだした。




