2
「えっと……ロビンソン様?今、なにを……。」
笑顔で告げられた内容が理解できずに、私はロビンソン様に問いかける。
頭の中でぐわんぐわんと大きな音が鳴り響いているようでひどく落ち着かない。
「実はね……付き合ってた彼女が妊娠したんだ。私の初めての子だからね。君との婚約を破棄して、彼女を正妻にしたいんだよ。」
ロビンソン様は耳まで真っ赤に染めながら、目を伏せて恥じらいを見せた。
「……はっ?」
思わず乾いた声が喉の奥から迫り出してきた。
横に控えていたアルメシアが顔を真っ青にして、両手で口元を押さえる。
ロビンソン様はそんな私たちの様子を知ってか知らずか、赤く染まった頬をポリポリと指で齧りながら、開いている右手を私の方に伸ばした。
「だからね、僕があげた婚約指輪を返してくれないかな?」
ロビンソン様が無邪気に向けるその笑顔を殴りつけて壊したいと私は初めて強く思ったのだった。
しかし、淑女たるもの暴力を振るうべからず。
私はそう教育されてきた。
今、ロビンソン様からあるまじきことを言われているとしても、女である私がロビンソン様に直接手を出すことは許されない。それはとても恥ずべき行為だ。
「ろ、ロビンソン様?貴族の男子として愛人を得るのは甲斐性だと言われております。正妻ではなく、どうかその彼女を愛人としてお迎えしてはいかがでしょうか?」
頭の中が真っ白になって何も言えずにいる私の横で、アルメシアが口元をひくつかせながらロビンソン様に提案をした。
結婚間近で婚約破棄をされた女性。そんな相手にまともな縁談が湧いてくるはずもない。それをロビンソン様は理解していないのだろうか。
「え?なんで?私の子だよ?産まれてくる子を私生児になんてしたくない。私の嫡子として育てないと。それが、誠意ってものだろう?」
夫が愛人を迎えるのは貴族の女性として産まれたからには仕方のないことだ。
そう、理解はしていたし、覚悟もしていた。
けれど、結婚が間近に迫った今、婚約破棄をされて捨てられた令嬢がどうなるか、ロビンソン様は理解しているのだろうか?
「……私の子として育てるのでは、いけませんか?」
喉の奥から、なんとか言葉をひねり出す。言葉と共に血まで吐き出しそうだ。
「え?なんで?君の子ではないのに?」
ひりついた喉が微かに震える。
今まで可愛らしい子犬だと思っていたけど、目の前にいるロビンソン様は可愛らしい子犬なんかではない。これは……。
「駄犬だわ。」
「え?フィラーレ、なんか言った?」
なおも駄犬は無邪気な笑顔で問いかけてくる。
だから、私はどす黒い血を吐き出した。
「ロビンソン様。結婚間近になって婚約破棄された女性がどうなるかわかっております?」
ピクピクとこめかみが引くつく。意識していないと、吊りそうな目と口を根性でねじ伏せて笑みを象る。
「ああ。そのこと?大丈夫だよ。フィラーレはとっても美人だし、しっかりしているからいくらでも素敵な婚約者ができるはずだよ。うん。幸せになってね。フィラーレ。」
ロビンソン様のその言葉に、隣で固唾を飲んで見守っていてくれたアルメシアの顔が真っ青を通り越して真っ白になり、その場にへたり込んでしまった。アルメシアの来ていた淡い水色のドレスの裾が地面に広がる。それはまるで、涙でできた泉のように見えた。
「アルメシアっ!?」
私はアルメシアに寄り添うようにしゃがみ込み、アルメシアの肩を抱きとめた。
真っ白く華奢なアルメシアの身体は生気が失われたように力なく私にもたれかかってきた。
「あれ?アルメシア様、どうしたの?具合でも悪いのっ?」
どこまでも無邪気なロビンソン様の声が脳天を突き刺す。私は今すぐにでも、指を切り落としてでも婚約指輪を外したい衝動に駆られた。
震える左手で右手の薬指に収まっていた小ぶりなダイヤモンドがついた指輪を抜き取ると、そのままロビンソン様の前に突き出す。
「これ、返しますね。どうか、あなたの子を妊娠したという(哀れな)彼女をあなたの誠意をもって幸せにしてあげてください。」
「ありがとうっ!フィラーレ。君ならわかってくれると思ってたよ。さっそく彼女に渡してくるね!楽しみだなぁ~。あ、アルメシア嬢!無理しちゃだめだよ。アルメシア嬢も女性なんだから身体は大事にしてね。」
そう言ってロビンソンという特大の嵐は笑顔のまま去って行く。
私は力なく空を見て笑った。
見上げた空には一羽の大きな鷹が力強く飛んでいた。
☆☆☆☆☆
締め切ったカーテンの隙間から僅かな太陽の光が部屋に差し込む。
ロビンソンとの婚約破棄から一週間。婚約破棄されなければ、ちょうど今日私はロビンソンと結婚式を挙げていたことだろう。
私は、部屋に引きこもってロビンソンからプレゼントされた数々の品を検分していた。
可愛らしい髪飾りに、一時期流行ったぬいぐるみ。流行を追った当時の最先端でリーズナブルなドレス。
ロビンソンからプレゼントされたものは、どれもその時その時の流行品ばかりだ。高く売り払って得たお金を孤児院に寄付したいが、この分だと量産品として二束三文にしかならないだろう。
ロビンソンという可愛らしい子犬からのプレゼントを微笑ましいものとして喜んで受け取っていた自分の浅はかさを悔いる。
「フィラーレ。君の結婚が決まった。」
前触れもなく部屋に入ってきた父であるカンタータ伯爵が、唐突に私に告げた。
お父様の表情は私には判別がつかない。いつも、人を食ったような笑みを浮かべているか、無表情のどちらかだからだ。今日は後者のようだ。
ロビンソンに婚約破棄をされ、周りから婚約破棄をされた令嬢だと嘲笑われていた私と結婚をしようなどという奇特な人物の出現に、私は持っていたロビンソンからのプレゼントを握りしめて仄暗い笑みを見せた。
「誰です?その奇特な男性は?」
「……フォレストラー侯爵だ。」
お父様は数秒、間を開けてからその名前を口にした。お父様の身体が不自然に左右に揺れているような気がする。
嫌な汗が額を滑り落ちる。
フォレストラー侯爵と言えば、死の侯爵として有名ではないか。
侯爵という地位とその美貌で数々の縁談が侯爵の元に持ち込まれ、何度か婚約を結んだという話だが、誰もが皆、婚約中に謎の死を遂げているという。
そんな相手に嫁げとお父様は無表情に告げた。それは、死刑宣告にも等しい。
「……望むところだわ。」
グッと力を入れて拳を握りしめる。
ロビンソンからもらった量産品の木でできた人形が、手の中で悲鳴を上げるかのように乾いた音を立てた。




