やわらかく、あたたかな
しばらくぶりの商会に足を踏み入れる。
以前来た日には考えもしていなかった未来を携えて。
いつもどおりの商会。磨き抜かれたカウンターの奥で、誰かが紙をめくり、ペンを走らせる音が聞こえる。
入店者に最初に気づいたのは、今日も番頭だった。
「サーシャさん、おかえりなさい」
「ただいま。あの、今日は仕事じゃないの」
口ごもるサーシャに、番頭はいつもの鋭い目つきを向ける。
「聞いていますよ。あなたは本当に、思いもかけないことをする」
そこまで言って首を振り、目元を和らげた。
「ですが、それでこそ我らがサーシャさんです。あちらで気が済んだら、いつでも戻ってきてください」
番頭に通された部屋には、両親が待っていた。
荷造りは済ませてあるとシンディが告げる。
「足りないものがあったら取りに帰ってきて。と言いたいところだけど、二週間もかかるのは少し遠いわね。帰りに部屋を見ていってちょうだい」
母らしいさばさばとした口調にも、寂しさがにじんでいた。
スタンリーが大きな包みを差し出す。
「これは、ソーマが軟化に成功したサリシャだ。お前がその方法に気づいたなら、あちらで専売権を持てばいいと言っている。もちろん、元のサリシャと合わせてな」
「ソーマが……」
「お前たちが頼もしいから早く隠居ができそうだと思っていたんだがな。ちなみに、軟化のヒントは隣国の主食だそうだ」
ほとんど答えのようなヒントにサーシャは吹き出した。
「それで、メリンダのことなんだが……」
「メリンダ? 学校へ行ってるんじゃないの?」
あの一件のあとミカエラは男爵のいる領地に戻され、メリンダはサーシャの両親と生活をともにしている。姿が見えないため女学校に行ったのかと思っていたが、違うのだろうか。
「母親と離れてそれほど経たないうちにお前の隣国行きを知って、ショックが大きいようでな。部屋にいるから、声だけでもかけてやってくれ」
メリンダの居室は、小さいころよく一緒に遊んだ子ども部屋だった場所だ。
サーシャはできるだけ明るく聞こえるように声をかけた。
「メリンダ? 私よ。出かける前に『妹』の顔が見たいわ」
反応はない。小さく鼻をすする音が聞こえる。
「じゃあ、声だけでも聞かせて? 手紙では声は届かないでしょう?」
「……いや……」
か細い声だ。衣ずれの音にさえ紛れてしまいそうな声。
けれどそれはすぐに大きくなった。
「いやよ!お姉様が遠くへ行くなんて、いや!やっと、やっとまたお話しできるようになったのに!」
子どもが駄々をこねるように叫ぶ。
メリンダに聞こえているかはわからないが、サーシャは何度も相づちを打った。
「今度はどれだけ会えないの?二年でも長かったのに、もっと会えないんでしょう?そんなのいやよ!私、私……」
やがて叫びは泣き声になり、嗚咽に変わって意味のある言葉は聞こえなくなった。
しばらく扉の前で声をかけ続けるも、もう答えてはくれなかった。
外からの日差しが廊下に細く長い影を作るころ、サーシャは扉に向かって再び声をかけた。
「メリンダ、手紙を書くわ。返事がなくてもいっぱい書くから、読んでね」
晴れない思いで店舗に戻ると、たくさんの人がいた。
その中から出てきた小さな人影がふたつ、サーシャに飛びついた。
「お嬢!遠くへ行くんだって?」
「古くなったものは食べちゃダメだよ」
「知らない人にはついてかないように」
「元気がないときはミルク粥をお食べ」
「ハサミは一人で持つんじゃないよ」
「あとはえーと、なんだったかな」
二人は口々に言ってから、同時にニカッと笑った。
「ま、心配はしてないよ。お嬢は私らの自慢の教え子だからね!」
誰かが「心配ばかりしてるじゃないか!」と野次を飛ばす。
笑う人、泣く人、肩を叩く人、握手をする人。一人一人にあいさつをした。
ここに必ず帰ってくる。
最後はでたらめになった送別の輪のなかで、サーシャはずっと笑っていた。
会いたい人はあと一人。
想いをちゃんと伝えよう。
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物語はいよいよ終盤です。次回以降は2話ずつ更新でお届けします。
明日より恋愛カテゴリーにて、大人向けのしっとりしたお話、「恋ではなくなったとしても」を毎日投稿します。6日間で完結する短いお話です。
よろしければ覗いてみていただけますと嬉しいです。




