リシャの香り
王女宮は、迫る輿入れに向けて熱気と喧騒を日々増していた。
頻繁に届けられる祝儀の品、検品を求める官吏の声。行き交う人々はみな足早に前を目指して歩を進める。
そして王女宮の縫製室もまた、等しく熱気に満ちていた。
次々に運び込まれる絹織物。王宮の縫製室からも針子が動員され、普段はどこかのんびりとしていたその部屋が、今は気迫が渦巻いていた。
そんな室内を、サーシャがそろりと覗く。
「おや、サーシャさん。見てのとおり今手が離せなくてね。けどピコだけは連れ出してくれていいよ。ちゃんとご飯を食べさせてやっておくれ」
フレネの威勢のいい声とともにピコが部屋から放り出された。
とあるお昼時、サーシャは忙しいのを承知でピコに会いに行った。
頑張り屋なピコが根を詰めすぎていないかと、心配になっての行動だった。
案の定、ピコは相当に集中し続けていたようで、フレネから強制的に休憩を取らされる事態となった。
「ピコ、中庭で一緒にお昼を食べましょう。少し休憩をした方が、また午後からも頑張れると思うわよ?」
ピコは縫製室を振り返って、誰も呼び戻しに来ないのを確認してから頷いた。
「ねえピコ。ピコは自分の『芯』ってあると思う?」
中庭に出て、昼食を食べながら互いの近況を報告し合ったあと、サーシャがふと訊ねた。
「芯? それってどういうことですか?」
パンをほおばりながらきょとんとするピコに、サーシャが考えながら説明する。
「うーん。例えばもしピコが今すぐ知らない所に行かないといけなくなって、でもこれさえあればどこでもやっていけるって思えるもの……かな?」
「えーそれならあたしはお針子の仕事ですね。針仕事が好きだし、お金ももらえますもん! あとはサーシャさんとたまに話せたらもう最高です!」
目を輝かせて即答するピコに、サーシャは笑ってしまった。
「あー! 真面目に答えたのに笑うなんてひどい! じゃあサーシャさんの芯を教えてくださいよー。やっぱりローディック商会ですか?」
ピコが頬を膨らませて怒った顔をしている。サーシャはまた考えながらゆっくりと答えた。
「私もそうかなって思ったけど、商会は持っていけないじゃない? だから違うのかなって。実はまだ考え中なの」
「私にだけ言わせてサーシャさんはやっぱりひどいですー」
明るい日差しのなか、二人の笑い声はしばらく続いた。
王宮の日常。誰も気に留めないようなありふれた光景に、足を止める人物が一人。
光の届かない回廊で、そこにないはずのリシャの香りが漂っていた。
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