思い出
本日3話更新です。よろしくお願いします。
約束の日。
ローディック商会の居住区にある応接室の前でサーシャは逡巡していた。
部屋の中には、会わなくなって二年ほどになる従妹がいる。
以前は毎日のように会っていたのに──感傷に浸りそうになって、頭を振る。
あの子の言葉を受け入れると心を決めてきた。今さらためらっても仕方がない。
ノックをすると、中からは小さな声で返事があった。
意を決し扉を開けた瞬間、サーシャは息を呑んだ。
メリンダはソファから立ち上がり、サーシャを見つめていた。
涙を流すことなく泣いているようなその表情は、長年ともに過ごしてきたサーシャでも、一度も見たことがないものだった。
「メリンダ──」
サーシャの声を合図に、メリンダの大きな瞳から涙がこぼれた。
「お姉様……ごめんなさい……!」
彼女の涙は止まることなく流れ続ける。泣きながら何かを話そうとしているが、しゃくり上げる呼吸が邪魔をしてうまく聞き取れない。
時々、「お姉様」「ごめんなさい」とそれだけが聞こえて、サーシャはメリンダを抱きしめずにはいられなかった。
自分で涙を拭けるようになったメリンダをソファに座らせて、サーシャは向かいに腰掛けた。
メリンダはまだ不安そうな顔をしていたが、サーシャが笑みを浮かべるのを見て、小さく頷いて話し出した。
「あの、お姉様、私噂とか知らなくて。お友だちにお姉様のお話を、会えなくて寂しかったから、みなさんがたくさん聞いてくださって」
とりとめなく話すメリンダの言葉を聞きながら、彼女もまたサーシャ以上に噂に悩まされていたのだと知った。
「あなたに他意がなかったのはわかったわ。メリンダの話をご友人も楽しそうに聞いてくれていたのよね?」
「ええ。だから私、嬉しくってたくさんお話ししたの。そうしたら、だんだんあまり知らない方まで来られるようになって……」
メリンダはまた沈んだ顔になりながら話を続ける。
「そういう方たちは、私のお話を聞くと怒っていらしたわ。私がいくらお姉様との他の思い出をお話ししても『大丈夫、私はメリンダ派だから』って聞いてくださらなくて……」
そしてまたパッと表情を変えて言った。
「あ、でも噂のことを知ってから、私はお仕着せには関わっていないって『メリンダ派』の方々に説明に伺っているのよ。一度叱られたから、お母様には内緒だけど……」
「メリンダ……、そんなことまでしてくれていたのね」
メリンダも自分と同じように、二人の思い出を大切に思ってくれていた。きっと勇気を出してそれを伝えに来てくれたメリンダが、以前と変わらず愛おしいと思えた。
「私、きちんとみなさんにお話しするわ。そうしたら噂だってきっとすぐ消えると思うの。だから、また前みたいに仲良くしてくださる……?」
サーシャは目を柔らかく細めた。
「……当たり前でしょう」
言葉にした瞬間、肩の力が抜けた。
「あなたはずっと、私の大切な従妹よ。これからも変わらないわ」
メリンダの瞳がまた潤み、次の瞬間、勢いよく身を乗り出してきた。
「お姉様……っ」
涙を流しながら必死に笑おうとするメリンダに、サーシャも思わず笑ってしまった。
それから二人は少しずつ言葉を重ねた。
子どものころサロンで遊んだ話。一番お気に入りのドレスの話。もちろん、布をかぶったあの日のことも。
話しているうちに、空いていた二年の時間がゆっくりと埋まっていく。
帰り際、メリンダは何度も振り返って手を振った。サーシャも同じように振り返しながら、胸の奥に温もりにも似た安堵を感じていた。
王女殿下のお輿入れが終われば、サーシャは臨時雇いの役目を終え、商会に戻る。
そのときにまた彼女と笑って話せる日が待ち遠しく感じた。
お輿入れ、つまりライナスの帰国があと半年ほどに迫り、サーシャは王宮の外務部に書類を届けることが増えた。
お使いを終えて回廊を歩いていたサーシャは、前方から歩いてくる官吏をやり過ごそうと、立ち止まり端に寄った。
軽く頭を下げた姿勢で待つサーシャの前で、男性の靴がこちらを向く。
視界には、しわひとつない桃色のハンカチ──
「サーシャ」
穏やかな声。知っている人のものと似ている。
顔を上げると、あの頃よりも高い位置で彼と目が合った。
「ニック……様」




