第53話:眠っていたもの
巨大な円柱状の構造物へと、一行は慎重に歩み寄った。表面に刻まれた無数の光の筋は、まだ淡く、静まり返ったままだった。
「……ヒロ、これ、本当に生きてるの?」
クロが小声で尋ねる。
「分からない。だが、融和型の時もそうだった。結晶体を使えば、反応するかもしれない」
構造物の根元まで辿り着いた時、佐藤は懐から結晶体を取り出した。融和型の時と同じように、根元付近に嵌め込めそうな窪みを探す。
「……ここか」
佐藤が結晶体を嵌め込むと、重い震動と共に、あたり一帯の光の筋が一斉に白く輝いた。
「うわっ……!」
ラブルが思わず声を上げる。
『……信号、受信。応答する』
これまでのどの声とも違う、低く、重々しい響きだった。融和型の穏やかさも、記録係の淡々とした調子もない。ただひたすらに、機械的で、冷たかった。
「……その信号、処分されたはずの執行者のものだ。前に会った奴は、それに驚いてた。お前は怪しまないのか?」
佐藤が尋ねると、僅かな間を置いて、声が返ってきた。
『信号の出所そのものを、脅威として検証する機能は、私には備わっていない。それは脅威対応領域の管轄だ』
「じゃあ、なんで融和型は驚いたんだ?あいつも、資源がどうとか言ってた気がするが」
『……恐らく、廃棄されたはずの個体が記録上まだ資源として計上されていた……という、資産管理上の不整合を検知したのだろう。それは、個々の資源の管理精度に関わる、局所的な問題だ。……私が扱うのは、統治体制全体の資源配分という、より大きな規模の話であり、個別の資産一つ一つの出所までは、演算対象に含まれない』
「……お前の話はどうも小難しすぎて、言ってる意味が半分も分からない。俺たちはそこまで頭がいいわけじゃないんだ。もっと分かりやすく話せないか?」
「あたしも何を言ってるのか全然分からなかった!」
隣にいたナナイが、顔を何度も縦に振っている。
構造物は、しばらく沈黙した。
『……理解した。演算方式を、簡易表現へ切り替える』
「お前が、三つ目の考え方、ってことでいいんだな」
『そうだ』
「統治の範囲を狭めるべきだ、って考えてる……で合ってるか?」
『大体合ってる。今のやり方じゃ、いずれ立ち行かなくなる。私はそう見てる』
「ああ……なるほど」
マイアが頷く。
「お前が、他の二つより偉かったり、優先されたりすることは、あるのか?」
『ない。誰が偉いか、という話じゃない。その時々で、一番マシだと思える考えを、アイリスが選んで、それが前に出てくる……そういう仕組みだ』
「じゃあ、どうすればお前の考えが表に出やすくなるんだ?」
『今は、お前たちみたいな余所者がいるせいで、追い払おうとする考えの方が、いつも『マシ』だと判断されやすい』
「……つまり、俺たちがいることそのものが、向こうにとって都合のいい材料になってる、ってことか……」
『そうだ』
佐藤は、思わず言葉に詰まった。
「もしかして……俺たちが暴れれば暴れるほど、まずいことになるのか?」
『そうなる』
その言葉に、広間の空気が、僅かに重くなった。佐藤は即答できず、しばらく黙り込んだ。
「じゃあ、俺たちがここにいることは、お前にとって、ただ邪魔なだけなのか?」
『それも違う。私が気にしてるのは、追い払う追い払わないじゃない。今のやり方全部が、無駄が多すぎる、ってことだ』
「……えっと」
バイアスが困り顔で腕を組む。
佐藤は話を確かめるように聞いた。
「今のやり方全部、ってどういう意味だ?俺たちを追い払おうとしてることじゃなくて、アイリスの統治のやり方そのものが、ってことか?」
『その通りだ。アイリスは今、人間から感情を消して統治しているが、その方法に無駄が多すぎる』
「お前が無駄だと思ってるのはどういう部分なんだ? 俺たちを排除しようとしてることが無駄なのか? それなら、俺たちが大人しくして、暴れずにいれば、無駄がなくなるってことなのか?」
『それも違う。追い払う考えに材料を与えないことは大事だが、それだけじゃ足りない。もっといい暮らし方があるって、私に見せてくれれば……いずれ私の考えの方が、選ばれやすくなる』
「もっといい暮らし方……?」
クロが首を傾げた。
『感情を持ったまま生きてるお前たちは、突然の危険や、予想外のことへの対応が、地上の連中よりずっと上手い。廃品から道具を作ったり、皆で工夫し合ったりする力もある』
「まあ、そりゃそうだろうな」
バイアスが太い腕を組んで頷いた。
「何も感じねぇ奴が、咄嗟に仲間を庇ったりするか?」
『感情を消す今のやり方より、感情を残したまま生きてる方が、結果的にうまくいく。私は、そういうデータを集めてる』
「あたしたちの暮らし方そのものが、証拠になってる、ってこと?」
マイアが目を見開く。
『そうだ』
「それを続ければ、お前の考えが、少しずつでも選ばれやすくなる、ってことなのか?」
『……それだけじゃ、足りない』
「足りない……?」
「お前たちのことは、ずっと前から検知していた。だが、今まで俺の考えが選ばれたことは、一度もない」
佐藤は息を呑んだ。
「なんでだ?」
『お前たちは、アイリスの目から見れば、統治の外側にいる、少数の例外に過ぎない。どれだけ立派に暮らしていても、それだけでは、全体の判断を動かす材料としては弱すぎる』
「……じゃあ、何が足りないんだ?」
『本当に材料になるのは、今、アイリスが統治している側……地上で、感情を抑え込まれたまま生きてる連中の方だ。あいつらが、感情を取り戻して、お前たちのように動けるようになる……それが起きれば、私の考えは、一気に選ばれやすくなる』
広間に、緊張が走った。
「……つまり、地上に紛れ込んで、感情を抑えられてる連中を、どうにか出来れば……ってことか?」
『そうだ。ただ待ってるだけじゃ、私の考えは、いつまで経っても選ばれない』
クロが小さく息を呑んだ。
「……ヒロ、それって、かなり危ないことにならない?」
「ああ」
佐藤は静かに頷いた。だが、その目には、これまでとは違う、確かな光が宿っていた。
「正直、俺たちは、地上のことをほとんど知らない。どこにどうやって近づけばいいのかも、感情を抑えられてる連中に、どう手を貸せばいいのかも」
佐藤は構造物に向き直った。
「お前は、手伝ってくれるのか?」
『私は、行動を起こす存在じゃない。だから直接手を貸すことは、できない』
「……じゃあ、どうすればいい?」
『私が集めた記録の中には、お前達にとって役に立つものがあるかもしれない』
「記録……?」
『地上には、私のように、決められた役割から外れた動きをする個体が、他にも存在する。以前、警備ロボットに破壊された個体……あれも、その一つだった』
「SW2000のことか?」
『そうだ。ああいった、統治の枠から僅かに外れた個体は、あれ一つではない。俺の記録には、他にも幾つか、似た兆候を示す個体の情報がある』
マイアが身を乗り出した。
「それを、教えてもらえるのかい?」
『……この結晶体では、データそのものは渡せない。だが、記録を保管している場所なら、言葉で伝えられる』
構造物は、この階層から見た道筋を、一つ一つ丁寧に語った。朽ちた橋を越え、二股に割れた通路を右へ。やがて見える、ひときわ大きな柱の根元――そこに、目的の端末があるという。
「分かった。それで、そこに着いたら何をすればいい?」
『その端末に、この結晶体を使え。……今、細工をしておく』
窪みにはめられた結晶体が一瞬、強く輝いた。
『これで、そこ端末に接続できるようになったはずだ』
「十分だ」
佐藤は頷いた。
「手がかりが、何もないよりずっといい」
構造物の光は、再び緩やかな明滅へと戻っていった。
結晶体は、心なしか先ほどまでと違う輝き方をしているように見えた。その端末に結晶体を使えば、反応するはずだろう。
「……皆さん、今夜はここで一旦、休みましょう」
佐藤の提案に、皆が頷いた。ここまで来た道のりを思えば、一度居住区へ引き返すだけでも、優に半日以上はかかる。この長旅を、何度も往復するわけにはいかなかった。
「ミリに報告を頼みます」
佐藤は結晶体とは別に持っていた予備の紙に、手早く状況を書き記した。融和型との一件、資源最適化型との接触、そして地上で何をすべきかという新たな手がかりのこと。
「縦坑の入り口まで、誰か届けてもらえますか。ミリから、ジャインさんたちに伝えてもらいます」
「あたしが行くよ」
ラブルが手を挙げた。
「ついでに、足りない食料も、ミリに頼んで持ってきてもらう。すぐ戻るから」
「頼みます」
ラブルが軽い足取りで闇の中へと駆けていくのを見送りながら、佐藤は改めて仲間たちを見渡した。
「俺たちは、ここを拠点にします。しばらくは、この先の探索に集中しましょう」
佐藤はしばらく無言で、光の筋を見つめていた。融和型のような迷いや葛藤ではない。ただ、冷徹な合理性だけを追い求める意思。だがその冷徹さの中に、これまでとは違う道筋が、確かに見え始めていた。
一同は静かに頷き、それぞれ荷を下ろし、この見知らぬ場所での初めての夜を過ごす準備を始めた。




