第50話:深い闇へ
古い記録が示す場所――「中枢よりさらに深く、光の届かぬ場所」がどこを指すのか、誰にも正確には分からなかった。だが、手がかりが全くないわけでもなかった。
「アスラさん、この紙に描かれている図は、何でしょうか」
佐藤は木箱の底の方にあった一枚の紙に目をとめた。そこには、掠れたインクで、幾重にも重なる同心円が描かれている。
「ああ、それは……うちの爺様が『底の輪』と呼んでたやつですね。詳しいことは伝わってませんが、確か……この今、住んでる場所より、さらに下の階層を示してるんじゃないか、って言ってました」
「さらに下……」
マイアが眉を寄せた。
「私たちが住んでるこの場所より、下があるっていうのかい」
「言い伝え程度の話ですけどね。今まで、誰も本気で確かめようとした奴はいません。行く理由もなかったし……何より、下に降りる道自体、まともに残っていませんから」
ジャインが静かに口を開いた。
「儂の若い頃、崩れた縦坑を見た覚えがある。確か当時見た時は塞がってはいなかったと思うが、今はどうなっているかは分からん。が……試す価値は、あるかもしれんな」
佐藤は少し考えてから、皆に向かって言葉を継いだ。
「融和型に会った時、あの声は決まった小屋……あの結晶体を嵌める台座を通してでなければ、話すことができませんでした。だとすれば、三つ目の……統治を望まない考えにも、どこかに繋がる場所があるはずです。この言い伝えが示す場所が、その繋がる場所かもしれません」
広間に集まった一同は、しばらく黙り込んだ。地上の探索とはまた違う、未知の深さへ足を踏み入れることへの緊張が、誰の顔にもにじんでいた。
出発の支度を進めていたその日の昼、「知恵の箱」の裏口に、小さな影が立っていた。
「……あたしも、連れてって」
ミリだった。以前と変わらぬ真剣な眼差しで、佐藤をまっすぐに見つめている。
「ミリ、前にも話しただろう。今回は、もっと危険な場所かも知れないんだ」
「知ってる。だから、なおさら」
ミリは一歩も引かなかった。
「あたしだって、いつまでも守られてるだけは嫌なんだ。何もできないまま、ただ待ってるだけなんて」
佐藤はしばらく黙って、彼女を見つめた。トラックを運転していた頃、無茶をしようとする若い新人を何人も見てきた。彼らに共通していたのは、危険を知らないからではなく、危険を知った上でなお、証明したいものがあるということだった。
「……分かった。一緒に来てもらう。ただし、縦坑の入り口までだ」
「本当に!?」
「今回、俺たちが向かう先には、恐らく合図を送る手段がない。だから、ミリには入り口に残ってもらって、もし俺たちが長く戻らなかった時、ジャインさんたちに知らせに走ってほしいんだ。それに……もし何か必要な道具を忘れていた時、取りに戻る役目も頼みたい」
「……見張りと、伝令、ってこと?」
「そうだ。地味な役目に思うかもしれないが、これがなければ、俺たちは何かあった時に誰にも気づかれず、そのまま終わってしまうかもしれない。それくらい、大事な役目だ」
ミリはしばらく佐藤の顔を見つめていたが、やがて小さく、けれどしっかりと頷いた。
「……分かった。ちゃんと、やる」
「頼りにしてる」
その小さなやり取りを、少し離れた場所からクロがじっと見ていた。
佐藤がクロの元に戻ってくるとクロが少し呆れた顔で佐藤に言った。
「……ヒロって、意外とお人好しだよね」
「そうか?」
「うん。あたしには厳しいくせに」
「お前は強すぎるから、逆に心配なんだよ」
「……ふぅん」
クロは何か言いたげな顔をしたが、結局それ以上は何も言わず、荷物の準備に戻っていった。
その日の夕刻、八人は再び「知恵の箱」の広間に集まった。
ジャインの記憶を頼りに探し出した崩れた縦坑は、居住区の外れ、これまで誰も近づかなかった瓦礫の山の奥にあるという。
「良いですか、皆さん」
佐藤は一同を見渡した。
「今回は、これまでとは違う場所に向かいます。地上でもなく、今まで俺たちが暮らしていたこの場所でもない……その、さらに下です。何が待っているか、正直、俺にも分かりません」
「怖いこと言うなよ、サトウ」
バイアスが苦笑しながらメイスを担ぎ直す。
「だが、行くしかねぇんだろう」
「はい」
佐藤は頷いた。
「もし本当に、統治を望まない三つ目の考えが、そこと繋がっているのなら。それを知ることが、この先の全てを左右するかもしれません」
マイア、ナナイ、バイアス、ラブル、ロセス、アルシー――それぞれが、静かに、あるいは軽い調子で頷く。クロだけは何も言わず、ただ真っ直ぐに佐藤の隣に立った。
「行きましょう」
佐藤の一声で、八人はミリと共に「知恵の箱」を後にした。瓦礫の山の合間を縫うように進み、やがて、これまで誰も足を踏み入れたことのない縦坑の入り口へと辿り着く。
「ここまでだ、ミリ。頼んだぞ」
「うん……気をつけて」
八人が縦坑の奥へと吸い込まれていく後ろ姿を、ミリはいつまでも見送っていた。




