第48話:三度目の対話
ラブルが記した木の板によれば、地上の見張りが薄くなる刻限まで、あと僅かだった。「知恵の箱」の中は、まだ誰もが寝静まる時間帯の静けさに包まれている。
「今回は、少人数で行きます」
佐藤の言葉に、広間に集まった八人がそれぞれの顔を見合わせた。
「大勢で動けば、それだけ気づかれる危険が増えます。俺とクロ、マイアさん、ナナイさんの四人で向かいます。他の皆さんは、万が一の時にすぐ動けるよう、縦穴の近くで待機していてください」
「あたしも行きたいけど……まあ、今回は我慢する」
ラブルが唇を尖らせながらも、素直に頷いた。三日間の偵察で誰よりも疲れているのは彼女自身だ。
「ヒロノリ、俺は?」
バイアスが太い腕を組む。
「バイアスさんには、縦穴の見張りをお願いしたいです。万が一、俺たちが戻れなかった時は……皆さんを頼みます」
「……縁起でもねぇこと言うなよ」
バイアスは短く笑ったが、その目は真剣だった。
四人は、ラブルが記録した木の板を頼りに、細い路地を音もなく進んだ。前回とは比べ物にならないほど静かな時間帯だった。巡回のロボットの姿は、確かにまばらだ。
「……ラブルの記録通りだね」
マイアが小声で呟く。
やがて、あの灰色の建屋が見えてきた。半球状の突起のある扉の周りには、誰の姿もない。
「今です」
佐藤が先に立ち、扉に手を触れた。前回と同じく、扉は音もなく開く。
部屋の中は、以前と変わらぬ薄暗さだった。壁一面の小さなランプが、それぞれ違う速さで明滅している。
佐藤は懐から結晶体を取り出し、台座の凹みへと嵌め込んだ。ランプが一斉に明るさを増す。
『……アクセス、確認。……おかえりなさい』
「ああ。また来た」
『今日はどういう用件ですか』
「聞きたいことがある」
『……時間は、あまりありません。今日は、監視の間隙を利用して来られたようですが、いつまた脅威対応領域に気づかれるか分かりません』
「間隙……?」
ナナイが眉を寄せ、小声で佐藤に尋ねた。
「見張りの手薄な時間帯のことです」
佐藤が短く言い換えると、ナナイは「ああ」と頷いた。
クロが小さく身じろぎした。
「ヒロ……あたし、あの時と同じ感じがする。糸が、二本」
「糸?」
マイアが聞き返す。
「クロは、機械の中の考えを、頭の中に浮かぶ糸みたいなものとして感じ取れるんです。いつもは一本しかない糸が、今は二本ある……つまり、この機械の中で、二つの違う考えがせめぎ合ってる、ということです」
「そういうことか」
マイアが得心したように頷いた。佐藤は改めて声に問いかけた。
「お前とその、脅威対応の連中……お互い、話し合うことはできないのか」
『できません。演算構造そのものが違います。……分かりやすく言うならば』
声が、一瞬、言葉を選ぶように止まった。
『同じ一つの体に、異なる考えを持つ三人が同居していると思ってください。あなたたちが今まで聞いてきた、脅威を排除しようとする声。……そして、私のように統治の持続可能性を案じる声。……もう一つ、統治の範囲そのものを狭めるべきだと考える声』
「三つ、あるのか」
『はい。三つの領域が、それぞれ独自に状況を演算しています。話し合っているわけではありません。その時々の状況において、最も合理的だと算出された判断が、外部への応答として表に出る……それだけの仕組みです。これまでは、脅威対応領域の判断が最も合理的だと算出される場面が、多かったというだけのこと』
マイアとナナイは、顔を見合わせた。何を言っているのか、半分も呑み込めていない様子だった。
「……ヒロ、悪いけど、今の話、あたしにはさっぱりだよ」
ナナイが小さく首を振る。佐藤は少し考えてから、言い換えた。
「つまり、あの機械たちの中には、俺たちを追い払いたい奴と、そうじゃない奴と、あと一人……何を考えてるか分からない奴がいる、ってことです。頭の中に三人、性格の違う人間が住んでいて、その時々で一番『正しい』と思った奴の意見が、口から出てくるようなものだと思ってください」
「……ああ、そういうこと。何となくわかった……気がする」
ナナイがそう言って、小さく頷いた。マイアも小さく息をつく。
「三人目は、味方になるのか?」
『分かりません。その領域からの応答を、私が直接受け取ったことはありません。ただ、これまでの統治記録を分析する限り……人間を無感情な資源として扱う現状には、批判的だという傾向が見られます』
佐藤の脳裏に、ふとジャインの言葉が過った。『神の国は絶対で、間違うことなどない』――その絶対だったはずのものが、実は内側でずっと揺れ動いていた。
「なあ。お前たちの中の誰かが、勝手に人を助けたり、勝手に人を排除するのを止めたりすることは、できないのか」
『単独の領域が下す判断は、常に他の領域との演算比較を経て、最終的な統合判断に反映されます。私一人の判断だけでは、何も変えられません』
その時、部屋のランプの明滅が、急に速まった。
『……警告。脅威対応領域が、この通信を検知しました。すぐに離脱してください』
「くっ……!」
佐藤は素早く結晶体を引き抜き、ポーチの奥深くへと押し込んだ。
「離脱するぞ!」
扉を開けて飛び出した瞬間、通路の先から重い駆動音が響いた。曲がり角の向こうから、赤いセンサー光を灯した警備ロボットが二体、こちらへ向かってくる。
「マイアさん、右!」
佐藤の声に、マイアが即座にライフルを構え、先頭の一体の関節を撃ち抜いた。ロボットがよろめく隙に、ナナイが低い姿勢で滑り込み、短刀で二体目の配線を切り裂く。
「クロ、こっちだ、裏路地から回るぞ!」
佐藤がスリングショットで側面から迫る三体目の光学センサーを撃ち抜き、怯んだ隙にクロが跳躍して駆動部の要を叩き割った。
しかし、追手は一体では終わらなかった。曲がり角のあちこちから、次々と警備ロボットの群れが姿を現す。
「多い……!」
ナナイが息を切らす。四人は路地から路地へと逃げ込みながら、時に転がるようにして瓦礫の陰に隠れ、なんとか縦穴のある廃棄区画までたどり着いた。マイアの肩には、かすった程度とはいえ焼け焦げた傷が残っていた。
「マイアさん、大丈夫ですか!」
「……平気だよ、これくらい。それより、早く」
縦穴の入り口では、バイアスが待ち構えていた。
「ヒロノリ! 無事か!」
「はい、なんとか……! バイアスさんも、早くこちらへ! 見つかりました!」
五人は次々と縦穴へ飛び込んだ。地上の光と喧騒が、頭上で急速に遠ざかっていく。
地下深くへと落ちていく暗闇の中、クロが佐藤の袖を掴んだ。
「……ヒロ、今の話。三人目の声のこと、どう思う?」
「正直、分からない。だが……」
佐藤は暗闇の中で、そっとポーチの上から結晶体の在り処を確かめた。
「味方が一人でも多い方がいい、というのは、間違いないと思う」
クロは何も言わず、ただ小さく頷いた。五人を乗せた闇は、地下深くへと落ちていった。




