第47話:数えられた足音
ラブルが「知恵の箱」に駆け込んできたのは、三日後の明け方だった。
「サトウ! サトウ、いる!?」
息を切らしたラブルの声に、書物を整理していた佐藤は顔を上げた。彼女の服のあちこちに、まだ乾ききっていない土の汚れがこびりついている。
「ラブルさん、お帰りなさい。無事で何よりです」
「もちろん! あたしが捕まるわけないでしょ!」
得意げに胸を張ったラブルだったが、その拍子にふらつき、近くの木箱に手をついた。三日間、ほとんど休まず地上と地下を往復していたのだろう。
「とりあえず座ってください。まず、水を」
佐藤が差し出した水筒を、ラブルは一息に呷った。
「ぷはっ……ありがと。それでね、聞いて。数えたよ、ちゃんと」
彼女が懐から取り出したのは、木の板に刻まれた無数の傷だった。正の字のような印が、几帳面に並んでいる。
「あの見張りたち、だいたい同じ道を、同じ調子でぐるぐる回ってるんだけど……一箇所だけ、様子が違うところがあったんだ」
「様子が違う、というのは?」
「あそこ、ほら、あたしたちが最初に潜り込んだ、あの灰色の小さい建物……あの周りだけ、見張りの数が増えたり減ったりするの。多い時は五体、少ない時は一体もいない時さえあった」
佐藤は目を細めた。
(……あの部屋。融和型の声が話していた場所だ。監視が安定しないというのは、つまり……)
「クロ、覚えてるか。あの声が言ってた、『会話ログが検知されている』って話」
傍らで木の実を齧っていたクロが、首を傾げた。
「うん。それがどうしたの?」
「もしかすると、あの場所の見張りが増えたり減ったりするのは、あの声とその……追い払おうとする側の連中との間で、綱引きが起きてるからかもしれない」
「……よく分かんないけど、要するにチャンスがある時とない時がある、ってこと?」
「そういうことだ。クロもだいぶ分かってきたみたいだな」
佐藤は小さく頷いた。
クロは佐藤に褒められて、得意げに鼻を鳴らす。
その説明を、少し離れた場所で聞いていたマイアが、腕を組んだ。
「見張りが少ない瞬間を狙う、ということだね。でも、それがいつ来るかは分からないんだろう?」
「はい。ですから、ラブルさんにはもう少しだけ、無理のない範囲で見張りを続けていただきたいんです。パターン……つまり決まった動き方が見えてくれば、次に見張りが薄くなる時を、ある程度読めるようになるかもしれません」
「あたしは全然平気だよ! もう慣れたし!」
元気よく答えるラブルの横で、ジャインが杖を軽く床に打ち付けた。
「……サトウよ。一つ、聞いておきたい」
「何でしょうか」
「お前さんは、その機械の声とやらを、信じておるのか」
佐藤は少し間を置いた。
「信じている、とまでは言い切れません。ですが……俺にはあの声が、嘘をついている様には思えませんでした。むしろ、自分の弱さを、正直に話していたように思います」
「弱さを、正直に、か」
ジャインは目を閉じ、しばらく考え込んだ。
「……昔からこの世界には、『神の国』は絶対で、間違うことなどないという言い伝えがある。それが揺らぐというのは、儂らにとっても、決して軽い話ではない」
「分かっています。ですから、慎重に進めたいのです」
その言葉に、ジャインは小さく頷き、それ以上は何も言わなかった。
広間の隅では、アルシーがラブルの持ち帰った木の板を覗き込み、感心したように声を上げていた。
「へえ、ラブル、意外とやるじゃないか。僕も手伝おうか?」
「アンタは大人しく寝てなさいよ。目立つ格好で見張りに近づいたら、一発で捕まるでしょ」
「手厳しいなあ……」
その様子を見ていたクロが、佐藤の袖をそっと引いた。
「……ヒロ、あたしも見張りの偵察、行きたい」
「クロ、それは駄目だ」
「なんで! あたしなら、屋根の上からだって見張れるし、誰にも気づかれずに……」
「駄目なものは駄目だ」
佐藤はいつになく強い口調で言い切った。クロが唇を尖らせる。
「……お前の力は、いざという時のために取っておきたいんだよ。今はまだ、その時じゃない」
「……分かった」
クロは渋々といった様子で頷いたが、その顔にはまだ、納得しきれない色が残っていた。
数日後の夜。ラブルが再び「知恵の箱」に駆け込んできた。今度は息を切らしながらも、その顔は興奮に満ちていた。
「サトウ! 見つけた!パターンだっけ? それを見つけたよ!」
広げられた木の板には、いくつもの印が規則正しく並んでいた。
「三日に一度、決まった時間だけ、あの建物の見張りが完全にいなくなる瞬間があるの。今日、あたし三回とも確認した。間違いない」
佐藤はその印をじっと見つめた。トラック運転手として培った、パターンを読み解く目が、ラブルの記録の中に確かな規則性を見出していく。
「……次にその瞬間が訪れるのは、いつですか」
「明後日の、夜明け前」
佐藤は顔を上げ、ラブルの到着を聞いて広間に集まった仲間たちを見渡した。
「みんな、聞いてください。おそらく、これが最初で最後の機会になります」
ジャインが静かに目を開き、マイアが小さく息を吸い込んだ。クロの瞳には、抑えきれない緊張の光が宿っている。
「明後日、もう一度あの声に会いに行きます。今度こそ、今の俺たちに何ができるのか……その答えを、見つけましょう」
誰も、言葉を発さなかった。だが、その静けさの中に、確かな決意が満ちていくのを、佐藤は肌で感じていた。




