誰からでもない手紙
ちょっとメルヘンっぽい純文学です。
第一章:千夏は手紙を書いている。
千夏は手紙を書いている。誰へ? あて先はない。ただ、手紙を書いて、なんとなく切手を貼って、適当な住所を書いて出そうと言うのだ。ちょっとクレイジー? サイコパス? でも、これは千夏が続けてきた遊びだ。
わたしは〇〇さんではありませんよ?
そういう律儀な返事が返ってきたこともあった。
でも、普通は無視だ。当然だろう。
サイコな女から届いた手紙など、開封するのもためらわれる。
まず、千夏は部屋のなかでアロマ・キャンドルを焚いた。気分をつけるためである。
それから、お気に入りの万年筆を取り出して、時間をかけて選んだ便せんに文字を連ねていく。
今日はこんなことがあったよ?
明日はこんな日になるといいな?
そんな何気ないことを、思いのままに書きつられていく。……その時間は、千夏にとっては至福だ。
隣室では、妹の綾香が今日の宿題に取り組んでいた。
妹は千夏とは違って成績優秀で、千夏みたいに妙な遊びに興じることもない。飛び級で、何学年か上の勉強をしていることもある。
さっき、妹が部屋のなかに入ってきた。
「お姉ちゃん、ここ教えて?」
「やだなあ。わたしは勉強苦手だって、いつも言っているじゃない?」
「でも、極限のところだよ? お姉ちゃん、数学の授業で去年やってるよね? もう忘れちゃったの?」
「忘れた」
綾香はあきれたように目を丸くする。
綾香も千夏が数学は苦手だということは知っていた。でも、去年習ったところなら、教えてもらえると思ったのだ。
綾香は、成績優秀なのはそうなのだが、まずは人にものを聞く、ということが上手だった。千夏にはない特徴である。
千夏は、わからないことがあったら、まず空想する。そうして、自分ひとりだけの世界を作り上げる。
そして、夢のなかですべてを解決してしまう。
時々は、誰にともない手紙に勉強のことを書くこともあった。
『ベルギーはジャガイモの産地だそうですね。いったいどんな品種が作られているんでしょう?』
地理で話題になるのは、その作物の生産量や売り上げなどだ。どんな品種が多く作られているのか、なんてことはめったに話題に上らない。
しかし、千夏の想像力はそうした細かいところへと、主に向かう。
今日の手紙はこんなだ。
「もうすぐバレンタインですね。バレンタインデーって、聖人の聖ウァレンティヌスに由来する記念日だって聞きました。聖ウァレンティヌスって、いったいどんなことをした偉人なんでしょう?」
「お姉ちゃん、また妙な手紙を書いているの? わたしたち家族まで変な目で見られるから、いい加減止めてよね?」
千夏の机の隣に立っていた綾香が、またあきれたように姉に釘を刺した。
「いいじゃない、わたしの趣味なんだから。時々返事が来ることだってあるのよ?」
「変人一家はいやなの。先方にだって、迷惑でしょう!」
確かに、千夏の書いた手紙をもらう相手は迷惑に違いなかった。
千夏の書いた手紙が大きな封筒に入れられて、そのまま送り返されてきたこともある。
(切手代、もったいないのにな)千夏は思った。
──
そして、数日後。
千夏も驚いたことに、見ず知らずの相手からの返信があった。
ちょうどバレンタインの日だった。
第二章:誰からでもない返事
封筒は、薄い空色をしていた。
宛名には間違いなく千夏の名前が書いてある。住所も正しい。
差出人はなかった。
「お姉ちゃん、それ、この前の手紙の返事じゃない?」
綾香が横から覗き込んでいる。
「そうみたい」
「どこの人?」
「わかんない」
「住所は?」
「書いてない」
「怖っ!」
綾香は逃げた。
千夏は怖いとは思わなかった。
むしろ嬉しかった。
自分は何十通も、誰でもない人へ手紙を出してきた。ならば一度くらい、誰でもない人から手紙をもらってもいい。
封を切った。
『千夏さんへ。
お手紙ありがとうございました。
聖ウァレンティヌスが何をした人なのか、私は知りません。
ごめんなさい。
でも、あなたの手紙を読んで、少し調べてみました。
昔のローマの人だったそうですね。
私はローマへ行ったことがありません。
ベルギーにも行ったことがありません。
ジャガイモの品種も知りません。
私は知らないことばかりです。
ところで千夏さん。
あなたは、雪がどうして白いのか知っていますか?』
「知らない」
千夏は声に出して答えた。
「何が?」
逃げたはずの綾香が戻ってきた。
「雪って、どうして白いの?」
「光が雪の結晶の中でいろんな方向に反射するからじゃない?」
「ふうん」
「調べれば?」
「いい」
「また空想するの?」
「うん」
千夏は便箋を取り出した。
雪が白いのは、空から落ちてくるまでに色を全部忘れてしまうからではないだろうか。
雲の上では赤や青や黄色だったものが、長い時間をかけて地上へ落ちてくる。そのあいだに自分が何色だったのかわからなくなって、最後には白くなる。
そんなことを書いた。
「返事、どこに出すの?」
綾香に言われて、千夏は手を止めた。
住所がない。
「困ったな」
「出せないじゃん」
「そうね」
千夏はしばらく考えたあと、封筒の表にこう書いた。
『雪が白い理由を知りたい人へ』
「郵便番号は?」
「知らない」
「届かないよ」
「今までだって、届くかどうかわからないところに出してたもの」
翌朝、千夏はその手紙をポストへ入れた。
一週間経った。
返事はなかった。
一か月経った。
やはり返事はなかった。
春になった。
千夏はその手紙のことを忘れた。
そして高校三年生になり、大学受験に失敗した。
綾香は第一志望の高校に受かった。
「お姉ちゃんも来年がんばりなよ」
「うん」
その日の夕方だった。
郵便受けに、空色の封筒が入っていた。
差出人は、やはりない。
千夏は玄関に座り込んで封を切った。
『千夏さんへ。
返事が遅くなってごめんなさい。
あなたの言うとおりかもしれません。
雪は、自分の色を忘れて白くなるのかもしれません。
でも、それなら春になって雪が溶けたとき、忘れた色はどこへ行くのでしょう?
私は、花になるのだと思います。
赤い花。黄色い花。青い花。
雪が忘れたものを、春が覚えているのです。
ところで千夏さん。
あなたは今、自分が何色なのか知っていますか?』
千夏は長いあいだ、その一行を見ていた。
そして笑った。
「知らない」
でも今度は、それでいいような気がした。
千夏は自分の部屋へ戻った。
アロマ・キャンドルに火を灯し、お気に入りの万年筆を取り出した。
便箋の最初に、こう書いた。
『誰からでもないあなたへ。
私はまだ、自分が何色なのかわかりません。
でも、来年の春には、少しくらいわかっているかもしれません。
ところで――』
千夏は少し考えた。
『夢は、どうして目が覚めると忘れてしまうのでしょう?』
そして封筒には、こう書いた。
『夢を忘れたことのある人へ』
住所は、やっぱり書かなかった。
その手紙が誰に届いたのか、千夏は今でも知らない。
どうだろう。もしかすると、どちらがAIが書いたか、難しいかな?




