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星月夜の詩  作者: クマコとアイ


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22/24

名前を呼んだ日

ラブコメっぽい感じです。

第一章 中庭で転ぶ


 渓成大学は、わたしが第一志望にしていた大学ではなかった。


 かといって、第三志望でも第四志望でもない。


 そもそも、志望というほど強く行きたいと思っていた大学がなかったのである。


 高校三年の夏になって、担任から、


「どこか受けるところ、決めた?」


 と聞かれて、わたしは初めて大学というものを真剣に考えた。


 渓成大学の入学試験は三科目だった。


 国語、英語、数学。


 数学は苦手だったが、難しい問題はあまり出ないらしい。


 英語もそれほど得意ではなかった。


 国語は、まあまあだった。


 そんなわけで、わたしは渓成大学に入った。


 大学の建物は妙な並び方をしていた。


 一号棟の隣に二号棟がある、というような素直な配置ではなく、それぞれの建物が少しずつ方向を変えながら、じぐざぐに建っている。


 慣れないうちは、次の講義の教室へ行くだけで迷った。


 建物と建物のあいだには狭い中庭があった。


 小料理店と喫茶店、それからイートインのできるケーキショップが、なぜかそこに集まっていた。


 大学の中庭というより、小さな商店街を大学の建物で囲ってしまったように見えた。


 わたしは、その中庭を走っていた。


 午後の講義に遅れそうだったからである。


 図書館で本を二冊選んだのがいけなかった。


 もう五分早く図書館を出ればよかったと思ったが、もう遅い。


 喫茶店の前を通り過ぎ、ケーキショップの前まで来たところで、人とぶつかった。


「あっ」


 相手も走っていた。


 だから、どちらが悪いということでもなかったと思う。


 わたしたちは二人とも転んだ。


 わたしは左手を地面について、手のひらを擦った。


「痛っ……」


「大丈夫?」


 男の人の声がした。


 顔を上げると、同じくらいの年齢の男子学生がいた。


 彼も膝を擦ったらしく、ジーンズの膝に白い埃がついていた。


「ごめん。急いでて」


「わたしもです」


 わたしは立ち上がった。


 二人とも本を落としていた。


 わたしの二冊と、彼の二冊。


 四冊の本が、舗装された中庭の上に散らばっていた。


「これ、そっちの?」


「たぶん」


 わたしたちは本を拾った。


 たぶん、というのは変な答えだったが、本当に急いでいた。


 腕時計を見ると、講義開始まであと二分しかない。


「じゃあ」


「あ、はい」


 それだけ言って、わたしは走った。


 彼も反対方向へ走っていった。


 手のひらはひりひりしていた。


 講義には三分遅れた。



第二章 知らない本


 その日の夕方、アパートに帰ってから気づいた。


 一冊、知らない本がある。


 図書館から借りた二冊のうち、一冊はわたしが借りた本だった。


 もう一冊は違った。


 背表紙を見ても、タイトルに覚えがない。


「……あ」


 中庭でぶつかった人の本だ。


 そこでようやく理解した。


 四冊拾ったとき、わたしたちは一冊ずつ取り違えたのだ。


 わたしは机の前に座った。


 図書館の本には、貸出者の名前など書かれていない。


 もちろん、彼の名前も知らない。


 顔なら、たぶん分かる。


 でも渓成大学には何千人も学生がいる。


 また会えるだろうか。


 翌日、図書館のカウンターへ持っていって事情を説明した。


「こちらで返却しておきましょうか?」


 司書の人に言われた。


「あ……」


 わたしは少し考えた。


 返してもらえば、それで終わる。


 本は図書館のものなのだから、それがいちばん正しい。


「もう少し持っていてもいいですか?」


「返却期限までは大丈夫ですよ」


「じゃあ、そうします」


 どうしてそう答えたのか、自分でも分からなかった。


 その日の夜、わたしはその本を開いた。


 自分ならたぶん借りなかった本だった。


 最初の十ページを読んだ。


 よく分からなかった。


 二十ページまで読んだ。


 少し面白くなった。


 三十ページまで読んで、いったん閉じた。


 あの人は、こういう本を読むのか。


 そう思った。


 それから一週間ほど、彼には会わなかった。


 わたしは時々、彼の本を読んだ。


 講義の合間にも読んだ。


 中庭の喫茶店でも読んだ。


 ケーキショップでショートケーキを食べながら読んだこともある。


 自分で選んだ本ではない。


 だから、面白くなくなったら読むのをやめてもよかった。


 でも、なぜか最後まで読んだ。


 最後のページを閉じたとき、少しだけ残念だった。


 あの人に会ったら、本を返さなければならない。


 それは当然のことなのに。



第三章 再会


 彼を見つけたのは、それから三日後だった。


 一般教養の講義だった。


 百人くらい入る大きな教室で、わたしは後ろから四列目に座っていた。


 講義が始まって十分ほどしてから、前の扉が開いた。


 一人の男子学生が入ってきた。


 中庭でぶつかった人だった。


「あ」


 声には出さなかった。


 彼は空いている席を探して、わたしよりずっと前のほうに座った。


 その日の講義は、ほとんど頭に入らなかった。


 終わったら声をかけようと思った。


 でも、なんと言えばいいのだろう。


 本。


 そうだ。本の話をすればいい。


 講義が終わった。


 学生たちが一斉に立ち上がった。


 彼も立った。


 わたしは急いで鞄を持った。


「あの」


 人のあいだを抜けて、彼のところまで行った。


 彼が振り返った。


 一瞬、誰だろうという顔をした。


 それから、


「ああ」


 と言った。


「この前の」


「はい。この前の」


 わたしたちは、なぜか少し笑った。


「本、間違って持っていきませんでした?」


「やっぱり?」


 彼は鞄を開いた。


 そこから、一冊の本を取り出した。


 わたしが図書館で借りた本だった。


「これ」


「あ、それです」


「俺のも持ってる?」


「持ってます。今日は部屋に置いてきちゃったけど」


「俺もずっとどうしようかと思ってた」


「図書館に返そうかと思ったんですけど」


「俺も」


 そこで会話が切れた。


 学生たちは次々と教室を出ていく。


 わたしたちだけが、通路の脇に立っていた。


「読んだ?」


 彼が聞いた。


「え?」


「俺の本」


「あ……読みました」


「全部?」


「全部」


「面白かった?」


 わたしは少し考えた。


「最初は、あんまり」


 彼は笑った。


「俺もそうだった」


「でも途中から面白かったです」


「そうなんだよ。途中からなんだよ、あれ」


 その言い方がおかしくて、わたしも笑った。


 彼はわたしの本を差し出した。


 受け取ろうとして、わたしは少し迷った。


「あなたは?」


「え?」


「わたしの本。読みました?」


「ああ」


 彼は答えた。


「まだ途中」


「じゃあ、まだ持ってていいですよ」


「いいの?」


「返却期限、来週だから」


「じゃあ、もうちょっと借りるわ」


 図書館の本なのに、まるでわたしの本を彼に貸しているみたいだった。


 彼も同じことを思ったのかもしれない。


「俺のも、もうちょっと持ってていいよ」


「でも、読み終わりました」


「二回読んでもいいじゃん」


 そう言って、彼はまた笑った。


 そのあと、次の講義があるから、と彼は教室を出ていった。


 わたしは彼の背中を見送った。


 名前はまだ知らなかった。


 いや。


 正確には、その次の講義で知った。


 出席を取る教授が、一人ずつ学生の名前を読み上げたからだ。


 彼の名字が呼ばれた。


「はい」


 少し離れた席から、彼の声がした。


 わたしはその名前を、心の中で一度だけ繰り返した。


 でも、声には出さなかった。



第四章 眠れない夜


 彼の本は、エルヴィン・シュレーディンガーの「自然とギリシャ人」だった。


 わたしの本は、アニー・エルノーの「戸外の日記」だった。


 どちらの本も、どうして相手を面白がらせるのか、わたしには想像もつかなかった。


 彼は理系の学生らしい。


 端正な顔立ちが、それっぽい。


 ドイツ語の講義を受けている、わたしと同じだ。


 わたしは、リルケへの興味からドイツ語の講義を受けた。


 でも、「文系ならフランス語じゃない?」と、友達から笑われた。


 良いんだ、風変わりな学生であっても。


 そのドイツ語の講義で、彼の名前を知ったのである。


 そのことを考えるだけで、どきどきする。


 その夜は当然眠れなかった。


 なぜなら、彼の名前を知ったからだ。


 その名前を口に出すと、それが恋になりそうな気がした。


 しかし、彼はわたしの名前を知らない。片恋だ。


 せつない……と思えるほど、現代は単純じゃない。


 簡単なことで、人はストーカー呼ばわりされてしまう。


 片思いも単純ではないのだ。


 でも、これは片思いなのだろうか……と、わたしは迷う。


 わたしたちは、ただ単にお互いの本を取り違え、それを貸しあっているというだけの仲だ。


 そこに、感情のもぐりこむ隙間はない。


 現に、わたしは彼にラブレターなんかを書こうとはしていない。


 LINEのアカウントを聞き出しもしなかった。


 恋に上手な友人たちなら、奥手ねえって、笑ったかもしれなかった。


 だけど……わたしは、自分のペースを大事にしたい。


 自分を傷つけたくない。


 そして、彼を傷つけたくない。


 本を貸しあったことが、恋愛目的だったなんて、思われたくない。


 ……まるでわたしは女子高生、あるいは女子中学生のようだった。


 でも、自分についてそう思えているからこそ、わたしは今日をよく眠れる。


 これが、名うての恋愛の名手だったら、そうはいかなかっただろう。


 LINEのアカウントは?


 電話番号は?


 住んでいるのはどこ?


 わたしのアパートから通えるくらい?


 懊悩は際限なく広がっていったはずだ……。


 わたしは、わたしがのんびりとした性格であることにほっとした。


 わたしは、寝返りを打って、リモコンで部屋の電気を消した。


 そういったことは、この部屋は最先端だった。


 わたしの望んでいることも……今ふうの女の子として生きること。


 そうして、夜は更けていった。



第五章 あまったおかず


 思えば、この渓成大学を受験したのも、わたしの分にふさわしい大学だと思ったからだった。


 数学はそんなに高いレベルを要求されない。


 英語はまあまあ。


 国語はそれなりだったけれど、小説好きなわたしならなんとかついていける。


 そんな妥協から、渓成大学を選んだ。


 でも、とわたしは思うのだ。


 そんな妥協ばかりから人生を選んでいって良いのだろうか?


 そろそろ人生を変えなくてはいけない時なのでは?


 そろそろ自分から恋人のひとりくらい探してみても?


 そんな迷いが、心のなかにうずまく。


 今日のおべんとうの用意をしながら、わたしはそんな愚にもつかないことを悩んでいた。


 ……そうこうしているうちに、鶏の唐揚げを作りすぎた。


 一人分のお弁当には多い量だった。


 わたしはどうしようかと一瞬悩んだ。


 即座に、今日の夕ご飯もこれにしよう、と決断した。


 貧乏性である。


 昼、夜と同じ食事がつづくのは味気ない。


 しかし、もともと味気ない一人暮らしだ。誰が見ているわけでもない。


 わたしは、揚げあがった鶏肉の半分をタッパーに保管し、半分をお弁当箱に詰めた。


 ご飯は、おいしく炊けていた。


 付け合わせのスパゲティー・サラダも、うまく出来ていた。


 ……


 わたしの悩みは、それから始まった。


 わたしは、今日こそ彼に声をかけてみようかと悩んでいた。


 今日は、わたしと彼がいっしょになるドイツ語の講義がある日ではない。


 なんのへんてつもない日だ。


 図書館の貸し出し期限には、まだ間がある。


 わたしから、彼に声をかけるべき理由はない。


 彼から、わたしに声をかけるべき理由はあるのだろうか?


 なんとなく、わたしたちの偶然は同じ地点を目指してはいないように思えた。


 同じ地点って、どんな?


 それはわたしにもわからなかった。


 しかし、その日は違った。


 わたしが中庭を歩いていると、向こうから見知った顔が歩いて来た。彼だ。


 友達といっしょだ。


 こんなことを話している。


「俺、今日弁当を忘れてきちゃってさあ、たまだから良いじゃん? 昼食付き合ってよ」


 友達との会話らしい。


 そうか。彼は弁当を忘れたのか。


 ここで、わたしははっとした。


 わたしが、もしもお弁当を二人分作ってきて、ここで、「これ、あまっているんです、よかったらどうぞ??」とか話しかけていたら、わたしたちの関係はより深まっていたのではないか? ……なんということをしたんだ、わたし! 絶好のチャンスを逃がしてしまった!


 そう思った。


 それは妄想だった。


 だが、現実は残酷だった。


 彼は、小料理店へと友人と消え、わたしは欅の木のしたで弁当をほおばった。


 味気ない昼食だった。


 欅の木が、うらめしく思えた。やはり、そこはおなじ地点ではなかった。


 わたしはやはり、お弁当を二個分作ってこなかったことを後悔した。



第六章 意外な結末


 本を返す期限が迫っていた。


 その日は雨の日だった。


 わたしは傘を持って本を出た。


 鞄のなかには、彼の本が一冊だけ入っていた。


 お弁当はもちろん、わたしの分一個分。


 少女漫画のような結末は願っていなかった。


 しかし、今日はドイツ語の講義がある。


 教室で彼と会える。


 そう思うと、わたしの心はときめいた。ときめいた……というのも、なんだかわたしの心に合わないようだったが。


 その日は電車が遅れていた。


 数万人、しかいない小さな町である。


 電車も一時間に三本くらいしかない。


 一本乗り過ごせば、即遅刻である。


 わたしは焦った。


 しかし、電車はなんとか講義の時間に間に合うように、大学前の駅まで滑り込んだ。


 わたしはそこから走っていく。


 そこで、同じようにわたしの傍らを走っていく男の子と目が合った。


 本を貸した彼だった。


 わたしはどきっとする。


 彼もどきっとしたようだった。


「俺……このすぐ近くにアパート借りてるからさ」と──初耳の情報。


「え? 今、なんて言ったんです? もうちょっと大きな声で……」走りながらなので、よく聞こえない。


「君、この本とても面白かったよ」


 やはりよく聞こえない。


「本? 本のことですか? それよりも遅刻……」


「遅刻は怖いけれど、俺は、君と仲良くなれないのが、もっと怖い」


「なんですって?」


「そう感じてる」


 隣を走っている彼が、ふいに頬を赤らめた。


 わたしは、ドイツ語の講義に遅刻しそうな焦燥感が、彼をそうさせたのだろうと思った。


 教室には、二人いっせいにすべりこんだ。


 講義開始の一分前だった。


 そして二人は、初めて腰を並べて座った。


 まるでデートでもしているような気分だった。


「あなたの『自然とギリシャ人』……とても面白かったです。哲学を専攻しているんですか?」


「いや、俺は工学部。でも、文学部に転部しようと思ってる」


「え? そうなんですか?」


「君の本を読んでいて、ますますそう思った。俺は文学に向いているって」


「哲学じゃなくって?」


「そうなんだ。だから……フランス語科に……」


「へ?」


 わたしは思った。


 わたしは、彼に何かの決意をさせてしまったらしい。


 しかし、わたしは文学部のドイツ語科だった。またすれ違う。一瞬で判断した。


「わたしたちって、すれ違いなんですね?」と、わたしは度胸を出して言った。


「え、なんて?」


「わたし、ドイツ語科ですよ。それに、あなた先日お弁当を忘れてきたでしょう?」


「ああ」


「あの日、わたしお弁当のおかずを余分に作りすぎちゃったんです。あなたの分も作ってくればよかったなって」


「迷ったの?」


「うん」


「どうして」


「なんでって、なんかあなたのことが気になっていたから」


「俺も」


「……」


「なのに、なんでドイツ語科なんだろう?!」


「決意は固いの?」


「うん。もう決めてる」


「『戸外の日記』がなにか関係した?」


「うん、こんなすごいエッセイ、俺達には書けないって思った」


「わたしもそう思う」


「……」


「わたしたちって」


「似たもの同士?」


「すれ違いの」


 彼が、窓の外を見た。雨が降ってきていた。


 わたしは、X君……と、彼の名前を呼んだ。


「ん、俺の名前を知ってるの?」


「えへへ。ストーカーだから」


「俺も似たようなもんかな」言って、彼が笑った。


「ねえ、傘持ってる? 俺、あわてて忘れてきちゃったから」


「持ってるよ。傘なら……」


「一本でも二人で使えるよね」


 わたしと彼とは、ちょっと斜めにお互いの顔を見ながら、微笑みあった。

今回は変則的になりました。

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???(・・?)もうどちらがkumako様かAIさんか全くわかりません。出だしがAIさんでラストがkumako様かなぁと思ったくらいですね。 もし章ごとに分かれているならもうお手上げです。 本が交換…
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