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星月夜の詩  作者: クマコとアイ


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19/24

喋る柿と、その実が生っていた家の奥さんの話

またぼんやりとしたファンタジーです。

第一章 柿の実る家


 その家の庭は、このあたりでも評判の見事な庭だった。


 こんもりとした茂みになっていて、道路にもいくぶんはみ出している。


 植えられていたのは、桜の木、梅の木、松の木など。


 柿の木もあった。


 統一感はないが、家の主人が植物が好きだということはよく伝わってきた。


 ブロック塀などはなくって、木々が隣家との境界に植えられていた。


 わたしにとっては、その家の前の道路は、通勤のための道路だった。


 わたしは、自宅から2キロほど離れたドラッグ・ストアまで歩いて行って、そこで薬剤師の仕事をしている。


 もちろん、きつい仕事だ。


 薬の名前は全部覚えなければいけないし、それどころか薬効や副作用まで知っておく必要がある。


 お客さんが来たら丁寧に接する。


 時には、お客さんが何を求めているのか先回りして考えるようなこともある。


「お客様の症状ですと……こちらの薬ではなく、こちらの薬が合っているように思われます。まずは一度病院を訪れてみてはいかがでしょうか?」


 これは、その一例。


 売れれば良い、という気持ちでやっていては、ドラッグ・ストアなどは立ち行かない。


 お客さんが店に入ってくると、思わず顔いろを見て、どんな病気か推測する。


 ……そんな癖がついていた。職業病である。


 しかし、身についた習癖はなかなか抜けないものだった。


 ──


 そして、柿の木が植わっている家の話……


 その家には、年老いた夫婦が暮らしていた。


 どちらかというと奥さんのほうが元気で、旦那さんのほうは物静かなたたずまいだった。


 偶然その家の前で顔をあわせると、


「おはよう」

「おはようございます」


 と、声をかけあうくらいの間柄だった。


 しかし、先方でわたしのことをどれくらい身近に感じていたのかは、分からない。


 少なくとも、その日まではそうだった。


 ……


 ある秋の晴れた日のことだった。


 わたしは、その家の前を通りかかった。仕事帰りである。


 すると、道路に1つの柿の実が落ちていた。


 最近忙しくて気づかなかったが、頭上を見上げると、そこには青い柿の実がたわわに実っていた。


(あ、もうそんな季節なんだ?)


 と、わたしは思う。


 それで、この柿の実をどうしようか、と考えた。


 奥さんに渡すのが良いのだろうか、それとも、このまま放置しておくのが良いのだろうか。


 野良犬や野良猫などが来て食べてくれれば、とも思った。


 しかし、青い柿の実の群れからひとり飛び出してきたこの柿の実は、わたしにむけて何らかのメッセージを発しているようにも思えた。


 とくにわたしは最近仕事では失敗ばかりを繰り返していた。


 ある時などは、まだ会計を済ませていない商品を含んだまま、お客さんをレジを通してしまった。


 お客さんは、ものも言わずに帰っていった。


 わたしが店長からこっぴどく怒られただけである。


 当然、その薬のぶんの代金はわたしが支払った。


 ……


 そんなこんなの気分を抱えたままの、この柿の実である。


 わたしは、柿の実をじいっと見つめた。


 向こうでも、こちらを見つめ返しているようだった。


 奥さんと旦那さんじゃなくっても、せめて犬か猫においしく食べられるといいね? と、わたしは心のなかで思った。


 そして、その場を通りすぎようとした。


 ……しかし、そんなときである。


 その家の奥さんが、建物からそそくさと出てきた。


 そして、こういう。


「あらあら、いつものお嬢さん。今日は柿の実がずいぶん生っているようね。あら、地面に落ちたものもあるのかしら?」


「はい。奥さんに渡そうかどうか、迷いました」


「あらあら。道に落ちた果物は、拾った人のものなのよ。うちではそういうことになってるの」


「そうなんですか、でもわたし何にも知らなくって。でも、この柿美味しそうです」


「でしょう? うちの柿は甘柿だから、干さなくっても美味しく食べられるの。どうぞ、持って帰って?」


 持って帰って……と言われても、地面に落ちていた柿である。


 それを持ち帰るというのが、なんとなくわたしのプライドを傷つけた。(わたしは、犬や猫じゃないんだ)


 でも、奥さんにそんな邪心は通じない。


「この柿は、奥さんと旦那さんのものです」と、いくぶんぎこちなく答えを返した。


「だからね。この家の習慣ではあなたのものなのよ、その柿は。一個くらい、うちの柿を食べてくれても良いんじゃない?」


 奥さんは、あいかわらず満面の笑顔だった。戸惑うわたし。


「じゃあ、後で。もしもたくさん生りすぎて奥さんが困るようだったら、そのうちいくつかをもらって帰りますよ。今日のこの柿は、奥さんが持っていてください」


 そんな言葉をしどろもどろで絞り出した。


 ……


 そして、わたしは自分のアパートへと帰った。


 乱雑な部屋だった。


 わたしは着替えをして、シャワーを浴びる。いつもの日課だ。


 それから、炊飯器でお米を炊く準備をして、ちょっとベッドに横になる。


(今日は何日? 十月十日かあ……)と、わたしは天井とカレンダーとを交互に見ながら思った。


 今日の、一つの柿の実をめぐってやりとりした騒動。あれはおかしかった。


 そのまま通り過ぎてしまえばよかったのに……


 でも、なぜだかそうできなかった。


 冷蔵庫を開けて、ビールを飲む。


 しかし……?? わたしは異変に気付いた。


 ダイニングのテーブルの上に、一個の柿の実が乗っていたのである。



第二章 柿の言い分


 わたしは、しばらくその柿を見ていた。


 見覚えがある。


 もちろん、柿の実のひとつひとつを見分けられるほど、わたしは柿に詳しくない。


 それでも、あの柿だと思った。


 老夫婦の家の前に落ちていた、あの柿。


「どうして?」


 誰に聞くでもなく、わたしは言った。


「どうしてって、何が?」


 答えがあった。


 わたしは冷蔵庫の扉を開けたまま、動けなくなった。


「……いま、誰か喋った?」


「喋ったよ」


「誰?」


「ぼく」


「ぼくって?」


「目の前にいるじゃない」


 わたしは柿を見た。


 柿もわたしを見た。


 いや、目なんてない。


 口もない。


 それなのに、確かに声は柿のほうから聞こえてきた。


「……疲れてる」


「そうなの?」


「そう。疲れてるの。わたし」


「仕事、大変?」


「大変」


「どんな仕事?」


「薬剤師」


「へえ」


「あなた、知ってるでしょう。あなたがさっきの柿だったとしたら、わたしの普段の生活も知っているはず」


「それってどういうこと? ぼくはただの柿だよ」


「じゃあ、どうやってここに来たの?」


「知らない」


 柿は、あっさりと言った。


 なんなのだ、この柿は。


 わたしはビールを冷蔵庫へ戻した。


 今日は飲まないほうがよさそうだった。悪酔いがすぎる……


 ……


「今日、仕事で何した?」


 夕食を食べていると、柿が聞いてきた。


「仕事」


「だから、どんな?」


「薬を売ったり、説明したり」


「失敗した?」


「した」


「どんな?」


「うるさいなあ」


「怒られた?」


「怒られた」


「誰に?」


「店長」


「なんて?」


「だから、なんでそんなことまで話さなくちゃいけないの?」


「知りたいから」


 柿は悪びれもしなかった。


 わたしは箸を置いた。


「ねえ。柿って、もっと静かなものじゃないの?」


「ほかの柿のことは知らないよ」


「あなたも柿でしょう」


「そうなの?」


「わたしに聞かないでよ」


 どうやら、柿は自分が何者なのかもよく分かっていないらしい。


 わたしはだんだん気味が悪くなった。


 翌朝、わたしは柿を紙袋に入れた。


「どこ行くの?」


「帰すの」


「どこに?」


「あなたが生っていたところ」


「ぼく、生ってたの?」


「知らないわよ!」


 紙袋の中で、柿はようやく静かになった。


 ……


 老夫婦の家まで行くと、奥さんが庭を掃いていた。


「おはようございます」


「あら、いつものお嬢さん」


「あの……」


 わたしは紙袋から柿を出した。


「これ、お返しします」


「あらあら。昨日の柿?」


「たぶん」


「気に入らなかった?」


「そういうことではなくって」


 言うべきか迷った。


 でも、このまま持って帰るのはもっと嫌だった。


「この柿、喋るんです」


 奥さんは、しばらく柿を眺めた。


 それから、わたしを見た。


「あら。あなたには喋ったの?」


「……知ってたんですか?」


「さあ?」


「さあ、って」


「うちの柿は、ときどき変なのが生るから」


「変なの?」


「形が四角かったり」


「そういう変じゃありません」


「鳥が食べなかったり」


「それも普通です」


「あら、そう?」


 奥さんは柿を受け取ると、木の根元へ置いた。


「じゃあ、ここに置いておきましょう」


 それで済むのか。


 わたしには分からなかった。


「これで、万事解決ね」奥さんが言った。


 わたしは、とうてい万事解決には思えなかった。


 ……


 その日の仕事は、それなりだった。


 失敗もした。


 風邪薬を探していたお客さんに、ずいぶん長く説明してしまった。


 それでも最後に、


「ありがとう」


 と言われた。


 たったそれだけのことで、少し気持ちが軽くなった。


 仕事を終えて、いつもの道を歩いた。


 柿の家の前を通る。


 朝、木の根元に置かれた柿はなくなっていた。


 奥さんが片づけたのだろう。


 そう思って通り過ぎた。


「今日は怒られた?」


 声がした。


 わたしは立ち止まった。


「……どこ?」


「ここ」


 仕事用の鞄を開けた。


 いた。


「なんでいるのよ!」


「知らない」


「帰したでしょう!」


「どこに?」


 わたしは答えられなかった。


 柿は木から落ちた。


 それなら、あの木が柿の家なのだと思っていた。


 でも、落ちてしまった柿にとって、木の根元へ置かれることは「帰る」ということなのだろうか。


「今日、失敗した?」


「少し」


「今日、怒られた?」


「今日は怒られなかった」


「よかったね」


「良くない。失敗は失敗だから」


「でも、怒られなかったんでしょう?」


「そういう問題じゃないの」


「人間って難しいね」


 柿は言った。


 ……


 それから三日間、柿はわたしの部屋にいた。


 よく喋った。


「友達いる?」


「いる」


「何人?」


「数えたことない」


「恋人は?」


「いない」


「なんで?」


「余計なお世話」


「昨日の夕飯は?」


「カレー」


「今日も?」


「残ってるから」


「明日も?」


「明日まで残ったらね」


「毎日同じもの食べて飽きない?」


「柿に言われたくない」


 わたしは、柿の質問にいちいち答えた。


 どうして答えているのか、自分でも分からなかった。


 四日目の夜、とうとう我慢できなくなった。


「どうして、そんなにわたしのことを聞くの?」


「知りたいから」


「だから、どうして知りたいの?」


 柿は少し黙った。


 初めて考えているようだった。


「ぼく、人間のこと何にも知らないもの」


 それだけだった。


 わたしは拍子抜けした。


 てっきり、わたしを観察しているのだと思っていた。


 仕事に失敗する理由とか。


 友達が少ない理由とか。


 毎晩同じような生活を繰り返している理由とか。


 そんなものを見透かされている気がしていた。


 でも、柿は何も知らなかった。


 ただ聞いていただけだった。


「じゃあ、ひとつ教えてあげる」


「なに?」


「人間はね、聞かれたくないこともあるの」


「どうして?」


「そういうところ!」


 わたしは笑った。


 柿も笑ったような気がした。


 ──


 翌朝。


 目を覚ますと、秋晴れだった。


 わたしはパンを焼いて、コーヒーを淹れた。


 柿はいつもの場所にいた。


「今日はね、午後からまた新しい人が入るんだって」


 返事がない。


「新人さん。わたしが薬の場所とか教えることになってる」


 返事がない。


「ねえ」


 わたしは柿をつついた。


 ただの柿だった。


 ……


 仕事へ行く途中、老夫婦の家へ寄った。


 奥さんがいた。


「この柿、喋らなくなりました」


「あら」


「壊れたんでしょうか?」


「柿は壊れないでしょう」奥さんが、ごく普通のことを言う。


「じゃあ、どうしたんです?」


 奥さんは柿を手に取って、くるくる回した。


「あら。少し色づいたわね」


「はい?」


「熟してきたのね」


「熟すと喋らなくなるんですか?」


「さあ?」


 また、それだった。


「持って帰っていいですよね。この柿」


 わたしは聞いた。


 奥さんは笑った。


「だから、最初からそう言ってるでしょう?」


「家の慣習がどうとかじゃなくって」


「ええ」


「奥さんから、もらいたいんです」


 奥さんは少しだけ驚いた顔をした。


 そして、


「どうぞ」


 と言った。


「ありがとうございます」


 わたしは柿を鞄に入れた。


 その日は、二人目の新人の薬剤師に薬の棚を教えた。


 一度だけ間違えた。


 でも、自分で気づいて訂正した。


 その新人は笑っていた。


 わたしも笑った。


 ……


 夜。


 柿をダイニングのテーブルに置いた。


 わたしはビールを一本飲んだ。


「今日ね、仕事で間違えたよ」


 柿は何も言わない。


「でも、自分で気づいた」


 返事はなかった。


「今度の新人さん、いい人だった」


 もちろん、それにも答えなかった。


 わたしは空になった缶を片づけて、ベッドへ入った。


 次の朝。


 仕事へ出かける支度をして、玄関へ向かった。


 途中で、テーブルの柿が目に入った。


「行ってきます」


 返事はない。


 外へ出る。


 今日も秋晴れだった。


 いつもの道を歩いて、いつもの家の前を通った。


 あの家の庭の柿の木を見上げる。


 青い実が、まだたくさん生っていた。


 どれも黙っていた。


 たぶん。


 わたしはドラッグ・ストアへ向かって歩いていった。

つたない話にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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