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星月夜の詩  作者: クマコとアイ


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朗読屋というアルバイト

自分では不満の残る一遍になったのですが……

第一章 K老人との出会い


 朗読屋、というアルバイトがあるのを始めて知った。

 クライアントのもとへ出かけて本を読んでくる、それだけの仕事である。

 スキルも経験も必要ないし、ただ本をうまく読んであげられればこなせる……と、そう思っていた。


 K老人と出会ったのは、桜の花も散った4月の半ばごろである。

 最初は介護のアルバイトで出会った。

 K老人は特別養護老人ホームに入所していたのである。


 わたしは単なるアルバイトだった。

 ただ部屋の片づけをし、足りないものがあれば補う。シーツの汚れなどを確認する。

 しかし、わたしの働いていた施設でトラブルが起こったことはほとんどない。

 お金持ちが集まる施設──わたしの印象はそんなふうだった。


 K老人はよくベッドわきの消灯台に本を乗せて、積ん読をしていた。

 読みたい本はあるのだろうけれど、目がなかなか追いつかないのである。


「Kさん、今日も積ん読ですか? 読まれないと本も寂しがりますよ?」

 そんな言葉を、わたしはK老人にかけるのだが、K老人はただ寂しそうに笑うだけだった。

「昔読んだ本は良い。なんとなくあらすじを覚えているから……でも、今の本はだめだね」

「どこがだめなんですか?」

「ストーリーが頭に入ってこない。だから、途中で本を置いてしまう」

「それは、寂しいことですね……」

 K老人は、さらに寂しそうな顔をした。わたしは、悪いことを言ったと思った。


 ──


 そのアルバイトの広告を見つけたのは、ふとしたきっかけだった。

 わたしは、K老人も入所している特別養護老人ホームでの仕事に疲れ果て、他の仕事を探していた。

 いくら、週に3日の休みがあると至って、出勤日の勤務時間は30時間だ。これでは、体が持つはずがない。

 同僚の何人かも、そんな口をこぼしていた。


 若いころは、仕事で不満の種があると、それが爆発的に拡大していくものである。

 些細な不満が大事になり、やがては「仕事を辞める」となる。

 ……世の中に楽な仕事などないというのに。

 わたしも、そんな病に取りつかれていた。


 同僚のSちゃんは、「あたし、来月一杯でここ辞めるんだあ。もうすこし小さい事務所で、ケアマネの勉強なんかもできる会社に移ろうと思ってる」。

「え、何それ、聞いてないよ。Sちゃんが抜けたら、わたしたちの仕事がよけい大変になる辞めないでよ」

「でも、決めちゃったから」

 そう言って、Sちゃんはわたしたちの働いている職場を辞めていった。

 今ならわかる。Sちゃんは余計に大変な思いをしただろう。

 人にこき使われている間のほうが、人間にとってはずっと楽なのだ。


 そんななかでも、わたしは別のアルバイトを探していた。

「朗読屋」という言葉が目に付いたのは、そんなときだ。

 求人雑誌の紙面には、ホワイトを強調するような文字が並んでいた。


『スキル不要。経験不要。実績によって月30万円から』


 嘘だ、とわたしは思った。

 世の中に、そんなに都合の良い仕事があるわけがない。

 それでネットで調べてみると、朗読屋の仕事というのは、ほぼ声優と同じような仕事だった。

 クラウドソーシングの会社と契約して、朗読CDのナレーションなどを引き受ける……そんな内容だ。

 誰かのもとを訪れて、そこで本を読み聞かせる、そんな仕事ではなかった。


 わたしはいつか、特別養護老人ホームでの仕事を辞めた。

 やりがいがなかったからではない、純粋に体力的にきつかったのだ。

 そして、わたしは半年間のプー太郎生活を送った。


 そんなとき、目に留まったのは求人広告誌のこんな文面だった。


『朗読屋さんを募集しています。こちらはごく普通の高齢者。ただ、ベッドのわきにすわって、本を読んでもらうだけの仕事です。ですが、スキル不要、経験不要というわけにはいきません。劇団に所属していた方などを募集しています』


 これだ、とわたしは思った。スキル不要、経験不要などという仕事は怪しい。そこには、どこかに罠がある。


 しかし、先方がそれなりにハードルを上げてくれるなら、そこには望みがある。


 わたしは、『以前文学サークルに参加していたことがあります。詩の朗読会にも参加したことがあります』と書いて、履歴書を送った。


 わたしは返事を待った。それは待ち遠しい時間だった。わたしもようやく自分らしい道を切り開いていける……そんな予感がなぜだかしていた。


 そして、面接の当日……


 電話で指定されたのは、わたしが働いていた特別養護老人ホームだった。


 指定された病室。そこには、やせ衰えたKさんの姿があった……

 


第二章 声に出して読むということ


「久しぶりですね」


 K老人はそう言った。


 わたしは、どう答えたものか迷った。


「お久しぶりです」


 結局、そんな当たり前の言葉しか出てこなかった。


 K老人のベッドのわきには、以前と同じように何冊もの本が積み上げられていた。


 ただ、以前とは本の種類が違っていた。


 夏目漱石。芥川龍之介。宮沢賢治。


 どれも古い本ばかりである。


「面接を始めてもいいかな?」


「Kさんが面接するんですか?」


「わたしが雇うんだからね」


 K老人は笑った。


「じゃあ、何か読んでみて」


「何を?」


「そこにある本なら、なんでもいい」


 わたしは迷った末に、宮沢賢治の本を手に取った。


 ページを開いた。


 声に出して読んだ。


 二ページほど読んだところで、K老人が言った。


「もういいよ」


 落ちた。


 わたしはそう思った。


「下手でした?」


「いや。上手だった」


「じゃあ……」


「上手すぎた」


 わたしには意味が分からなかった。


「朗読会じゃないんだ。わたしは、本を読んでもらいたいだけなんだよ」


「同じじゃないんですか?」


「違うね」


 K老人はそう言った。


 わたしは本を閉じた。


「じゃあ、どう読めばいいんです?」


「普通に」


 それが一番難しいのだ。


 ──


 それでも、わたしは採用された。


 一回二時間。週に三日。


 K老人のベッドのわきに座って、本を読む。


 それだけの仕事だった。


 時給は、以前の介護のアルバイトより少し高かった。


 最初のうち、わたしはどうしても上手に読もうとしてしまった。


 登場人物によって声を変えたり、悲しい場面では少し声を落としたりした。


「そこ、普通に読んで」


 K老人は言った。


「はい」


 わたしは普通に読んだ。


「そこはもう少しゆっくり」


「普通じゃないじゃないですか」


「普通にゆっくり」


「難しい注文ですね」


 K老人は笑った。


 そんな日が続いた。


 ときどき、K老人は朗読を止めた。


「ちょっと待って」


「疲れました?」


「いや。いまのところを考えてる」


 わたしは黙った。


 一分ほどして、


「いいよ」


 と言う。


 それから、また読む。


 最初のころ、その沈黙をわたしは無駄な時間だと思っていた。


 二時間しかないのだから、なるべくたくさん読んだほうがいい。


 でも、K老人にとっては違うらしい。


 十ページしか進まない日もあった。


 同じところを二度読まされたこともある。


 K老人が、途中で眠ってしまったこともある。


 そんなときは、わたしは本を閉じた。


 時給は、そのあいだにも発生していた。


 ずいぶん楽な仕事だった。


 ──


 ある日、わたしは尋ねた。


「どうしてわたしを雇ったんです?」


「どうしてって?」


「わたし、劇団にいたわけでもないし。応募条件に合ってなかったでしょう」


「ああ」


 K老人は笑った。


「知ってる人だったから」


「それだけ?」


「それだけ」


 わたしは、なんとなく納得できなかった。


「だったら、最初からわたしに頼めばよかったじゃないですか」


「君、辞めただろう?」


「施設を辞めただけです」


「同じことだよ。辞めた人間に仕事を頼むのも悪いと思ってね」


「でも求人広告は出した」


「出した」


「わたしが見るかどうかも分からないのに?」


「そうだね」


「変なの」


「そうだね」


 K老人は窓のほうを見た。


 桜はもうとっくに散っていた。


 窓の外では、新しい葉が風に揺れていた。


「昔ね」


 K老人が言った。


「本を読むというのは、一人ですることだと思っていた」


「普通そうでしょう」


「うん。でも、読めなくなってみると、そうでもないんだな」


 わたしは返事をしなかった。


「君が読んで、わたしが聞く。それでも読書なんだよ」


「そうでしょうね」


「でも、君も読んでる」


「仕事ですから」


「だから、一冊の本を二人で読んでることになる」


「そういうものですか?」


「そういうことにしておこう」


 K老人は笑った。


 わたしも笑った。


 その日の朗読は、十三ページ進んだ。


 ──


 夏になった。


 K老人は少しずつ弱っていった。


 朗読の時間も二時間から一時間になり、やがて三十分になった。


 それでも求人の契約は二時間のままだった。


「三十分しか読んでないのに、二時間分もらっていいんですか?」


「いいんだよ」


「でも」


「残りの時間は、自分で読んでいきなさい」


 そう言われた。


 仕方がないので、わたしはK老人が眠ったあとも、ベッドのわきで本を読んだ。


 声には出さなかった。


 一人で読んだ。


 久しぶりだった。


 いつからだろう。


 本を一冊、最初から最後まで読むことが少なくなっていた。


 仕事に疲れていたころは、本を開くことすら億劫だった。


 半年間何もしていなかったころには、時間はいくらでもあったのに、やはり読まなかった。


 不思議なものだった。


 読めなくなった老人のとなりで、わたしはもう一度、本を読むようになった。


 ──


 秋になった。


 ある日、施設から電話があった。


 K老人が亡くなったという。


 わたしは葬式には行かなかった。


 家族でもなければ、親しい友人でもない。


 元介護職員で、そのあと少し変わったアルバイトをしていただけである。


 数日後、施設から小さな荷物が届いた。


 本だった。


 K老人のベッドのわきに積まれていた本のうちの一冊。


 付箋が一枚貼ってあった。


『続きをお願いします』


 それだけだった。


 わたしはしばらく、その本を開かなかった。


 読むのが怖かったわけではない。


 悲しかったからでもない。


 ただ、続きを読んでしまったら、仕事が終わってしまうような気がしたのである。


 それから一週間ほどして、わたしは本を開いた。


 K老人と最後に読んだページを探した。


 その次の行から、声に出して読んだ。


 誰も聞いていなかった。


 だから、上手に読む必要はなかった。


 登場人物によって声を変えることもしなかった。


 悲しいところで声を落とすこともしなかった。


 ただ、普通に読んだ。


 ときどき立ち止まった。


 考えた。


 また読んだ。


 その本を読み終えるまでには、ずいぶん長い時間がかかった。


 朗読屋というアルバイトが、その日で終わったのかどうか、わたしには今でもよく分からない。

こんな作も良いかと思い置いておきます。

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