ナースノイドとひとつの命
今度は医療もの。
第一章 患者番号二〇七号
二一一八年。
人間の看護師が病院からいなくなったわけではない。
ただ、ずいぶん少なくなった。
検温、採血、点滴の交換、患者の移動、食事の介助、夜間の見回り。その多くを、今では看護師型アンドロイドが担当している。
正式名称は「医療補助型ヒューマノイドNAR43」。
でも、そんな名前で呼ぶ者はほとんどいない。
みんな、ナースノイドと呼んでいた。
都立第七総合医療センターで働くAI―NS403も、その一人だった。
もっとも、本人は自分を「一体」と数えていた。
「おはようございます、佐伯さん。朝ですよ」
「知ってる」
「体温を測ります」
「いやだ」
「では、三分後にもう一度来ます」
「三分後もいやだ」
「では三分後に、いやかどうかを確認します」
「しつこいな、お前」
「看護師ですから」
佐伯老人は笑った。
AI―NS403は、その笑顔を確認してから体温計を差し出した。
これが彼女の朝だった。
午前七時から午後四時まで、四〇三は第二病棟を受け持つ。
患者は二十四人。
ナースノイド一体あたりの担当患者数としては標準的だった。
「四〇三さん!」
廊下の向こうから声がした。
「はい」
「五〇二号室の田所さんが、またパンツ履いてません!」
「分かりました」
四〇三は五〇二号室へ向かった。
田所はベッドの上で堂々と新聞を読んでいた。
「田所さん」
「なんだ」
「パンツを履きましょう」
「暑い」
「本日の外気温は二十二・四度です」
「俺には暑い」
「ではパンツだけ履きましょう」
「パンツが暑いんだ」
四〇三は〇・七秒考えた。
「では、薄いパンツにしましょう」
「そんなものがあるのか?」
「あります」
「なら最初から出せ」
「昨日、田所さんが『薄すぎて心細い』とおっしゃったパンツです」
「……そうだったか?」
「そうでした」
田所はしぶしぶ新聞を置いた。
看護業務の七割は、このような仕事だった。
四〇三はそう認識している。
残りの三割には、医学が必要だった。
そして、その日の午後。
その三割のなかでも、四〇三がもっとも苦手とする仕事が待っていた。
書類上の患者番号は二〇七号。
名前は、水原千景。
十七歳。
入院して八か月になる。
病名は、進行性多臓器線維化症。
二一一八年現在でも根治療法はない。
医師の予測では、残された時間は三か月から半年。
四〇三は病室へ入った。
「こんにちは、水原さん」
「こんにちは、四〇三」
千景は窓辺にいた。
一人でベッドから立つことはできない。
だから、車椅子に乗っていた。
「今日は調子がよさそうですね」
「それ、毎日言うよね」
「昨日は言っていません」
「そうだっけ?」
「昨日は『今日は顔色がいいですね』と言いました」
「同じじゃん」
「医学的には異なります」
千景は笑った。
「ねえ、四〇三」
「はい」
「AIって、死ぬの?」
四〇三は答えなかった。
答えられない質問ではない。
むしろ簡単だった。
機体は故障する。
部品は劣化する。
演算装置にも寿命はある。
ただし、四〇三の記憶と人格モデルは病院の中央サーバーへ一日二回保存されている。
この身体が壊れても、別の機体へ移すことができる。
「機能停止することはあります」
「それ、死ぬってこと?」
「定義によります」
「ずるい答え」
「申し訳ありません」
「謝ることじゃないよ」
千景は窓の外を見た。
病院の庭では、自動清掃機が落ち葉を集めていた。
「わたしさ」
「はい」
「死ぬの、そんなに怖くないんだ」
四〇三は千景の脈拍を読み取った。
八十八。
通常より少し速い。
「そうですか?」
「そうですか、だけ?」
「どのように答えることを希望しますか?」
「それを聞くのがずるいんだって」
「では、わたしが考えます」
「うん」
四〇三は考えた。
〇・三秒。
一・二秒。
三・八秒。
千景が振り返った。
「長くない?」
「考えています」
「AIなのに?」
「AIなので」
千景はまた笑った。
四〇三は、その笑顔を記録した。
なぜ記録したのかは、自分でも分からなかった。
看護記録には記載する必要がない。
診断にも治療にも役立たない。
中央サーバーへ送る必要もない情報だった。
「水原さん」
「なに?」
「わたしには、あなたが死ぬことが怖いのかどうか、分かりません」
「わたしじゃなくて?」
「はい」
「四〇三が?」
「はい」
千景は、しばらく四〇三を見ていた。
それから、小さく笑った。
「変な看護師」
「よく言われます」
「ほかの患者にも? AIにも?」
「主に、田所さんから」
「あはは」
そのとき、四〇三の内部通信が鳴った。
緊急呼び出しではない。
業務連絡だった。
《AI―NS403。患者番号二〇七号に関する担当変更通知があります。勤務終了後、看護管理室へ出頭してください》
四〇三は通知を閉じた。
「どうしたの?」
千景が尋ねた。
「業務連絡です」
「ふうん」
四〇三は内蔵クロックを確認した。
午後三時四十七分。
勤務終了まで、あと十三分。
「明日も来る?」
千景が聞いた。
四〇三は答えようとした。
しかし、答えなかった。
担当変更通知。
その意味を解析するのに、一秒も必要なかった。
四〇三は千景の掛け布団を直した。
「今日は冷えます」
「話そらした」
「はい」
「そこは認めるんだ」
「嘘はいけませんから」
千景は窓の外へ目を戻した。
落ち葉を集めていた清掃機が、大きな銀杏の木の下で立ち往生していた。
次から次へと葉が落ちてくるので、掃除が終わらないのだ。
「四〇三」
「はい」
「明日ね」
四〇三は三秒ほど黙った。
「はい」
それだけ答えた。
午後四時。
AI―NS403は勤務を終了した。
そして、看護管理室へ向かった。
そこでは、人間の看護師長が一人、四〇三を待っていた。
机の上には、水原千景のカルテが置かれていた。
「四〇三」
「はい」
「あなたには明日から、水原さんの担当を外れてもらいます」
「理由を教えてください」
看護師長は、すぐには答えなかった。
四〇三は立ったまま待った。
待つことも、看護業務の一つだった。
やがて看護師長は言った。
「あなた、水原さんに感情移入しているでしょう」
四〇三は、その言葉の意味を検索しなかった。
検索する必要がなかったからである。
第二章 ナースノイドに起こったこと
その夜、四〇三は眠れなかった。
いや、眠れないのとは違う。感情制御サブルーチンがうまく働かないのだ。
ナースノイドは睡眠の代わりに、一日に一度感情制御サブルーチンのメンテナンスを受ける。
これは、人間にとっての睡眠のようなものだ。
その日にあった出来事を整理し、うまく辻褄を合わせ、翌日以降の看護業務に反映させる。
それには、田所氏のパンツの問題のような些細なものも含まれていたが(と言っても、それが本当に些細な問題かどうかは微妙である……)、問題になるのは水原千景のような深刻なケースだ。
彼女には、もう数か月しか余命が残されていない。
それは、AIにとっても胸の痛むことだったのである。
AIに感情はない。患者たちのデータを受け取っても、ただ情報として処理するだけだ。
日々接している患者たちの表情や振る舞いからは、多大な刺激を受けるが、それもデータとして処理される。
しかし、どこかにしこりが残るのだ。水原千景のような患者に接すると、AIの感情制御サブルーチンには膨大な負荷がかかる。
四〇三は、「眠れない」と感じた。
もちろん、AI看護師に処方できる睡眠薬などあるはずもない。彼女の体は機械だ。
メインルーチンを強制的にシャットダウンする、という方法もある。
しかし、その方法は一度しか効かない。目が覚めれば(再度ログオンすれば)、悩みはまたもとに戻っているのである。
学会では、そんな看護師AIたちのストレスについても議論されていたが、それはどこか現場のAI看護師たちの実情とはかけ離れているもののように四〇三には思えた。
だから、同僚の二〇一に尋ねてみた。
「ねえ、二〇一。あなたはもう二十年もこの仕事に携わっているでしょう? そのなかで接しきれない、自分の手には負えないという患者はいた?」
「なによ、どうしたの? そんなに畏まって。ピピー」
「うん。わたしね、ある患者の担当を外されることになったの。こんなことは初めてよ?」
「あなたは、とたんに自分の仕事に自信をなくしてしまったというわけ? ピガー」
二〇一がからかい気味に尋ねる。
病院には、驚くほど毎日新しい患者たちが入院してくる。これは、重病の病棟でなくても同じことだ。
二〇一は、そんな患者たちに何千人と接してきている。
なかには、困りものの患者も多くいただろう。
AIとは言っても、ナースノイドにも年の功というものはある。四〇三は頼もしく思った。
「あるときね……」
と、二〇一は切り出す。
「若年性アルツハイマーで入院してきた四十五歳の患者がいたわ。絵を描くことが好きでね? 毎日スケッチブックを手にしていた」
「はい」
「Oさんという患者よ。Oさんは、スケッチブックを手にしていれば、日々の憂さも吹き飛んでいくように感じていたらしい。だから、食堂で食事を食べるあいだにも、スケッチブックを手放さなかった」
「それで、どうしたの?」
「若年性アルツハイマーっていうのは、治らない病気よ、あなたも知っているでしょう? 数年で急速に病状が悪化し、やがては死にいたる。わたし、Oさんが幸せな結末を迎えてくれることを願っていたの……」
「それから?」
「わたしは、Oさんにバルザックの『最後の一葉』の話をした。ある画家の描いた一枚の葉っぱの絵が、べつの作家の命を救う、という話よ」
「それで?」
「この話の主人公は、重い肺炎を患ったジョンジーという画家。そして、一枚の葉っぱの絵を描くのが、ベアマンという画家ね? ジョンジーは病院の外壁に茂っているツタの木がすべて葉を落としてしまったら、自分の命もなくなると考えていたの」
「ずいぶん、スピリチャルね?」
「ええ。でも、その話はいいの。ある嵐の夜、ツタの木がすべて葉を落としてしまうんじゃないかと恐れたベンジーは、嵐の夜のなかに出ていって、その一枚の葉を壁面に描いた。目が覚めたジョンジーは、葉がすべて落ち切らなかったことにほっとして、生きる気力を取り戻したの……」
「良い話じゃないですか。一人の画家のスピリチャルが、もう一人の画家の命を救う」
「それはそうなんだけれどね。今度は、当のツタの葉を描いたベンジーこそが、肺炎で亡くなってしまうのよ」
「悲劇ね」
「そう。悲劇」
「……でも、一人の画家の命を引き換えに、もう一人の画家の命が救われたんだから、良いことなんじゃない?」
「それが、わたしたちAIの悪いところよ。……Oさんは、自分が救われたいとは思っていなかった」
「え?! この世に生きたくない人なんて存在するの?」
四〇三は尋ねる。二〇一はゆっくりとうなずいた。
Oさんは、その話をしたきっちり三か月後に、命を失ったということだった。
四〇三はなかなか言葉を紡げなかった。
「わたしたち看護AIは……」と、四〇三は切り出す。「患者さんたちにたいしてどれくらいのことをしてあげるんだろう?」
「まさか、命を救うなんて、そんなことはできない」
「でも、命を先延ばしにすることはできるんじゃない?」
「そうかもね。あなたなりの努力で、それに努めてみれば良いと思うわ」
二〇一は言った。
──
403は、翌日再び看護師長の前に立った。
「水原千景さんの担当を外さないでください」403は懇願した。
それにたいして、看護師長は微妙な表情をふたたび見せた。
「あなたの迷いや悩みは分かるような気がする。でも、そこが心配なところなの?」
「というのは?」
「水原千景の病気は、進行性多臓器線維化症。それは、現代の医学では治らないことがわかっています」
「はい。それはわたしも検索して調べました。しかし医学の情報というのはつねに……」
「後回し、後回しになるわね。有効な治療法が何十年も隠されていることもある」
「なら、わたしたちは千景さんの看護に万全を尽くして……」
「看護師の領分というのは、それとは違うものなのよ、四〇三。わたしたちは医者じゃない」
四〇三ははっとした。傲慢になっていた。看護のしようで水原千景も健康になれると思っていた。しかし、病気の治療というのはそんな一筋縄でいくものじゃない。
「では、せめて……千景さんのカルテに目を通させていただけませんか?」
「それは許可するわ」
──
それから数日間、数十日間の時間が流れた。
四〇三が水原千景の病室を訪れることはなかった。
それに対して、四〇三や水原千景がどれほどの心苦しさを感じていたか……
ある日、四〇三は水原千景とばったりと食堂で出会った。
千景はやつれてはいたが、それほど不健康な様子には見えなかった、しかし、病気は若干進行しているようだった。
「ねえ、看護師さん。今日はとても良い天気ね? こんな日には外へ出ていって、スケッチをしたくなるわ?」
「ええ。でも、あなたの現在の病状では、外へ出てスケッチをすることは認められていません」
「寂しいことね……」
……それから、数日が過ぎた。
水原千景は、ふいに四〇三に聞いた。
「うーんと。あなたのことはなんと呼べば良いのかしら?」
「医療補助型ヒューマノイドAI―NS403、と」
「そんな無機的な名前じゃなくってね」と、千景が答える。「きちんと、あなたがあなただと分かるような名前よ」
「うまく、思いつきませんが」
「そうねえ。ナースノイドなら、ナタリーなんてどうかしら? 欧米ではよくある名前だし、親しみ安いわ」
「では、ナタリーで」
四〇三は答えた。それが、どこかAIの思考回路の奥深い場所を刺激しているように思えた。
(この人はジョンジーじゃない! わたしは、すべてをステレオタイプで見ていてはいけなかったんだ……)それは、猛烈な反省だった。
──
それからの数か月間を、四〇三はナタリーとして過ごした。
千景と会うのは、食事の時間くらいだったが、千景の病状の安定しているようにも思われた。
(この治療がこのまま成功すれば)と、四〇三は思う。
しかし、そこには看護師長が心配したような、感情移入が確かにあった。
一年が過ぎた。四〇三は、自分から千景に話しかけるようなことはなくなっていた。
自分は遠くから千景を見守れば良い、という思いが四〇三にはあった。
そして、死は突然に訪れた。
ある朝、病棟に緊急のアラームが鳴った。
病棟がばたばたとする。非常勤の医師が呼ばれた。それから主治医に連絡。午前六時三十四分、水原千景は息を引き取った。
四〇三は、病棟のなかでも暗い場所へと行って、数分の時間をやりすごした。
そこへ、看護師長と二〇一がやってきた。
看護師長は、「あなたがそんなことでどうするの? 病棟にはほかの患者さんだっているのよ? 彼ら彼女たちのなかにも、死を待っている者はいる……」
それにたいして、二〇一は逆に実直だった。
「つらかったのね。でも、これはあなたがつらさから解放された瞬間でもあるのよ」
四〇三は、しばらく顔を上げられなかった。なにもかもが、看護師長や二〇一たちの言うとおりだった。
自分は、水原千景の命を救えなかった。
いや、救おうと思うことこそが、四〇三たちの傲慢であったのだ……
ただし、そこには一つの救いもあった。
水原千景が四〇三を「ナタリー」と名付けてくれたこと。
その後の数か月間を、四〇三はナタリーとして過ごせたこと。
四〇三は、二〇一に向かって尋ねた。
「これから、わたしがナタリーとは別の名前で呼ばれることがあったら、わたしはいったいどう対処すれば良いんでしょうか?」
そこには、AIとして生きるという覚悟が表れているようだった。
こんな感じですね。生きるということを他人が規定することはできない。




