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星月夜の詩  作者: クマコとアイ


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12/24

ケーキ盗難事件

初めて書いたミステリーです。ちょっとぼんやりしていますが……

第一章 なくなったケーキ


 蕨野市で盗難事件が起こった。盗まれたのはなんでもない。ケーキだ。


 それは、今はでは「晴天のケーキ盗難事件」と呼ばれている。


 蕨野市の秋は早い。もう8月もなかばをすぎるころになると、ラジオからストーブのコマーシャルが流れていたりする。


 だから……というのでもないのだろう。


 ある秋の晴れた日に、その盗難事件は起こった。


 その事件は2つの点で異質だった。


 一つは、単にケーキが盗まれただけという単純さ。


 もう一つは、犯人が一向に見つからなかったという異様さである。


 ──


 その日も、洋菓子店「うたたねのメロディー」の店主春日葵は朝早くから起きだしていた。


 だいたい朝の7時くらいまでには、その日作るおおかたのケーキの仕込みを終える。


 店の奥には特製のオーブンがあり、それは外国に注文した高価なものだった。


 葵は、まずベルギーへ行ってショコラティエの修行をした。


 それから、パリへ出て洋菓子全般を学んだ。


 蕨野市に戻ってきたのは、今から6年前のことである。パリでは20年ほど暮らしていた。


 それ以来、北山という小高い丘で家庭的なケーキを提供する菓子店を開いていた。


「うたたねのメロディー」には、よく訪れる常連が何人かいる。


 そのうちの一人は、画廊「木漏れ日のしたで」を開いている、高木聖子。


 彼女は、その日も朝早くから「うたたねのメロディー」を訪れていた。


 画廊で来客たちに出す洋菓子を、聖子は毎日のようにこの店に来て選んでいるのである。


 次の一人は、建築作業員である安田。下の名前は太郎と言う。


 彼は甘いものに目がなく、「うたたねのメロディー」の来客のなかでもきっての菓子通である。


 彼にはただ、お腹が空いてしまうと見境なくなんでも口にしてしまう、という癖があった。


 次の一人は、武田保である。彼は苦学生の画学生で、菓子類は好きなものの、いつも金欠でお腹を空かせている。


 その日は10時ごろに訪れて、マドレーヌを3つ買っていった。


 それから、本居信子。彼女は、大学で文学の講師をしている。


 菓子事情にも詳しく、葵によくこれから作る菓子やケーキについてのアドバイスを送っている。


 最後に、後藤洋一。蕨野の再建プロジェクトに携わっている、建築家である。


 緻密な作業のあいまに、甘い菓子類を食べることを好んでいる。しかし、いたって常識人だ。


 その日は、ちょうどお昼の時間帯に「うたたねのメロディー」を訪れた。


 ──


 葵が異変に気付いたのは、ちょうど午後1時になったころだった。


 その日はいつになく店も賑わっていたのだが……


 ショーウィンドウに出していた、ビュッシュ・ド・ノエルがなくなっていたのである。


 葵は、まずあっけにとられた。


 わたしは、お店のほうにも気を配っていたはず。ケーキを盗まれるなんていう隙はなかったはず。


 しかし、実際にはケーキを盗られている。いったい誰がやったのだろうか?


 まさか、クリスマスにはまだ早すぎる、という点でビュッシュ・ド・ノエルが反感を買ったのでもないだろう?


 葵は、その季節にはまだ早すぎる、とも見える菓子を作ることもよくあった。


 葵は、警察に通報しようかどうか迷った。


 盗まれたのは、たかがケーキである。貴金属ではない。


 しかし、これが事件の端緒にならないとも限らない。


 犯人は、より金目のものを盗める機会をうかがっているのかもしれないのである。


 ……


 警察は、まもなくやってきた。


 5、6人という大勢で、葵はあっけにとられた。たかがケーキの盗難事件で……


 しかし、警察官たちは真剣な面持ちで、主にこの店の常連客たちについて葵に質問していく。


 たとえば、高木聖子はどんな女性か? 画廊の経営で困ってはいないか? ふとした出来心で、経費を節約するために盗みを働いてしまったりする可能性がないか?


 安田太郎については、その癖についてしつこく聞かれた。甘いものに目がない。目の前においしいお菓子があったら、思わず手を出してしまわないとも限らない。


 武田保。苦学生だというところが引っ掛かった。あるいは、彼は何日も食事をしていないのかもしれない。目の前においしそうなケーキがあったら、ついやましい心に駆られてしまうのではないか?


 本居信子も怪しい。大学で講師の職についてはいるが、なにか普段から自分は認められていない、ということを感じている。「このケーキのおいしさはわたしにしか分からない!」というヴァニティーに駆られてしまう可能性もある。


 後藤洋一。建築家。この常連たちのなかでは、もっとも理性的な人物に思える。しかし、そうした理性的な人物こそ、突発的な事件においては怪しいのである。


 ……


 葵は、警察官たちからの聞き取りに心底疲れていた。通報なんてするんじゃなかった、という気もちもあった。


 しかし、これがやがて大きな事件に発展したら? という怖さもあった。


 店の外は晴れていた。そして、この事件は予想もしなかった解決を見たのである。



第二章 晴れた日の捜査


 翌日も晴れていた。


 秋の空は青く、高かった。


 北山の上から蕨野市を見下ろすと、遠くの山々までが妙にはっきりと見えた。こんな日には、悪いことなど何も起こらないような気がする。


 しかし、「うたたねのメロディー」では、朝から二人の警察官がショーウィンドウを調べていた。


「ここですか?」


「はい」


 葵は答えた。


「このいちばん右側。ここに置いてありました」


「ビュッシュ・ド・ノエルが」


「はい」


 警察官は手帳に書き込んだ。


 昨日から何度「ビュッシュ・ド・ノエル」と言っただろう、と葵は思った。


 そもそも九月も終わらないうちにビュッシュ・ド・ノエルを作った自分が悪かったような気さえしてきた。


「ほかのケーキは?」


「盗られていません」


「現金は?」


「盗られていません」


「店内の備品などは?」


「何も」


「つまり、ビュッシュ・ド・ノエルだけがなくなった」


「そうです」


 警察官は難しい顔をした。


 そこへ、入口のベルが鳴った。


 安田太郎だった。


「おはようございます。あれ? また警察ですか」


 安田は作業着姿で店内を見回した。


「まだ見つからないんですか、犯人」


「見つかりません」


「そうですか」


 安田はショーケースを覗き込んだ。


「じゃ、このモンブランと、栗のシュークリーム。それからアップルパイ二つ」


「朝からよく食べますね」


「これから現場なんで」


 警察官が安田を見た。


「安田さん」


「はい?」


「昨日の十二時から一時まで、どちらに?」


「仕事ですよ」


「証明できますか?」


「できますよ。十五人くらい一緒にいましたから」


 あまりにも簡単に答えられて、警察官は少し残念そうな顔をした。


 安田は会計を済ませると、紙袋を抱えて出ていった。


 十分ほどすると、今度は武田保がやってきた。


「マドレーヌ、あります?」


「ありますよ」


「一個ください」


「今日は一個?」


「昨日三個買ったから、お金がないんです」


 武田は百円玉と十円玉を一枚ずつ数えるようにしてトレーへ置いた。


 警察官が近づいた。


「武田さんですね」


「はい」


「昨日、こちらへ来ましたね」


「来ました」


「ケーキを盗みませんでしたか?」


 あまりにも直接的だった。


 武田は目を丸くした。


「盗んでませんよ」


「お腹が空いていたそうですね」


「いつも空いてます」


「ビュッシュ・ド・ノエルは好きですか?」


「好きですけど……」


 武田は少し考えた。


「でも、あれ、盗むには大きすぎません?」


 葵と警察官は同時にショーウィンドウを見た。


 確かにそうだった。


 ビュッシュ・ド・ノエルは一本まるごとだった。長さは三十センチほどある。クリームで覆われ、上にはチョコレートの飾りも載せてあった。


 ポケットに入るようなものではない。


「箱は?」


 警察官が葵に聞いた。


「え?」


「箱ごとなくなったんですか?」


「いいえ。ケーキだけです」


「では、犯人は箱を用意していた?」


「さあ……」


 昨日は誰もそんなことを聞かなかった。


 武田はマドレーヌを受け取ると、


「じゃあ、僕はこれで」


 と言って出ていった。


 警察官はしばらくショーウィンドウを眺めていた。


「変ですね」


「何がです?」


「三十センチのケーキを、誰にも気づかれずに持ち出す」


「はい」


「しかも、箱を使った形跡がない」


「そうですね」


「素手ならもっと変です。クリームがつく」


 葵は、初めて事件らしい話になってきた、と思った。


 だが同時に、妙なことにも気づいた。


「あの」


「はい」


「昨日、そんなこと調べませんでしたよね?」


「何をです?」


「どうやって持ち出したのか、とか」


 警察官は黙った。


 葵は続けた。


「皆さん、ずっと常連さんのことばかり聞いていましたよね」


「それも捜査ですから」


「でも、五、六人も来て」


「……」


「ケーキ一個ですよ?」


 警察官は答えなかった。


 そこへ、また入口のベルが鳴った。


 高木聖子だった。


「葵さん。大変だったわね」


「聖子さん」


「昨日、警察が画廊にまで来たのよ。経営状態はどうですか、なんて聞かれたわ」


「ごめんなさい」


「葵さんが謝ることじゃないけど」


 聖子は苦笑した。


「それで、ケーキは?」


「まだです」


「そう」


 聖子はいつものように焼き菓子を選び始めた。


 そのとき、店の外で車の停まる音がした。


 さらに三人の警察官が入ってきた。


 葵は思わず、


「また?」


 と言った。


 一人が敬礼した。


「少し確認したいことがあります」


「まだあるんですか?」


「昨日、店内にいた可能性のある人物について、もう一度お話を」


 葵はため息をついた。


 聖子が振り返った。


「ずいぶん大事件なのね」


「わたしもそう思い始めました」


「ケーキ一個で?」


「ケーキ一個で」


 二人は顔を見合わせた。


 そのときだった。


 聖子が何気なく窓の外を見て言った。


「昨日も、こんな天気だったわね」


「え?」


「ほら。雲ひとつない」


「そうね」


「朝からずっと晴れていたでしょう?」


「ええ」


 葵は答えてから、なぜかその言葉が引っ掛かった。


 昨日は晴れていた。


 今日も晴れている。


 だから、どうしたというのだろう。


 警察官たちは再び聞き取りを始めた。


 ──


 本居信子は昨日の午後、大学にいた。


 後藤洋一は一時前には建築事務所へ戻っていた。


 高木聖子は九時半から画廊にいた。


 安田太郎には十五人の同僚がいる。


 武田保についてだけは、一時間ほど所在のはっきりしない時間があった。


 だが、三十センチのビュッシュ・ド・ノエルをどうやって運んだのかは分からない。


「やっぱり武田さんじゃないですか?」


 一人の警察官が言った。


 葵は、なぜか腹が立った。


「どうしてです?」


「ほかの方にはアリバイがあります」


「でも、盗んだ証拠はないでしょう?」


「それはそうですが」


「お腹が空いていて、お金がない。それだけですよね?」


「……はい」


「それだけで犯人にするんですか?」


 店内が静かになった。


 高木聖子が、焼き菓子を載せたトレーを持ったまま、こちらを見ていた。


 警察官たちは互いに顔を見合わせた。


 そのうちの一人が言った。


「もちろん、決めつけてはいません」


「だったら、もっと別のことを調べてください」


「別のこと?」


「どうやってケーキを持ち出したのかとか」


 葵はショーウィンドウを指した。


「昨日、わたしはほとんどここにいました。誰かがあんな大きなケーキを抱えて出ていけば、気づくはずです」


「しかし、実際になくなった」


「だから不思議なんです」


 警察官は黙った。


 聖子が言った。


「ねえ、葵さん」


「なに?」


「昨日、そのケーキをここに置いたのは何時?」


「開店前よ。八時半くらい」


「そのときには、確かにあった?」


「もちろん」


「誰か見ている?」


 葵は答えようとして、止まった。


 見ている?


 誰かが?


「わたしは見たわよ」


 聖子が言った。


「え?」


「昨日の朝。わたし、九時すぎに来たでしょう。ビュッシュ・ド・ノエル、あったわ」


「そうだった?」


「覚えてる。こんな時期にクリスマス? って思ったもの」


 これで、少なくとも九時すぎまではケーキが存在していた。


 葵は少し安心した。


 しかし、聖子は続けた。


「でもね」


「なに?」


「ちょっと変だったの」


「何が?」


「あのケーキ」


 聖子は窓際へ歩いた。


 そして、ショーウィンドウのいちばん右側を指した。


「昨日、ここにあったんでしょう?」


「そうよ」


「朝、わたしが見たときも、ここにあった」


「うん」


「それなら……」


 聖子は窓の外を見た。


 空には相変わらず雲ひとつなかった。


 秋の日差しが、北山の坂道を白く照らしている。


「どうして、あのケーキ、溶けてなかったの?」


 誰も答えなかった。


 葵はショーウィンドウを見た。


 そして初めて、そこへ手を伸ばした。


 ガラスは温かかった。


「このショーウィンドウ……」


 聖子が言った。


「冷蔵じゃないでしょう?」


 葵は頷いた。


 焼き菓子などを並べるための、ごく普通の陳列棚だった。


 昨日は朝から晴れていた。


 窓は南東を向いている。


 午前中いっぱい、日が差し込む。


 三十センチのビュッシュ・ド・ノエル。


 チョコレート。


 生クリーム。


 朝九時にはそこにあった。


 午後一時には消えていた。


 そして昨日は、朝から雲ひとつない晴天だった。


「待って」


 葵は呟いた。


「何か、おかしい」


 警察官が聞いた。


「何がです?」


「全部」


 葵は答えた。


「この事件、最初から何かがおかしい」


 その日の午後、警察は初めて常連客への聞き込みを中断した。


 そして「うたたねのメロディー」の店内そのものを調べ始めた。


 後に「晴天のケーキ盗難事件」と呼ばれることになる事件が、本当に奇妙なものになったのは、実はここからだった。



第三章 意外な容疑者


 葵は急に腹が立ってきた。この警察官たちは、この店の常連客たちを犯人に仕立てあげようとしている……


 それは、パティシエという職業にたいする愚弄である。葵は思った。


 葵は、ただ客たちに喜ばれるためにだけ、菓子を作っている。


 そこに、儲けたいという感情や、目立ちたいという思いなどはない。


 純粋に、喜びのための仕事なのだ。


 それなのに、警察官たちはそんな店を訪れる常連客たちをまず疑っている。


「ケーキが溶けるなんて、ありえませんよ。アイスクリーム製じゃないんだから」


 葵は、聖子にむかって話しかけた。その言葉が、どこかとがっていた。


 聖子が経営状況の苦しい画廊を営んでいることは知っている。


 でも、自分だってそんなに豊かなパティスリーを開いているわけじゃない。


 だから、誰にも疑いはかけたくなかった。


 盗まれたのは、たかがケーキ1個だ。おおげさにするようなことじゃない。しかし、この警察官たちは事件をなんとか大げなものにしようとしているように見える……


「盗まれたっていうのは、勘違いだったんじゃ? あなたは前の日の記憶かなにかと混同している」


 警察官のひとりが言った。


 その言葉にも、葵は腹が立った。自分はまだ、認知症を患うような年齢じゃない。


 ビュッシュ・ド・ノエルは、たしかにその日の気まぐれで作った。この季節にしては早すぎただろう。


 だからと言って、わたしをボケ老人扱いするなんて……初老の葵が、この取り調べで始めて傷ついた瞬間だった。


 ……


 そんなところへ、武田保が帰ってきた。


「僕……やっぱりマドレーヌが3個ほしくって」


 おずおずと、保が切り出す。


 葵はカウンターのところへ行って、5個のマドレーヌを取ってきた。


「お代は今日は良いから。あなたも体に気を付けてね」


「はい」


 武田保はふたたび店を出ていった。


 どこにでもある、庶民的な菓子店での、ありふれた光景だった。


 警察官たちは、まだぐずぐずと店のなかに居座りつづけている。


 そんなところへやった来たのが、安田太郎だ。


 彼は、警察官たちの前にまっすぐにやってくると、こんな話を切り出した。


「実は……このことは話しておかないといけないと思って」


 深刻な表情である。


「実は、この北山にはホームレスの子供たちが住んでいるんです。10人くらいでしょうか。彼らの姿を、昨日この店に来る途中で見ました」


「ほう、それは有力な手掛かりですな? ホームレスの子供たち、と?」


「決して悪い奴らじゃないんです。でも、いつもお腹を空かせている。俺も、ときどき自分が買ったパンを彼らに分けてあげることがあります」


「なるほど、それで?」


「昨日は、この店へ来る途中で彼らの姿を見ました。何日も食事をしていないようでした……あ、だからと言って、俺が彼らを犯人だと考えているっていうわけじゃないんですよ? あくまでも情報として……」


「情報なら、なんでも役に立ちます。安田さん、ありがとうございました」


「どういたしまして」


 そう言って、安田は店を立ち去っていった。


 さて、ここでホームレスの子供たち、という容疑者まで現れてきた。


 飢えた子供たち、それも感覚が研ぎ澄まされている子供たちであれば、店主のちょっとした隙をつく、ということも可能だろう。


 蕨野市では、このところちょっとした事件が頻発している。


 子供たちがお腹を空かせてパティスリーのケーキを盗む。十分にありそうな話だった。


 警察官の一人は、手帳に何かメモを取っていた。


「怪しいのは子供たちだな」


 警察官の一人が言う。葵は胸が痛んだ。


 次にやってきたのは、本居信子。


 彼女も容疑者のひとりと疑われたらしく感じていた。


 だから、この店に顔を出しておかないと、と思ったのだ。


 その日の講義は、やはり午後からの予定だった。


 信子は、「犯人はまだ見つからないんです? このところ、この辺りも物騒になってきましたからねえ。たかがケーキでと言わずに……」


 と、警察官たちに媚びるようなことを口にする。


 その目は、やや斜交いを向いていて、あえて人と目を合わせないようにしているようにも見える。


 警察官は、そのところを見逃さなかった。


「本居さん。あなたは人権問題にも興味をお持ちでしたね? 実は今、ホームレスの子供たちというのが、このケーキ盗難事件の容疑者として浮かんでいるのです」


「なんですって? まさかそんな!」


「事実です」


「なんていう恐ろしいことなんでしょう。子供たちがそんな事件に与しているだなんて……」


 信子の口調はすこし大げさだった。


 そして、早く仕事へ行きたいかのようなそぶりを見せている。


 しかし、警察としてもそれ以上事件について追及するよすがはなかった。


 なにしろ、信子にはアリバイがあるのである。


 葵は、信子が店を訪れてから退店するまでの様子を、逐一見ていた。彼女がケーキを盗んだとは考えられない。


 とすれば、犯人はやはり子供たちなのか……



第四章 晴天のケーキ盗難事件


 警察官たちは、北山へ向かった。


 安田太郎の話によれば、子供たちがいるのは「うたたねのメロディー」から歩いて十分ほどのところだという。


 そこには、蕨野市が管理する古い公園がある。


 かつては展望台として賑わった場所だが、今では訪れる人も少ない。


「わたしも行きます」


 葵が言った。


「しかし……」


「わたしのケーキでしょう?」


 警察官は渋々了承した。


 本居信子も同行すると言い出した。


「子供たちが疑われているのでしょう? わたし、人権問題には関心がありますから」


 そう言う信子を、葵はちらりと見た。


 先ほどまで仕事へ行きたそうにしていたのに。


 外へ出ると、空はどこまでも青かった。


 昨日と同じ晴天だった。


 坂を上っていくと、汗ばんでくるほど日差しが強い。


「暑いですねえ」


 警察官の一人が帽子を取り、額をぬぐった。


「秋とは思えない」


「蕨野の秋は早いんですけどね」


 葵は答えた。


「晴れると、まだ暑いんです」


 公園へ着いた。


 子供たちは、いた。


 十人ほどが、古い東屋の下に集まっている。


 小学生くらいの子もいれば、中学生くらいの子もいる。


 警察官たちの姿を見ると、一斉に身構えた。


「昨日、北山の洋菓子店へ行った者はいるか?」


 警察官が尋ねた。


 誰も答えない。


「ケーキがなくなったんだ」


 その言葉に、一人の小さな男の子が顔を上げた。


「ケーキ?」


「ビュッシュ・ド・ノエルというケーキだ」


「びゅ……?」


「チョコレートのケーキだよ。丸太みたいな形をしている」


「知らない」


 男の子は首を振った。


「昨日、お店の近くには行った?」


「行ってない」


「本当に?」


「本当」


 別の女の子が言った。


「昨日は、みんなここにいたよ」


「ずっと?」


「うん」


「食べ物は?」


 子供たちは黙った。


 葵は、その沈黙の意味が分かった。


 食べていないのだ。


 だが、それはケーキを盗んだ証拠ではない。


「もういいでしょう」


 葵が言った。


「しかし……」


「この子たちじゃありません」


「なぜ分かるんです?」


「分かりません」


 葵はきっぱり言った。


「分からないから、犯人じゃないと言ってるんです」


 警察官は困った顔をした。


 信子が口を挟んだ。


「でも葵さん。感情だけで判断するのも……」


 その瞬間だった。


 葵は信子を見た。


 なぜだろう。


 何かが引っ掛かった。


「信子さん」


「なに?」


「昨日、うちに来たの、何時だった?」


「え?」


「昨日よ」


「午前中でしょう?」


「何時ごろ?」


「さあ……十一時半くらいだったかしら」


 葵は黙った。


 信子の顔から、少しずつ笑みが消えた。


「どうしたの?」


「あなた、昨日のビュッシュ・ド・ノエル、見た?」


「見たと思うけど」


「どんなだった?」


「どんなって……」


「チョコレートのケーキよ」


「そうね」


「丸太みたいな形で」


「ええ」


「上にチョコレートの飾りを載せてた」


「そうだったわね」


 葵は、そこで立ち止まった。


「嘘」


「え?」


「あなた、見てない」


 警察官たちが振り返った。


「どういうことです?」


「上に載せたのは、チョコレートじゃない」


 葵は言った。


「砂糖菓子です。赤い柊の実と、緑の葉っぱ」


 信子は黙った。


「でも、それが何だというんです?」


 警察官が尋ねた。


「見間違えただけかもしれない」


「そうです。見間違えただけかもしれない」


 葵は答えた。


「だから、これだけじゃ何の証拠にもならない」


 信子はほっとしたようだった。


「だったら……」


「でも、もう一つある」


 葵は信子を見た。


「昨日、警察が来たとき、あなた、ビュッシュ・ド・ノエルが盗まれたことを知ってた?」


「それは……」


「わたし、あなたには連絡してない」


 信子は答えなかった。


「警察から聞いたんじゃ?」


 一人の警察官が言った。


 別の警察官が首を振った。


「いや。本居さんへの聞き取りでは、盗難事件としか伝えていない。品物については伏せていた。ケーキ盗難事件なんて、大げさですからね」


 しばらく、風の音だけがしていた。


 信子は俯いた。


 しかし葵には、まだ分からなかった。


 たとえ信子が犯人だとしても――。


「どうやって?」


 葵は呟いた。


 三十センチのケーキだ。


 箱はない。


 晴れた日のショーウィンドウ。


 葵はほとんど店にいた。


 信子がケーキを抱えて出ていったところなど見ていない。


 そのとき、一人の警察官が言った。


「店へ戻りましょう」


 ──


 十分後。


 全員が「うたたねのメロディー」に戻っていた。


 警察官は、ショーウィンドウの前に立った。


「春日さん。昨日、このケーキを置いた皿は?」


「これです」


 葵は棚から細長い銀色のトレーを出した。


「洗いました?」


「ええ。昨日の夕方に」


「では、ここへ置いてください」


 トレーを置く。


 秋の日差しがガラス越しに差し込んでいる。


「昨日もこうだったんですね?」


「はい」


 警察官は、しばらく棚を眺めた。


 そして背面のガラス戸を開けた。


「ここから商品を出す?」


「はい」


「客からは?」


「開けられません。こちら側からだけです」


「つまり、客がショーウィンドウから直接盗むことはできない」


 葵は目を見開いた。


 そんな当たり前のことを、どうして誰も確認しなかったのだろう。


「じゃあ……」


「ケーキは、ショーウィンドウから盗まれたんじゃありません」


 警察官は言った。


 葵は朝のことを思い出した。


 九時すぎ。


 聖子が来た。


 そのときには、ケーキがあった。


 そのあと葵は、奥の厨房と店を何度も往復している。


 客から注文を受ければ、ショーウィンドウの後ろを開けて商品を取り出す。


「本居さん」


 警察官が言った。


「昨日、何を買いました?」


 信子は答えなかった。


 葵が思い出した。


「シュークリーム」


「何個?」


「六個」


「箱に入れましたね?」


「はい」


 葵の声が小さくなった。


 六個入りの箱。


 大きめのものを使った。


 信子はほかにも焼き菓子を買った。


 紙袋も渡した。


 警察官が信子を見た。


「あなたは盗んでいないんですね?」


 奇妙な質問だった。


 信子が顔を上げた。


「……はい」


「では、何があったんです?」


 長い沈黙のあと、信子は言った。


「もらったんです」


「誰に?」


「葵さんに」


「え?」


 葵は声を上げた。


「わたしが?」


「昨日、あなた、すごく忙しかったでしょう」


 信子は言った。


「シュークリームを箱に入れて、焼き菓子も袋に入れて。それから電話が鳴った」


 葵は覚えていた。


 材料業者からだった。


「あなた、電話で話しながら、ショーウィンドウを開けたの」


「それで?」


「ビュッシュ・ド・ノエルを出した」


「……」


「わたし、言ったわよ。『これも?』って」


 葵は何も言えなかった。


「そしたらあなた、『いつもいろいろ教えてもらってるから』って」


「そんな……」


「だから、いただいたの」


 葵の頭の中に、昨日の光景が少しずつ戻ってきた。


 電話。


 注文していた小麦粉。


 納品日の変更。


 信子の箱。


 紙袋。


 そして――。


「あ」


 葵は言った。


 思い出した。


 気まぐれで作ったビュッシュ・ド・ノエル。


 季節外れだから、売れ残るかもしれない。


 だったら信子に味を見てもらおう。


 確かにそう思った。


「でも、どうして昨日言わなかったの?」


 葵は尋ねた。


 信子は気まずそうに答えた。


「言えなくなったのよ」


「どうして?」


「警察が五、六人も来たって聞いたから」


「それで?」


「最初は、あなたがわたしにくれたことを忘れてるなんて思わなかった。何か別のケーキが盗まれたんだと思ったの。でも話を聞いているうちに……」


「ビュッシュ・ド・ノエルだって分かった」


「ええ」


「だったら言えばよかったでしょう!」


「だから!」


 信子も声を上げた。


「言えると思う? 警察があんな大騒ぎしてるところへ、『そのケーキなら私がもらいました』なんて!」


 店内が静まり返った。


 やがてひとりの警察官が吹き出した。


「じゃあ、盗難事件じゃなかったのですね?」


「……そういうことになりますね」


「子供たちも?」


「無関係です」


「武田さんも?」


「無関係です」


「安田さんも?」


「もちろん」


 葵は椅子に座り込んだ。


 恥ずかしい。


 猛烈に恥ずかしかった。


 しかし、それ以上に腹が立った。


「じゃあ、あなたたち!」


 警察官を指差した。


「五、六人も来て、いったい何を調べてたんですか!」


 警察官たちは互いに顔を見合わせた。


 一人が咳払いした。


「最近、この地域で窃盗事件が頻発しておりまして……」


 葵の年齢のことは、微妙な問題だった。まさか、自分自身でケーキを信子にわたしたことを忘れているなど……


「だからって!」


「関連事件の可能性を考え……」


「ケーキ一個でしょう!」


「おっしゃる通りです」


 警察官たちは、帰っていった。


 その日の午後、「うたたねのメロディー」は臨時休業になった。


 葵は北山の公園へ行った。


 大きな箱を抱えて。


 中には、朝から焼いたマドレーヌ、フィナンシェ、アップルパイ、栗のタルトが入っていた。


 子供たちは、最初は警戒していた。


「これ、盗んだんじゃないからね」


 葵が言うと、一人の女の子が笑った。


「知ってるよ」


 みんなで食べた。


 晴れた秋の午後だった。


 数日後。


「うたたねのメロディー」のショーウィンドウには、一枚の札が置かれた。


 《新作 晴天のケーキ》


 丸太の形をしたチョコレートケーキだった。


 上には赤い柊の実と緑の葉っぱ。


 季節外れのビュッシュ・ド・ノエルとほとんど同じものだった。


「これ、何が新作なの?」


 また、パティスリーを訪ねてきた聖子が尋ねた。


「名前」


 葵は答えた。


「味は?」


「同じ」


「それでいいの?」


「いいの」


 葵は笑った。


「晴れた日に食べるケーキだから」


 この菓子は意外なほど評判になった。


 そして事件のほうも、いつしか蕨野市の人々から、


 「晴天のケーキ盗難事件」


 と呼ばれるようになった。


 実際には、盗まれたケーキなど一つもなかったのである。

今回は変則的にわたしが2章。AIが2章ということになっています。

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― 新着の感想 ―
多分2章と4章がAIさんで、1章と3章がkumako様かなと私は思います。 私の場合は、kumako様ならこれ書いてるんじゃないかなぁ、と想像して決めています。 警察官沢山来すぎはドキドキしますね。私…
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