第9話 乳を変える
冬。
甘酒と焼き菓子はすっかり村の人気者になっていた。
朝になれば子供たちが甘酒を求めて広場へ集まる。
焼き菓子を巡って小さな喧嘩が起きるほどだ。
「一人二枚まで!」
ミアが叫ぶ。
「ずるい!」
「昨日お前三枚食べただろ!」
子供たちの騒ぎにガルドは苦笑した。
「平和になったもんだ」
飢えを心配していた頃が嘘のようだった。
だが。
穣だけは別の方向を見ていた。
牛舎である。
牛たちがゆっくりと牧草を噛んでいる。
ミアがため息を吐いた。
「今度は何?」
穣は答える。
「乳だ」
「また始まった」
◆
カイは毎朝牛の乳を搾っていた。
村でも貴重な栄養源だった。
だが問題がある。
日持ちしないのだ。
数日もすれば臭いが変わる。
飲めなくなる。
飲み切れない分は捨てるしかない。
トーマが桶を見ながら言った。
「これだから乳は面倒なんだ」
「子牛に飲ませるのが一番だな」
ガルドも頷く。
穣は桶を見つめていた。
「もったいない」
◆
数日後。
牛舎の隅で騒ぎが起きた。
「腐ったぞ!」
村人が桶を持ってくる。
中の乳は白く固まっていた。
ミアが顔をしかめる。
「うわぁ……」
トーマも嫌そうな顔をする。
「捨てろ捨てろ」
しかし穣は乳を掬った。
匂いを嗅ぐ。
しばらく黙る。
そして言った。
「違うな」
ミアが頭を抱えた。
「その台詞聞き飽きた」
◆
広場に村人が集められた。
穣は固まった乳を前に立つ。
「乳酸菌だ」
沈黙。
誰も分からない。
トーマが腕を組む。
「また菌か」
「また菌だ」
穣は即答した。
村人たちは笑い出した。
「結局全部菌じゃねえか!」
「穣は菌としか友達がいないのか!」
珍しく穣も否定しなかった。
◆
翌日。
穣は発酵乳を少しだけ取り分ける。
そして温めた牛乳へ混ぜた。
布で包み保温する。
ミアが覗き込む。
「今度は何日待つの?」
「一日」
「短い」
「菌が優秀だからだ」
意味は分からなかった。
◆
翌朝。
桶の蓋が開かれる。
中身は白く固まっていた。
ミアが首を傾げる。
「これ食べれるの?」
「食べれる。食べろ」
嫌な予感しかしない。
恐る恐る口へ運ぶ。
酸っぱい。
「うぇっ!」
思わず顔をしかめた。
子供たちも挑戦する。
「すっぱい!」
「変な味!」
トーマは大笑いした。
「失敗じゃねえか!」
広場も笑いに包まれる。
◆
だが穣は慌てない。
黙って倉庫へ向かう。
そして戻ってきた。
手には甘酒。
木匙で白い発酵乳へ混ぜる。
ゆっくりとかき混ぜる。
ミアが怪訝そうな顔をする。
「今度は何?」
「完成だ」
絶対に信用できなかった。
◆
再び味見。
ミアが口へ入れる。
そして固まった。
酸味。
甘味。
なめらかな舌触り。
甘酒だけでもない。
牛乳だけでもない。
まるで別の食べ物だった。
「……美味しい」
広場が静まり返る。
「本当か?」
トーマも食べる。
目を丸くした。
「なんだこれ」
「うまい」
子供たちが群がる。
「ちょうだい!」
「僕も!」
「もっと!」
あっという間に桶が空になった。
◆
その様子を見ていたカイは呆然としていた。
牛を育てていたのは自分だ。
乳を搾っていたのも自分だ。
だが今まで乳は余れば捨てるものだった。
誰も喜ばなかった。
それが今。
皆が笑っている。
子供たちが夢中で食べている。
ガルドが肩を叩いた。
「立派な仕事だな」
カイは驚いたように顔を上げる。
「僕……ですか」
「ああ」
「牛を育てたのはお前だ」
カイは少し照れながら笑った。
その顔を見てミアも嬉しくなった。
◆
夕方。
広場の騒ぎが落ち着いた頃。
ミアは穣へ尋ねた。
「麹と何が違うの?」
穣は少し考える。
「菌が違う」
「それは分かる」
「仕事も違う」
穣は牛舎を見る。
「麹菌は麦を甘くした」
「乳酸菌は乳を変えた」
「土の菌は畑を作る」
ミアは黙って聞く。
「世界は役割分担で出来ている」
「誰か一人じゃ回らない」
穣は静かに言った。
「菌も」
「人も」
◆
夜。
牛たちは静かに眠っている。
カイは牛の背中を撫でていた。
その向こうで穣は村を見渡す。
畑。
家畜。
堆肥。
麦。
麹。
甘酒。
ヨーグルト。
全てが繋がっていた。
捨てられるはずだった物が命を繋ぐ。
それこそが循環だった。
穣は静かに呟く。
「命は回る」
冬の夜空には満天の星が輝いていた。




