第7話 腐らせるな
春に植えた豆は見事に育った。
そして、その後に蒔いた麦。
村人たちは収穫の日、自分たちの目を疑った。
穂が大きい。
重い。
茎は太く、風に揺れても倒れない。
トーマが麦を握りしめる。
「なんだこれ……!」
鎌を入れるたびに束ができる。
刈っても刈っても終わらない。
ガルドでさえ呆然としていた。
「こんな麦畑は……若い頃にも見たことがない」
村中総出の収穫になった。
子供たちは麦束を運び、大人たちは汗だくで刈り続ける。
夕方には広場が麦の山で埋まっていた。
その夜。
久しぶりの収穫祭が開かれた。
笑い声が響く。
子供たちは走り回る。
ミアも珍しく笑顔だった。
「これだけあれば、もう飢えないよね」
ガルドも頷く。
「ああ。こんな量は初めてだ」
だが――。
穣だけが倉庫を見つめていた。
ミアが気付く。
「また何か見つけた?」
穣は短く言った。
「腐る」
全員が固まった。
「は?」
◆
数週間後。
穣の言葉は現実になった。
倉庫の奥。
麦袋の一部に白いカビが生えていた。
袋は湿り、嫌な臭いがする。
さらにネズミが穴を開けている。
虫も湧き始めていた。
トーマが顔を真っ赤にする。
「なんでだよ!」
「せっかく採れたのに!」
穣は腐った麦を手に取った。
「採れただけだ」
「は?」
「まだ終わってない」
穣は麦を砕く。
「畑で失う量より、倉庫で失う量の方が多い事もある」
村人たちは絶句した。
ガルドが信じられない顔をする。
「そんな馬鹿な……」
「作るだけじゃ足りない」
穣は静かに続けた。
「守らなきゃ意味がない」
◆
翌日から改革が始まった。
まず穣が命じたのは乾燥だった。
収穫した麦を広場へ広げる。
太陽の下で何日も乾かす。
ミアが汗を拭う。
「こんなに乾かす必要あるの?」
「水があるから腐る」
隣で聞いていたリサが苦笑した。
「結局また水なのね」
穣は当然だと言わんばかりに頷いた。
◆
次は倉庫だった。
穣は床を高くするよう指示する。
木を組み、地面から浮かせる。
風が下を通り抜ける構造だった。
カイは森から木材を運び続けた。
完成した高床式倉庫を見て、村人たちは驚く。
「地面につけないのか?」
「湿気を切る」
穣の説明は相変わらず短い。
だが効果は明らかだった。
◆
さらに穣は倉庫の中で火を焚いた。
もちろん燃やすわけではない。
煙だけを充満させる。
子供たちが煙番を担当した。
「目が痛いー!」
「ちゃんと見ろ」
穣は容赦しない。
燻煙によって虫は減り、ネズミも寄り付かなくなった。
村人たちは再び驚いた。
「煙にそんな力があるのか」
「嫌うだけだ」
穣は淡々としている。
◆
最後に穣は倉庫の隅へ小部屋を作った。
トーマが首を傾げる。
「何に使うんだ?」
「未来だ」
意味不明な返事だった。
だが中には一番良い麦だけが入れられていく。
翌年の種。
未来の収穫。
未来の村。
穣にとっては宝物だった。
◆
ある日の夕方。
トーマは倉庫で麦袋を積んでいた。
ふと呟く。
「俺……勘違いしてたな」
穣は黙って聞く。
「収穫したら終わりだと思ってた」
穣は答える。
「途中だ」
「途中……」
「口に入るまでが農業だ」
トーマは目を見開く。
今まで畑しか見ていなかった。
育てることだけ考えていた。
だが守ることも同じくらい大事だったのだ。
彼は初めて理解した。
◆
季節は流れた。
冬。
雪が降る。
冷たい風が村を吹き抜ける。
近隣の村では食糧不足が始まっていた。
夏の収穫が少なかった村は苦しんでいる。
飢えに怯えていた。
だが――。
ガルドは静かに倉庫の扉を開いた。
中には麦袋が積み上がっている。
まだ大量に残っていた。
ミアが目を丸くする。
「まだある……」
子供たちも歓声を上げた。
誰も飢えを心配していない。
それはこの村では初めてのことだった。
◆
穣は一粒の麦を拾う。
掌の上で転がす。
「豊作だけじゃ村は救えない」
静かな声だった。
「残して初めて収穫だ」
窓の外には雪。
だが村人たちの顔に不安はない。
ガルドが小さく笑った。
「ようやく……冬を恐れなくて済むな」
穣は頷く。
そして倉庫いっぱいの麦を見渡した。
生き残った麦。
守られた食糧。
未来へ繋がる種。
穣は静かに呟く。
「循環は、生き残ってこそ続く」




