第4話 実る土を作れ
朝露の残る麦畑を、風が静かに揺らしていた。
以前より葉色は濃い。
茎も太い。
だが——。
「……実が軽い」
土門穣は穂を摘み、指先で潰した。
中身が薄い。
粒が痩せている。
隣ではトーマが腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「葉っぱばっか元気でも意味ねぇだろ」
確かに畑は前より青々としていた。
だが収穫できる“実”が少ない。
穣は静かに呟く。
「足りないな」
ミアが呆れ顔を向けた。
「また?」
「今度は“実る力”だ」
◆
その日の昼。
穣は村の焼き場へ向かっていた。
薪を燃やした後の灰が山になっている。
村人たちは誰も見向きもしない。
穣はしゃがみ込み、灰を指先で擦った。
「捨ててるのか」
ガルドが眉をひそめる。
「燃えカスだぞ」
「違う」
穣は灰を握った。
「カリだ」
当然、誰も分からない。
トーマが顔をしかめる。
「また変な名前出てきたぞ……」
穣は畑を見ながら言った。
「実を太らせる力だ」
◆
さらに穣は家畜小屋の裏へ向かった。
そこには捨てられた魚の骨や獣骨が積まれている。
腐臭が漂う。
ミアは鼻を摘んだ。
「うわ……」
だが穣は骨を拾い上げた。
「これも使う」
「骨が?」
トーマが呆れた声を出す。
穣は地面に棒で絵を描いた。
根。
花。
実。
「窒素は葉を育てる」
「だが実は別だ」
骨を指差す。
「リン酸」
そして灰を握る。
「カリ」
「根を張り、花を咲かせ、実を太らせる」
ミアはぽかんとしていた。
「……全部役割違うの?」
「人間と同じだ」
穣は淡々と言った。
「一人じゃ畑は回らない」
◆
その夜。
村外れに火が上がった。
穣が骨を焼いているのだ。
白くなるまで焼き続ける。
ぱちぱちと火花が散る。
カイが不安そうに見つめていた。
「……食べるの?」
「違う」
穣は焼けた骨を石で砕いた。
ごり、ごり、と音が響く。
白い粉ができる。
「これで土が変わる」
さらに灰を混ぜる。
堆肥へ入れる。
発酵液も加える。
すると数日後。
堆肥は再び熱を持ち始めた。
白い湯気が立つ。
ミアが半歩下がる。
「また熱出してる……」
「働いてる」
穣は静かに言った。
◆
だがトーマの不満は限界だった。
「結局お前、“足りない”ばっかじゃねぇか!」
鍬を地面へ叩きつける。
「水が悪い、土が悪い、菌が足りない、窒素が足りない!」
「いつ完成するんだよ!」
静まり返る村人たち。
穣は少しだけ黙った。
そして畑を見たまま答える。
「自然に完成はない」
「……は?」
「循環し続ける」
トーマは眉を歪めた。
「訳わかんねぇよ……」
「止まるから腐る」
穣は静かに言う。
「人間も土も同じだ」
その言葉に、トーマは何も返せなかった。
◆
数日後。
穣は畑を三区画に分けた。
一つ目は何もしない畑。
二つ目は窒素肥料だけ。
三つ目は窒素に加え、灰と骨粉を入れた畑。
村人たちは半信半疑だった。
ガルドが腕を組む。
「本当に変わるのか……?」
「見れば分かる」
穣は短く答えた。
◆
数週間後。
違いは誰の目にも明らかだった。
三つ目の区画だけ、穂が大きい。
実がぎっしり詰まっている。
茎も太く、風に負けない。
ミアが目を丸くした。
「……全然違う」
カイが穂を持ち上げる。
「重い」
トーマは無言で穂を割った。
中から膨らんだ麦粒が現れる。
「なんだこれ……」
穣は静かに言った。
「実った」
風が吹く。
黄金色の畑が波のように揺れた。
◆
収穫の日。
村人たちは総出で麦を刈っていた。
以前より量が多い。
籠が次々と埋まっていく。
子供たちが笑いながら麦を運ぶ。
ガルドは積み上がる袋を見つめ、震える声を漏らした。
「こんな収穫……何年ぶりだ……」
ミアは汗を拭きながら穣を見る。
「……本当に変わった」
「土は裏切らない」
穣は静かに答えた。
◆
夜。
穣は収穫した麦粒を選り分けていた。
大きい粒。
重い粒。
虫食いの少ない粒。
ミアが隣へ座る。
「何してるの?」
「次を選んでる」
「次?」
「強い種を残す」
ミアは呆れたように笑う。
「また始まった……」
穣は麦粒を見つめたまま言った。
「土が変われば、種も変わる」
その瞳は、もっと先を見ていた。
◆
その時だった。
畑を掘っていたカイが小さく声を上げた。
「……なんかいる!」
皆が覗き込む。
そこには、一匹のミミズがいた。
湿った土の中でゆっくり動いている。
以前の畑にはいなかった生き物だ。
穣は小さく笑った。
「土が戻ったな」
ミアは柔らかな土を触る。
前より湿っている。
匂いも違う。
死んだ土の臭いではない。
生きた匂いだ。
夜風が吹く。
黄金色の麦畑が月明かりに揺れていた。




