2話 短い休暇
最近、同じ夢を見る。
泥に沈んだ戦場。
雨に濡れた仲間の顔。
俺に親切にしてくれた先輩が、あっけなく死んだこと。
戦闘が終わるまで、その死に気づかなかったこと。
誰も死んだ仲間のことを口にしなかったこと。
そして、仲間を失った俺が、まるで何事もなかったかのように功績を称えられたこと。
最後には、エミルが出てくる。
『俺も軍に入ることにしたんだ』
あのとき俺は何も言えなかった。
目を覚ますたび、胸の奥に嫌な感覚が残っていた。
前線の任務を交代し、街に戻ってから数日が経っていた。母さんと食卓を囲み、エミルや他の知り合いと他愛もない話をする。
慣れ親しんだ故郷で過ごしていると、少しずつ心が落ち着いていくような気がした。
それでも、夜になれば夢を見る。
眠ることが怖いわけじゃない。
ただ、眠るたびにあの戦いへ戻される。
やっぱり、怖い。
辛いのに、苦しいのに、誰も失いたくないのに、逃げようと考えることすらしなかった。
まるで、自分は死ぬことを恐れていないかのようだった。戦場で、何日も共に生きた仲間の死を目の当たりにして、次は自分かもしれないと何度も考えたはずなのに。今では、あのときの自分が遠い他人のように思える。
だから、エミルが戦争に行くと言ったときも、止められなかったのかもしれない。
自分が何を経験してきたのか、あいつに話せば良かったのだろうか。それとも、話したところで何も変わらなかったのだろうか。
選ばなかった選択の答えはわからない。
考えても仕方がないとわかっていても、同じことを何度も考えてしまう。
そんなふうに、寝起きから暗い考えに沈んでいたときだった。
玄関の呼び鈴が鳴った。母さんは出かけている。俺はベッドから立ち上がり、玄関へ向かい扉を開けると、軍服を着た男が立っていた。
「カイル・ローザ殿ですね」
「はい。何かあったんですか?」
男の表情は硬かった。
「…前線が壊滅状態です。先日奪取した区画も、敵に奪い返されました。」
「……あの区画が?」
思わず反射的に聞き返していた。
俺たちが命をかけて得たエリアだ。泥の中を這い、敵の側面へ回り込み、近接機動隊が進める隙を作った。あの戦闘で失われた命を思えば、ただの地図上の一区画として片付けることはできなかった。
あまりにも動きが早すぎる。
敵が最前線で失ったリソースを補完するまでは時間があるはずだった。
それなのに、何が起きた…?
「詳しい話は本部で説明されます。急いでください」
「……分かりました。」
きっと長い休みにはならないだろうと思っていた。それでも、こんなに早くまた戦場に戻ることになるとは思っていなかった。
今度は、何を失うことになるのだろう。そんな考えが頭から離れなかった。
*
軍本部に着いたときには、すでに大勢の兵士が集められていた。
顔を見合わせ、何が起きたのかと話し合う者。黙ったまま壇上を見つめる者。装備を身につけたまま、いつ命令がくだされるのかと待ち構えている者。
落ち着かない空気が漂っていた。
やがて、壇上に司令官が姿を現した。
「諸君。すでに耳にしているものもいるだろうが、我が国パーディタは現在危機に瀕している」
ざわめきが収まる。
「敵国ドルンが新型兵器を投入した。その攻撃によって我が軍は前線に甚大な被害を受け、防衛戦の維持が困難な状況に陥っている。」
司令官は背後の地図を指し示した。
「攻撃は突然だった。多数の兵士が被害を受け、各部隊の連絡も相次いで途絶した。指揮系統が混乱する中、防衛戦は次々と突破され、この一ヶ月にわたって戦い続けた最前線の区画も、すでに敵の手に落ちている。」
会場のあちこちから低いざわめきが起こった。俺も、落胆せずにはいられなかった。
少なくとも、俺達が前線にいた頃は、確かに敵を押していた。それが今では、これまでとは比べ物にならない勢いで押し戻されているらしい。
俺が戦い、確保した区画には新たな部隊名がいくつも書き込まれていた。そして、その部隊名を隠すように赤いバツ印が重ねられている。
防衛戦が崩壊したことを示すそれらを見て、俺は巻き込まれなくてよかった、と思ってしまっていた。
未知の兵器による攻撃に巻き込まれずに済んだ。あの場に残っていたら、自分も被害を受けていたかもしれない。そう考えて安心してしまった。
仲間が死んでいるというのに。
俺は自分の命を惜しいと思っていたのだ。そのことに、どこかほっとしていた。
以前の俺なら、そんな自分を恥じたのかもしれない。
だが、今は違った。
生きていたい。
死にたくない。
そう思えることが、少しだけ嬉しかった。
「敵が使用した新型兵器の名称は《ブラックソーン》。その毒ガス攻撃によって、前線が崩壊した」
《ブラックソーン》、聞き慣れない名称だ。たが、その兵器によって多数の死傷者が出たという事実だけは理解できた。
「情報によると、その用途は毒ガスだけには留まらない可能性が高い。今後も投入が続けば、従来の戦術では前線を維持できなくなる恐れがある。現在、我々は防衛線の再編を急いでいる。各部隊は指定された地点へ移動し、敵の進出を食い止めなくてはならない。今後の作戦については、各部隊に個別に指示を出す。各員、命令に従って行動しろ」
司令官の言葉を最後に、兵士たちは次々と動き始めた。俺も隊列から離れようとした、そのときだった。
「ヴァイス!お前の分隊は班員を連れてこちらへ来てくれ」
呼ばれた分隊長が短く返事をする。俺たちは他の兵士たちと別れ、司令官の後を追って別室へ向かった。
部屋の中央には大きな机があり、その上には周辺一帯の地図が広げられていた。目標までの経路や、敵軍の防衛戦が細かく書き込まれている。
司令官は机の反対側に立ち、俺たちを見渡した。
「ヴァイス。先日の戦闘で、お前の分隊が前線に突破口を開いたことは聞いている」
「部下たちのおかげだ」
分隊長は簡潔に答えた。
「謙遜はいい。今回、お前たちを選んだのは、その実績とお前の判断力を評価してのことだ」
司令官は地図へ視線を落とした。
「本題に入ろう。お前たちには遊撃部隊として行動してもらう。我々が優先すべきは、敵の新兵器を無力化することだ。諜報員が得た情報により、ドルン軍が《ブラックソーン》を保管している主要施設の一つが判明した」
司令官が地図上の一点を示し、そこに赤い円が描かれていた。
「ただし、分かっているのは施設のおおよその位置だけだ。内部の構造も、どの建物にブラックソーンが保管されているのかも確認できていない。この一帯には複数の軍事施設が集中している。情報が不十分なまま砲撃すれば、目標を破壊できない可能性がある」
司令官は赤い円を指でなぞった。
「防衛線が崩れた今、前線から兵力を引き抜く余裕はない。だが、ブラックソーンの運用を放置すれば、戦況はさらに悪化するだろう。危険な任務であることは自明だが、我が国の勝利のためだ。頼んだぞ」
俺は地図を覗き込んだ。目的地までの経路は示されている。敵の配置も、ある程度は把握されているらしい。
諜報員とか、わざわざ俺たちに個別で作戦を話したりとか、気になることは色々あったが、それも分隊長より上の人たちの判断なのだろう。与えられたこの任務も、言葉で言うだけなら、銃弾や砲弾飛び交う前線で戦うよりは無事に帰れる見込みがあるように感じる。
「ヴァイス、俺はお前達をこの作戦に当てると決めた自分の選択を信じてる。頼むぞ」
「まったく、厄介なものだよクラーグ。お前からの信頼なんて」
そのやり取りからは、二人の長年の付き合いが垣間見えた気がした。
その後は作戦の詳細を擦り合わせることに時間をかけた。
「気を抜くなよ。」
最後にはそう言って、司令官は俺達に退室を命じた。
「なんだ、思ったより簡単そうじゃないか。」
部屋を出てすぐ、前を歩く分隊長に聞こえないよう声を潜めて軽口を叩いたのは、分隊の先輩であるルーカスだった。
「気を抜くなって言われたばっかりだろ?そういうことは帰ってから言え。」
テオがルーカスの肩を軽く小突きながら注意する 。
「お前は心配しすぎなんだよ。この前だって、最前線の敵の気を引いて勝利のきっかけを作ったのは俺たちだぜ? 」
「何言ってんだ、勲章を受けたのはカイルだろ。」
二人のやり取りを聞いて、俺は思わず小さく笑った。
「カイル、お前もなんか言ってやれよ」
突然話を振られ、俺は顔を上げた。
「…まあ、無事に帰れるなら、それが一番だよ」
「だろ?帰ったら上等な飯を食おうぜ。軍の飯はもう飽きた。」
ルーカスはそう言って満足そうに笑った。二人のおかげで、これから敵地へ向かう緊張が少しだけ和らいだ。任務の危険がなくなったわけではない。それでも今は、帰還した後にみんなで食事をしている光景を、自然に思い浮かべることができた。
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