1話 勝者の数
「伏せろ!」
言葉の意味を理解するより先に、俺は反射的に身をかがめた。直後、何発もの弾丸が頭上をかすめていく。背後から聞こえた、重たいものが泥に落ちたような音は、反応が遅れた誰かのものだろう。しかし、確かめる余裕はなかった。
「分隊長!撤退しましょう!」
「だめだ!」
分隊員の一人が叫んだ撤退の提案を、分隊長は却下した。
俺も、死ぬかもしれないと本気で思った。
この区画を巡る戦闘で、もう何日もまともに休めていないことも災いし、仲間たちも冷静さを失いかけている。
急な大雨に、泥だらけの戦場。最前線の味方も、前進することはおろか、負傷者を搬送することさえも難しいのだろう。俺達が隠れている塹壕にも水が溜まり始めている。
後方からの砲撃支援も、撤退を援護する制圧射撃も期待できない。
しかし――
「それは敵も同じはず……」
俺は妙に自分が冷静なように感じた。恐怖を感じる余裕もなく、現状の打開の為にのみ思考を巡らせていた。
雨音混じりに聴こえてくる敵の銃声に、砲撃の跡に大量に残された窪地。生き延びるために見えるものすべてを共有した。
「敵は視界の悪い中でも、同士討ちの危険を無視して撃ち続けています!おそらく、銃声が集中している位置が向こうの最前線です!」
分隊長が一瞬こちらを見る。
「……なるほど」
「あの窪地を利用すれば、身を隠しながら移動できます!」
分隊長は軽く周囲を見渡しただけで、俺の考えを汲み取ったようだった。
「わかった。敵に隙を作るため、我々が遊撃隊として動く。」
そのまま分隊に指示を出し始める。
「敵の前線を側面から叩く!砲撃の窪地を利用して移動だ!正面の味方が前進できる隙を作るぞ!」
分隊長号令を受け、俺達は一斉に動き出した。
視界が雨と泥で歪む。 敵の陣形がどうなっているか、全体像なんて見えない。ただ、突き出た敵陣地の先端――あの土嚢の横腹しか目に入らなかった。
「……あそこだ」
窪地から窪地へ、泥に顔を押し付けるようにして這い進む。 泥を掻くたび、耳元を覆う雨音を切り裂いて響く銃声が近づいてくる。
一歩でも頭を上げれば命はないと感じさせられる。 自分の心臓の動きが激しすぎて、ちゃんと呼吸ができているかも怪しかった。指先が冷たく強張り、意思に反して小刻みに力強く震えていて、銃を握る感覚すら怪しくなっていく。 横を見れば、泥に塗れた仲間たちの顔がある。誰も言葉を発しない。発せないのだ。誰もがただ、自分の荒い息遣いと死の恐怖に必死で耐えていた。
やがて、窪地の先に土嚢を積み上げた壁が見えてきた。敵の前線の一角にたどりついたらしい。向こう側からは敵兵の声が聞こえる。言葉までは聴き取れない。それでも、何人もの兵士がすぐ向こう側にいることはわかった。
「……近い」
思わず漏れた声は、雨音と銃声に掻き消された。
分隊長が拳を上げ全員が止まり、泥を掻く音が消える。
聞こえるのはヘルメットを打つ雨の音と、土嚢の壁の向こうから響く敵兵の声だけだった。
濡れた服が肌に張り付いてる。握りしめた手榴弾は冷たい。
誰も動かない。
銃を構えた敵兵が、数メートルの距離しかないその土壁の向こう側には大量にいるはずだ。幸い、こちらに気づいている様子はない。
先頭を進み続けた分隊長が、ゆっくりと後ろを振り返った。前から連鎖するように振り返り、最後尾の俺は小さく頷いた。前の仲間も同じように頷き、先頭の分隊長まで戻る。
そして、分隊長の拳が静かに下ろされた。
「今だ!」
全員が手持ちの手榴弾を土壁の向こうへ一斉に投げ込み、爆発音が派手に重なる。間を置かず、銃撃を浴びせ制圧する。
直後、壁の向こうから銃弾が飛び返してきた。
「捕捉されています!」
「狙わなくていい!撃ち続けろ!敵に頭を上げさせるな!」
最低限の露出で射撃を続け、段々と敵の銃撃がこちらへ集中し始めた瞬間――
「近接機動隊、進めぇー!!!」
俺達が作った隙を逃すまいと、後方から号令と雄叫びがはっきり聞こえるほどの音圧で響いた。
「うおおおおおっ!」
前線へ踏み出したのは、兵士の頭から足元までを覆う巨大な盾を構えた兵士たちだった。大盾を横一列に並べ、互いの盾を重ねるようにして進んでいく。盾の陰には剣や槍、銃剣など様々な武器を携えた近接兵が続いている。
銃弾が大盾を叩く甲高い音が雨の中に響いた。
「撃て!撃てぇー!」
戦争で何度も活躍した近接機動隊を見て、取り乱しながら盾を撃ち続ける敵兵。それを横から撃って正面の進行を助ける。一部の敵はこっちを向き、悪天候のお陰で、砲弾が降り注ぐこともない。
雨と泥に足を取られながらジリジリと味方の壁が敵陣の土嚢壁まで迫った。
「……展開!」
たどり着いた盾兵の陰から、大量の近接兵が一斉に敵陣地へとなだれ込んだ。
――さっきまで俺たちを押し潰そうとしていた敵が、次々と後退していく。
逃げ遅れた敵兵は、尽きるまで戦うか、そのほとんどが降伏した。
「敵が逃げ始めています!」
分隊員の一人が叫ぶ
「追わなくていい!この区画を確保しろ!」
――数日にわたる局地戦がようやく終わろうとしていた。
銃声が遠のき、雨音ばかりが耳に残る。
分隊員みんながその場に立ち上がり、勝利を喜んだ。
それでも全員が帰れるわけじゃなかった。
俺のすぐ横にも、ここまで共に行動した仲間の死体が転がっていた。
「……勝ちましたよ。」
俺は今回の出撃が二度目だった。それでも、目の前で人が死ぬ光景には慣れなかった。倒れているのは、俺がこの分隊に配属されてから最初に話しかけてくれた人だった。「全員が無事に帰れるわけじゃない」、「敵だって俺達と同じ人間であることは忘れるな」、そう俺に教えてくれた人だった。そんなことを淡々と思い出していると、分隊長の声ですぐに現実に引き戻された。
「よくやった、ローザ。」
「……自分ですか?」
疲れ切ったまま唖然と返した俺の肩に手を置いた。
「結果的にはお前が戦況を変えたようなもんだ。叙勲ものだぞ。」
分隊長はそう言って笑った。勲章なんて、今はどうでもよかった。
早く帰りたい。
早く戦争が終わってほしい。
もう誰の死も見たくない。
*
あれから数日が経った。敵が撤退したあとの区画を維持し、俺は街に戻れることになった。少しの休養と、今から始まる叙勲式の為だそうだ。
整列した兵士たちの前には、青と白に、赤いバラが描かれた軍旗が掲げられている。壇上には将校が並んでいた。
「カイル・ローザ!」
名前を呼ばれ、俺は教えられたとおり、隊列から一歩前へ出て、将校の前まで進んで、敬礼をする。
「先の戦闘において、的確な状況判断と――」
と、あの日の俺の功績を説明しながら俺の胸元に勲章を留めた。
「今後も兵士としての責務を果たすように」
ようやく出番が終わり、拍手が起こる。
人前に立つのは少し緊張する。戦場の景色が頭から離れたわけじゃない。それでも、こうして緊張できるくらいには、少しずつ気持ちが落ち着いてきていた。
休みが何日続くかもわからないが、地元に帰ることにした。
*
久しぶりに見る町並みは戦場とはまるで違った。荷車が道を通り、店先からは威勢のいい大声が聞こえる。走り回る子どもたちや、笑い合って話している通りすがりの人たち。戦場とは違う騒音が心地よかった。そうして足を止めて耽っていると、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「よっ、カイル。」
振り返ると、見慣れた顔があった。幼馴染のエミル・ヴァーベナだ。
「よく無事に戻ってきたな、英雄さん。しかも勲章まで貰ったんだって?」
「からかうなよ、そんなんじゃない…」
いつも通りの軽口に、いつもなら適当に言い返して笑っていたはずだ。けれど、笑って返すことができなかった。頭の中に戦場の光景がちらついた。すぐ隣で倒れた仲間の顔が浮かんでしまう。忘れたいわけじゃないが、今思い出したくはなかった。
エミルは俺の顔を見て少しだけ表情を変えた。
「…そりゃ、いいことばっかじゃないよな。悪い」
「いや、いいんだ。気にするな。それより、なんか食いに行こうぜ」
俺がそう言うと、エミルはいつもの調子を取り戻したように笑った。
「おっ、いいね。せっかく帰ってきたんだ。今日はお前のおごりな」
「なんでだよ」
「勲章をもらった英雄様だから…?」
「…やっぱり帰ろうかな」
「冗談だって!」
そんな懐かしいような、くだらないやり取りのおかげか、久しぶりに少し笑えた。
――エミルに連れられて入った食堂は、昼時を過ぎているのに客で賑わっていた。席に着き、注文を済ませる。
料理が運ばれてくるまでの間、俺達は他愛もない話をした。街で最近あった出来事や、共通の知り合いの話。俺が戦場に行く前となんら変わらない会話だった。
もう何日も、何かを食べたいという気持ちすら湧かなかった。それなのに、エミルと話しているうちに、いつの間にか腹が減っていた。
料理が来て、久しぶりに温かい食事を口にした。
「そういえばさ――」
食事も半ばに差し掛かった頃、エミルがふと思い出したように口を開いた。
「――俺も軍に入ることにしたんだ。」
思わず手が止まった。
「…軍に?」
「あぁ、前から考えてたんだ。」
「そう、か…」
それ以上の言葉が出てこなかった。
俺が戦争に行くと決めたときも、そこには自分なりの情熱や大義があったはずだったからだ。戦争を終わらせたい。みんなが安心して暮らせるようにしたい。そう信じて、自分の意思で入隊した。
だから、エミルの決断を否定しなかった。やめておけ、なんて言うのは簡単だ。だけど、俺がそれを言うわけにはいかない気がした。
エミルは気にした様子もなく食事を続けていた。その横顔を見ながら思った。
こいつには死んで欲しくない。
それすらも言葉にすることはできなかった。
*
「無事で良かった……!」
玄関を開けた途端、母さんが泣きながら強く抱きしめてきた。
「ただいま。母さん」
母さんは何度も頷いた。顔を上げても、その目には涙が浮かんでいた。その姿を見て、俺が幼い頃に亡くなった父さんとの約束を思い出した。軍人だった父さんは、まるで口癖のようにいつも言う言葉があった。「俺が死んだときは、お前が母さんを守るんだ」と。だから俺も軍に入った。今になって思えば、これは父さんが望んだ選択ではなかったのかもしれない。ただ戦争を終わらせれば、母さんを守れると思った。父さんを戦争で亡くし、俺も戦地に向かった。
この人がどんな気持ちで俺を送り出したのか、今までまともに考えたこともなかった。
俺は、母さんに二度も同じ思いをさせるところだった。
「さあ、しばらくはゆっくり休みなさい」
――ふと、居間の棚に置かれた花瓶が目に入った。一輪の黒い薔薇が挿してある。花弁は閉じたまま、まだ蕾だった。なぜか、その姿が妙に目に焼きついた。
誤字・脱字のチェック、書き方のコツ、情報の裏取り、挿絵の生成にのみAIを使用しております。文を各部分はすべて自分で書いています。中世部隊の異世界想定です。史実に基づいた描写は大変そうなので異世界です。初めて投稿するためのものを執筆するので至らぬ点あると思います。アドバイスあればぜひお願いします




