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第96話 渡れない

2度目は、その夜だった。


40人では済まなかった。


東の斜面の上に、灯りが並んだ。数えて、60。それが1つずつ動いて、斜面を下り始めた。1つの灯りに3人だ。


180人以上。


「ゼノ様」


シャルが、屋根のように張り出した岩の上から降りてきた。


「後ろにも、います。西の尾根に、20」


「弓か?」


「弓です。今度は、持っています」


門は、閉じたままにした。開ければ入られる。閉じれば焼かれる。どちらでもいいなら、閉じておいた方が、時間が稼げる。


「ヨナス。人を奥へやれ。子供と年寄りを、記録庫まで上げろ」


「あそこは、梯子が1本だ」


「1本でいい。1本なら、登ってくる奴を1人ずつ落とせる」


年寄りは、すぐに動いた。


「男。お前、こういうことに慣れておるな」


「慣れてる」


「どのくらいだ」


「1500年だ」


ヨナスは、聞き返さなかった。


最初の光が来たのは、亥の刻だった。


門の上の岩が、白く抜けた。


そうとしか言いようがない。焼けるのでも割れるのでもなく、光が当たった部分が、粉になって落ちた。


「——異端審問の、浄(きよ)めの術でございます」


門の内側で、マルクが言った。


「岩でも人でも、同じ速さで落ちます。防ぐには、間に何か挟むしかございません」


「何を挟む?」


「昔は、水でございました」


湧きは、谷の東にある。樋で石の桶(おけ)まで引いてあって、一族はそこから水を汲む。桶の水は、いっぱいに張ってあった。


俺は、桶に手を入れた。水は、指が痛くなるほど冷たかった。闇を1枚、その中に沈めて、水ごと持ち上げた。1石(こく)ほどの水が、板のような形で宙に浮いた。


それを、門の前に立てた。


2発目の光が来て、水に当たって、水が半分消えた。門の岩は、削れなかった。


「……効くのか?」


ヤンが、俺の後ろで言った。


「効く。だが、水が保たねえ」


「桶は、あと3つある」


「運べ」


ヤンが走って、5人を連れて戻ってきた。桶を担いで門の後ろに並べる手順を、誰も間違えなかった。


この谷の者は、指示を1度で聞く。


3発目で、門が落ちた。水が足りなかったからではなかった。門の柱の根元が、別の方向から来た光に抜かれた。西の尾根の20人だ。弓ではなく、そっちからも術が来ていた。


石の門が、内側へ倒れた。


その石の下に、2人いた。


俺は、闇を5枚組んだ。5枚目で、崩れた門の石を全部持ち上げて、外へ投げた。先頭の10人が、石の下敷きになった。


下の2人を見た。


1人は、息があった。もう1人は、首が変な方向を向いていた。


ヤンの祖母だった。


奥へ運ばれる途中で、担架から落ちたのだと、後で聞いた。


ヤンは、それを見なかった。


見せなかったのは、リィナだ。ヤンの肩を掴んで、門の方へ向けた。


「今は、前を見てください」


「……ばあちゃんが」


「前を見てください」


リィナの声が、いつもより低かった。


その先は、長かった。180人が、割れ目の口へ入ってくる。幅5間の裂け目だ。180人が一度には入れない。横に4人までだ。


だから俺は、その4人の場所に立った。


闇を4枚。1枚で押して、2枚で薙いで、3枚で潰して、4枚で払う。殺すつもりで組んだのは、最初の20人までだった。


途中で、数えるのをやめた。


エイドリクは、来ていなかった。指揮していたのは、別の男だ。若い。20の半ばで、後ろの岩に立って、手を振っていた。その手が下りるたびに、光が5つずつ来た。


5つ目で、俺の左の肩が抜けた。


抜けた、というのは言葉の綾(あや)ではなかった。肩から先が、一瞬、無くなって、白い粉になって散った。


痛みは、後から来た。


「ゼノ様——」


リィナが走ってきた。


「来るな。まだ来るな」


俺は、右手で1枚組んで、左の肩に当てた。治癒だ。骨と肉を戻すのに、3枚要った。3枚組んでいる間、正面が空く。


空いた正面に、シャルが入った。


7本の刃を、7人に投げた。7人が倒れた。シャルはその7人を跨いで、そこに立ち続け、動かなかった。


「シャル。下がれ」


「下がりません」


肩が戻ったとき、谷の奥で、灯りが1つ動いた。


記録庫の穴だ。


子供と年寄りを上げた場所だ。そこに、灯りが1つ、外から入っていくのが見えた。


「ミルカ」


俺が呼ぶより先に、ミルカが走り出していた。


    ◇


——ここからは、後でミルカに聞いた話だ。


彼女が縄梯子を登り切る前に、上から人が出てきた。


人ではなかった。


背が高い。頭ひとつ分。外套の頭巾を深くかぶっていて、顔が見えない。抱えているのは、石の板だ。11人の名の板だった。


「——それは、谷のものです」


ミルカは、そう言ったそうだ。


縄梯子の上で、片手しか使えない状態で、そう言った。


相手は、答えた。


「知っている。20年、ここへ来ている」


それから、こう続けた。


「お前が3つ目の円に気づいた娘か。惜しい。こちらで使いたかった」


そして、ミルカの指を、板の縁で払った。


落ちた。7間だ。下は石だった。


落ちる途中で頭に浮かんだことを、ミルカは覚えていた。『この高さは、闇3枚で受けられる』——自分は闇を1枚も組めないのに、そう思ったそうだ。


受けたのは、リィナだった。


間に合ったというのとは違う。リィナは、ミルカが走り出したときから、後ろを走り、下で待っていた。


2人とも、石の上に倒れた。


ミルカは、左の腕を折った。リィナは、右の肘と、背中を打った。


俺が着いたとき、穴の上には誰もいなかった。ただ、空気に跡があった。


空間を渡った跡だ。次元の術とは違う。もっと荒い、魔界の渡り方だった。近いところへ、短く跳ぶ。何度も跳べば、遠くへ行ける。


俺は、闇を5枚組んで、その跡に手を入れた。


入らなかった。


跡は、そこにある。そこにあるのに、指が通らない。


(——渡れねえ)


前世なら、跳んで、追いついて、首を掴んで、板を取り返した。今は、跡に触ることしかできない。


触った手を下ろして、下を見た。


リィナが、ミルカを抱えて座り込んでいた。ミルカの腕が、あり得ない角度で曲がっている。リィナの背中には、石の粉が一面についていた。


俺は、2人の前に膝をついた。


「痛むか?」


「痛みます」


ミルカは、そう答えた。声は平らだったが、目が合わなかった。


「取られました」


「あぁ」


「わたしが、走ったせいです。走らなければ、あの人は、板だけ持って——」


「板だけ持って、行ったな」


「はい」


「じゃあ、同じだ」


俺は、ミルカの腕を治した。


それから、リィナの背中を治した。その間、リィナは一度も声を出さずに、ミルカの頭を、自分の膝の上に置いていた。


治し終わってから、リィナが言った。


「ゼノ様。あの人は、何と言っていましたか」


「聞いてねえ」


「ミルカさんは、聞きました」


ミルカが、目を開けた。


「……20年、ここへ来ている、と言いました」


20年だ。ヨナスの言った、18年前まで通っていた者とは別だ。


その者は、12年通って、18年前に来なくなった。こいつは20年前から来ていて、今も来ている。


2人いる。


魔界から、この谷へ通っていた者が、2人いた。


夜が明けた。聖国は、180人のうち110人が引いた。残りは、割れ目の中と外に転がっている。谷の者は、7人死んだ。ヤンの祖母を入れて、8人だ。


ヤンは、祖母の前に座ったまま、何も言わなかった。俺が横に立っても、顔を上げなかった。


しばらくして、こう言った。


「……あんた、この前、俺に言ったな。起きなくても彫れって」


「言った」


「彫る。今日から彫る」


彼は、そこで初めて顔を上げた。目が赤かった。


「《《彫った円は、誰にも削らせない》》」

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