第93話 流せる者
来たのは、6日目の夜明け前だった。
尾根の9人が動いたのを、シャルが先に知らせに来た。外套の肩に霜が降りていた。一晩、伏せて見ていたということだ。
「40人ほどです。門の正面に20、東の斜面に12、残りは後ろです」
「弓は」
「持っていません。全員、手に何も持っていません」
俺は、それを聞いて、厄介だと思った。
手に何も持たない部隊は、魔法で来る。
門の上に、ヨナスとヤンが立った。谷の者は、穴に入って口を閉じた。68人のうち、外に出ているのは11人だけだ。11人が、門の内側に並んで、それぞれ石を持っていた。
彫り場の石を持って、戦う気でいる。鑿を握る手に、石を握っていた。
「ヨナス。中へ入れ」
「入らん。門の上は、わしの持ち場だ」
「50年、持ち場だったのか」
「40年だ」
夜が、灰色になった。その灰色の中から、白い列が出てきた。
外套が白い。聖女のものとは違う。こちらは腰から下だけが白く、上は灰だ。歩調が揃っている。揃いすぎていて、40人が1つの生き物に見えた。
先頭の男が、門の30間手前で止まった。
「異端審問官、エイドリクと申します」
声が、よく通った。
「この谷の者に用はありません。我らが用があるのは、そこに滞在している者です」
「俺か」
「はい。光と闇を同時に用いる者。大陸対抗戦の決勝で、2万の前に立った者」
エイドリクは、両手を胸の前で組んだ。
「聖典に、こうございます。『2つを同時に持つ者は、どちらでもない』。あなたは、人でも悪魔でもない。ゆえに、我らはあなたを異端と認定いたしました」
「それ、誰が決めた?」
「審議です。24人の合議でございます」
「聖女は、入ってたか?」
エイドリクの組んだ手が、わずかに動いた。
「……聖女様は、審議に加わりません」
「じゃあ、勝手にやってんだな」
「聖女様は、神託を受ける方でございます。それを行いに移すのが、我らの役目です」
俺は、門の上から降りて、門を開けさせた。
「開けるな」
ヨナスが言った。
「開ける。中でやると、壁が削れる」
歩いて出た。
40人の前に、1人で立った。後ろで門が閉まる音がして、その音が岩壁に3度反響した。
「あんたら、人を殺したことはあるか」
「異端の処断は、殺害と申しません」
「何人だ」
「……今年に入って、11人でございます」
「そうか」
俺は、闇を5枚組んだ。
5枚目は、まだ手に馴染まない。組んだ瞬間、掌の内側が引っ張られる感じがある。東の谷で肋を折られた晩から、この感じが消えない。
エイドリクが、右手を上げた。
40人が、一斉に同じ形を作った。
光だ。
40人分の光が、1つの形に集まっていく。これは合わせ技だ。人間が40人で組めば、上級の上に届く。降臨祭で見た五重陣とは、規模が違う。
俺は、闇幕を張らなかった。張れば、40人分の光は幕を破る。破った先に、門がある。門の内側に、石を持った11人がいる。
だから、幕を張る代わりに、走った。
正面の20人の脇を抜けざまに、闇の1枚目を地面へ叩きつけた。土が跳ねる。目に入れば、集めている光の形が崩れて、その分だけ集まる速さが落ちる。
7人が咳き込んだ。
残りは、目を閉じたまま組み続けた。訓練されている。
俺は、2枚目を東の斜面へ投げた。斜面の12人の足元の土が、横に1間だけ滑った。その先は崖だ。12人が、崖まで3歩のところで止まった。
誰ひとり、悲鳴を上げなかった。
エイドリクが、手を振り下ろした。
光が、来た。
太い。対抗戦のジークハルトの光より、ずっと太い。ただし、遅い。40人で合わせたものは、必ず遅くなる。
遅ければ、割れる。
俺は、右手の闇で芯を2本に割り、左手の光で外から挟んだ。同じ属性でなければ、光は曲がらない。
曲げた先を、空へ向けた。
2本の光が、夜明けの空へ抜け、その先で散って、白い粒になって、谷の上に降ってきた。
谷の中で、声がした。
穴から顔を出した68人が、それを見ていた。降ってくる粒に、子供が手を伸ばしていた。雪ではないので、掌の上で溶けずに消える。
エイドリクは、膝をつかずに、こちらを見ていた。両手が震えている。40人分の光を通した手だ。その指が、8本とも紫に変わっていた。
「……やはり、2つでございますか」
「あぁ」
「では、間違いございません」
彼は、そこで、手を組み直した。
「皆。我らは、正しく異端を見つけました」
40人が、跪いた。戦意を失って膝を折ったのではなかった。喜んでいた。
自分たちの読んだ聖典が、目の前で正しかったことになった。その喜びだ。俺は、その顔を見て、この連中が何度でも来るのだと分かった。
「帰れ」
「帰ります」
エイドリクは、素直にそう言った。
「本日は、確認に参りました。もう済みましたので、帰ります。次は——40人では、参りません」
俺は、そいつの前まで歩いて、紫になった指を掴んで、治した。
エイドリクが、目を見開いた。
「……なぜ」
「聞きたいことがある」
「申し上げられることは」
「1つだけだ。あんたらは、この谷を前から知ってたな。18年前に、この谷の壁の写しを取った奴がいる。それは、あんたらの側の誰だ」
エイドリクは答えないまま、治った自分の指を見ていた。
「……わたくしは、そのとき20の、写字の見習いでございました」
「聞いてねえのか」
「聞いております。写しは、我らの記録庫にございます。ただし」
彼は、顔を上げた。
「ただし、写しを持ち帰った者の名は、記録から消されております。名の欄に、線が引いてございます」
線だ。メルセアの祭壇の裏の5枚も、名の欄に線が引いてあった。王家の系図第3巻にも、削られた代がある。どこもかしこも、線が引いてある。
引いた奴は、同じ場所にいるのか。
「——エイドリク」
「はい」
「次に来るとき、その線の下に何が書いてあったかを調べてこい」
「なぜ、わたくしが」
「あんた、さっき『正しく見つけた』と言ったな。正しいのが好きなら、線の下も気になるだろうが」
審問官は、しばらく黙っていた。
それから、40人を連れて、来たときと同じ歩調で帰っていった。
門が開いて、ヤンが走り出てきた。
「あんた、なんで治した?」
「訊きたいことがあった」
「あいつら、また来るぞ」
「来る」
ヤンは、怒鳴ろうとして、やめた。やめて、俺の後ろの空を見た。光の粒が、まだ少しだけ残って落ちていた。
ミルカは、門の内側に立ったまま、動かなかった。俺が通り過ぎても、動かなかった。
「ミルカ」
「……ゼノ。もう一度、やってください」
「なんだと」
「さっきのです。右に闇、左に光。もう一度、ゆっくり」
彼女の声が、いつもの調子ではなかった。
俺は、両手を上げた。右に闇を1枚。左に光を1枚。
ミルカは、その2つの間に立ち、両方を交互に見ながら、自分の手を、壁の方へ向けた。
壁には、1103の円が彫ってある。
「ゼノ。壁の円は、2重の線で描かれています。外周と、内周です。わたしは、それを1つの線の太さの違いだと思っていました」
「違うのか?」
「違います。あれは、《《2本の線》》です」
ヨナスが門の上から降りてきて、ミルカの後ろに立った。靴も履かずに、石の上を歩いていた。
「娘。何を言っておる」
「ヨナスさん。この谷の円は、1人で彫るものですか」
「1人だ。彫り手は1人と決まっておる」
「では、動かすときも1人ですか?」
「……当たり前だ」
ミルカは、振り返らなかった。
「それが、200年動かない理由です」
彼女は、壁の一番大きな円を指した。
「この円は、外周と内周に、別々のものを流すように書かれています。別々のものとは、別の属性です。人間は、1人で2つの属性の陣を同時には組めません。2人でやれば、呼吸が半拍ずれます。ずれると、円は閉じません」
ヨナスの右の目が、大きくなった。
ミルカは、そこで初めて俺を見た。
「ゼノは、1人で2つ組めます」
◆
谷が、静かになった。
68人のうち、外に出ていた11人が、全員こちらを見ていた。穴の口からも、顔が出ていた。
ヨナスが、曲がった指で、自分の顔を一度拭った。
拭ってから、こう言った。
「……200年だ」
「はい」
「200年、わしらは、彫れる者を待っておったのではない。——《《流せる者》》を待っておったのか」




