第90話 石の谷
北へ8日。
行ったのは5人だ。俺、フィーネ、リィナ、シャル、それにミルカ。
ドルガとラウルは王都に残した。オルドリクの名簿に載っている612人を、順に探す仕事がある。ポーラとヴィントとトバイアスは大学だ。ユーリカは3日ごねて、最後にこう言って残った。
「わたしが行くと、あんた、わたしを庇うでしょ。あんたが誰かを庇うと、その分……雑になるの。分かってる?」
道は、5日目から登りになった。
木がまばらになって、代わりに石が増える。石は白い。角が丸い。川が運んだ石だ。そんな石が、川から10里離れた尾根の上に転がっている。
「昔、ここに水がありましたのね」
フィーネが、馬の上でそう言った。
「どのくらい昔だ」
「さあ。地面に訊いてくださいまし」
ミルカが、馬を並べてきた。
「1万年より前です。石の丸さと、乗っている土の厚さで分かります」
「……ミルカさん。今のは、そういう話ではありませんの」
「そうでしたか」
◆
6日目の夜は、岩陰で火を焚いた。
風が強い。薪が乏しいので、火は小さくした。5人がその周りに寄って座った。
リィナが、鍋に湯を沸かしていた。ポーラが持たせた干した肉が入っている。脇に、塩の包みが置いてあった。塩の包みには、字が書いてあった。
『少しずつ』
リィナは、その紙を開いて、字を見ていた。
「……どのくらいが、少しですか?」
「あんたが思ってる半分だ」
「半分」
リィナは、匙に取った塩を、半分だけ鍋に落として、残り半分を包みに戻した。その手つきが、丁寧すぎた。
シャルが、その様子を見ていた。
「リィナ様。それでは足りません」
「ポーラさんが、少しずつと書きました」
「少しずつ、というのは、一度に少しずつ、何度も、という意味です」
リィナの手が、止まった。
「……そうなのですか?」
「はい。何度も足せます。足りないものは、あとから足せますので」
シャルは、そう言ってから、自分の言葉に気づいた顔をして、口を閉じた。
そのまま、リィナを見なかった。
フィーネが、スープを一口飲んだ。
「……薄いですわね」
「今、足します」
「いえ。このままで。……薄い方が、たくさん飲めますもの」
彼女は、椀を両手で持って、指先だけを温めていた。
ミルカが、フィーネの手元を見て、それから言った。
「フィーネ。指が2本、まだ白いです。器を持ち替えてください」
「持ち替えると、どうなりますの?」
「反対の指が白くなります。交代で温めます」
フィーネは、言われた通りに持ち替えてから、笑った。
「ミルカさん。あなた、そういうことを、誰に教わりましたの」
「ゼノです」
俺は、火の向こうで肉を炙っていた。炙る手を止めずに言った。
「教えてねえ」
「言いました。大学の書庫で、わたしの手が冷たいと言って、器を反対の手に持ち替えさせました。去年の冬です」
「……忘れた」
シャルが、こちらを見た。リィナも見た。フィーネは椀に口をつけたまま、目だけを上げた。
3人に同時に見られて、俺は肉を焦がした。
石の谷に着いたのは、8日目の昼だった。谷という形ではなかった。割れ目だ。
高さ40間ほどの白い岩壁が、2枚、向かい合って立っている。その間が、幅5間ほど。上から見れば、大地に走った1本の裂け目に見えるはずだ。
その裂け目の口に、門があった。
石を積んだ門だ。左右の柱に、円が彫ってある。
ミルカが、馬から降りて、柱に近づいた。
「……5つです」
「なんだ」
「円が5つ、重なって彫ってあります。メルセアの祭壇と、同じ順です」
門に近づくと、上から声が降ってきた。石の反響で、どこから聞こえているのか一瞬つかめなかった。
「そこまでだ」
若い男の声だった。岩壁の中ほどに、横穴が開いている。そこから、3人が身を乗り出していた。弓を持っている。構えてはいない。
「名を言え」
「ゼノだ」
「そっちじゃない」
男は、俺を指していなかった。フィーネを指していた。
「女。お前の顔だ。お前、どこの誰だ」
フィーネは馬から降りて、外套の頭巾を落とし、門の柱の前まで歩いた。いつもの半分の速さだった。
「フィーネと申します。家名は、ネイアと」
門の上が、静かになった。
それから、弓が3つとも上がった。構えた。
「——誰に買った」
「……買ったと、お分かりですのね」
「買った奴が、この10年で6人来た。6人とも、そこで名乗った」
男の声が、低くなった。
「6人とも、聖国の犬だった」
リィナが俺の前に出たのと同時に、シャルが左の岩陰へ動いた。こちらからでも、ほとんど見えなかった。門の上の3人は、気づいていない。
俺は、リィナの肩に手を置いた。
「下がれ」
「ですが」
「下がれ」
リィナは下がったが、半歩分だけ足りていなかった。
俺は、門の前まで歩いた。
「弓を下ろせ。下ろさねえなら、まとめて折る」
「……できるのか?」
「できる」
「試すか」
「試さねえ。折ったら、あんたらは俺の話を聞かなくなる」
門の上の男が、黙った。
「用は1つだ」
俺は、そう言った。
「あんたらの一族が、次元の術を持ってる。知ってることを教えろ。——ただし、力ずくで訊く気は無え」
「訊く気が無いなら、何をしに来た」
「待ちに来た」
男の顔が、初めて動いた。
「聖国が、あんたらを捜してる。俺の連れが1人、その使いに顔を見られてる。捜してる連中は、あと何日かで、ここの場所を当てる。……そうなりゃ、来るぞ」
「だから守ってやる、と」
「守る。代わりに、あんたらが自分で口を開くまで待つ」
門は、開かなかった。代わりに、真ん中の1人だけが弓を下げた。あとの2人は構えたままだった。
「今夜、話し合う」
「いつまでだ」
「明日の朝までだ。谷の外で待て。中には入れん」
「水は」
「東に湧きがある。飲め」
男は、そこで一度、言葉を切った。
「——ただし、日が落ちたら、火を焚くな」
俺たちは、門から3町ほど離れた岩陰に移った。
火は焚かなかった。理由を言われていないが、理由は分かる。焚けば見える。見えるのは、門の上からではない。もっと遠くからだ。
シャルが、暗くなってから戻ってきて、俺の前に膝をついた。
「ゼノ様。北の尾根に、窪みが3つあります」
「何の窪みだ」
「人が伏せた跡です。1つに3人。合わせて9人。新しいです。今日の昼のものです」
「聖国か」
「分かりません。ですが、伏せ方が、教団のものではありません。伏せる前に、地面の石を除けています」
「除けると、どうなる」
「長く伏せていられます。……1日、動かずに見ていられます」
シャルは、自分の外套の裾の土を払った。
「わたしは、その伏せ方を、母を捜していたときに覚えました」
フィーネが、岩にもたれて座っていた。
暗いので、顔は見えない。声だけが聞こえた。
「……わたしのせいですわね」
「あんたのせいじゃねえ」
「わたしの顔を見たから、聖女はここを捜しました。捜す先が分かったのは、わたしがネイアと名乗ったからです」
「名乗らなきゃ、門は開かねえ」
「開いておりませんでしょう」
俺が答えないうちに、ミルカが暗がりで口を開いた。
「開きます」
全員が、声のした方を向いた。姿は見えなかった。
「門の柱の円は、5つです。ですが、彫った深さが1つだけ違います。3つ目が、いちばん浅いです」
ミルカの声は、いつもと同じ調子だった。
「浅い円は、後から彫り直したものです。……あの門を作った人たちは、《《3つ目を直したがっていました》》」
夜半に、谷の奥で灯りが動いた。1つ、それから2つ。3つ目が点いて、しばらくして、全部が同時に消えた。
そのあと、門の方から、石を踏む音がした。
1人分だ。
足音は、門の外まで出てきて、そこで止まった。暗がりの中から、声がした。
「——3つ目の円の話をしたのは、どの娘だ」




