第86話 数えているのは私だ
王都の南、7里。
古い坑があった。50年前まで鉄を掘っていた場所で、今は入口が板で塞がれている。塞いだ板は、外から3枚打ちつけてあった。3枚のうち1枚だけ、釘の穴が新しかった。
「外した者がいます」
ミルカが言った。
「何度もです。穴が、8つあります。同じ板に、8回打ち直されています」
ドルガは、その板を素手で剥がした。
板の下の闇から、風が出てきた。生ぬるい風だ。地の下の風は、本来もっと冷たい。鉄の錆と、獣の脂を焚いた匂いが混じっていた。下に火があって、その火で誰かが煮炊きをしている匂いだった。
入ったのは6人だ。
ドルガ、ユーリカ、ヴィント、ポーラ、トバイアス、ミルカ。下働きの2人は、外の斜面に残した。ミルカがその理由を2人に説明した。
「戻らなかったら、逃げてください。助けを呼びに行かないでください」
「……なぜです」
「呼びに行くと、途中で捕まります。逃げてください」
ユーリカが、横で口を挟んだ。
「ミルカ。あんた、言い方」
「事実です」
坑道は、ずっと下りだった。足の下に、鉄を運んだ轍の溝が残っていて、その溝が水を溜めていた。
10間ほど下りると、横に広い場所へ出る。天井を柱で支えた部屋だ。柱の数が12本。壁際に、火が3つ焚かれていた。
その火の間に、人が7人、座っていた。
ドルガが、足を止めた。
「……ベルグ」
火の1つの向こうで、7人のうちの1人が顔を上げた。頬が痩けている。座り方が、命じられて座っている者の座り方だった。
刻印を抜かれたあと、拠点を出ていった11人のうちの1人だ。ドルガと同じ南街区で、8年、同じ班にいた男だった。
「ドルガか」
「何をしている」
「入れ直している」
ベルグは、左の袖をまくって見せた。
火に照らされた前腕の内側に、黒い線があった。
抜いたはずの刻印だ。その跡に、新しい線が重ねて入れてある。前より太い。前のものは肌の下にあったが、この線は、肌の上に浮いていた。
「入れ直すと、楽なんだ」
ベルグの声は、穏やかだった。
「主がいないと、何をしていいか分からん。決めてもらえると、楽だ。俺は、お前みたいに考えられん」
「主は、疑えと言われた」
「疑うのも、しんどいだろう?」
ミルカが、火の方へ2歩出て、手元の紙を灯りにかざした。宰相府から戻ってきた写しだ。裏の地図の線が、火に近づけると、また浮いた。
「この地図を描いたのは、誰ですか」
7人は、答えなかった。
声は、部屋の奥の暗がりから来た。
「私だ」
出てきたのは、痩せた男だった。
背は高くない。40の半ばで、聖国の外套でも教団の外套でもない、ただの商人の羽織りを着ていた。手が、白い。鍬も剣も握ったことのない手だ。
ただ、右の親指の腹だけが、黒く汚れていた。
墨だ。
「あなたが、刻印を入れる人ですか」
「入れる側だ」
男は、ミルカの顔を見なかった。ミルカの持っている紙を見ていた。
「あの写しを、右下から起こす者は、王都に3人しかいない。3人のうち2人は老人だ。だから、若い娘が来ると思っていた。……娘だけで来ると思っていたが」
「6人で参りました」
「多いな」
ヴィントが、前へ出た。
杖を持たない方の手を、後ろへ回した。子供たちを庇う癖だ。ここに子供はいないのに、そうした。
「おぬし、名は」
「名乗る必要が無い」
「入れた者の名は、残るぞ。残らんと思っておるのは、入れる側だけだ」
男は、初めてヴィントを見て、少し笑った。
「——では、6年前の東の谷の分は、私の名だ」
ドルガが動いた。
速い。体重が130ある男が、3間を2歩で詰めて、拳を振った。
拳は、届かなかった。
ベルグが間に入って、ドルガの拳を両腕で受けた。腕の骨が鳴った。それでも、ベルグは下がらなかった。
「よせ、ドルガ。お前、まだ骨が繋がったばかりだろう?」
「どけ」
「どかん。俺は、そう決めてもらった」
7人が、一度に立ち上がった。
腕の線が、7つとも光った。火の色ではない。線そのものが、内側から滲むように光った。
トバイアスが、後ろで声を上げた。
「あれは中級です。7人とも、中級魔法が使える体になっています。抜く前は、3人が初級で、4人は魔法を使えませんでした。数で言えば、力が4倍——」
「トバイアスさん。後ろへ」
ミルカが、彼の袖を引き、もう片方の手で、床に線を引き始めた。
炭を使わなかった。羽根ペンだ。インクの壺を、片手で開けながらだ。
「五重陣を組みます。4人でやります」
「4人? 5人いるでしょ」
ユーリカが言った。
「トバイアスさんは数に入りません。ヴィントさんは、型が違います。ドルガは今、話をしています」
「じゃあ3人じゃない」
「わたしが2人分やります」
ミルカは、最後の円を引き終えて、その真ん中に膝をついた。
「ゼノは、後ろから流しました。今は、その人がいません。ですから、前で受けます。ユーリカさん、余っている1発は、まだありますか」
ユーリカの顔が、動いた。
「……あんた、なんでそれ知ってんの」
「ゼノが言っていました。ユーリカは、いつも1発残す、と」
ユーリカは、すぐには答えなかった。掌を1度握って、開いて、それからまた握った。
答えずに、陣の右の角に立ち、掌を開いた。その上で、火の魔法が音を立てた。いつもの3割増しの音だ。
「……残してない。今ぶん殴りたいのが1発あるだけ」
「それで足ります」
ポーラが、左の角に入った。
手には杓子ではなく、鉄の椀を持っていた。厨房から持ってきたものだ。
「あたし、魔法うまくないよ」
「知っています。塩を流すときと同じにしてください。多く入れず、止めずに、同じ速さで」
ポーラの手が、止まった。それから、笑った。
「それなら、できる」
7人が、一度に間合いを詰めてきた。走り方が、7人とも同じだった。誰かの号令で走る脚とは違う。線に引かれて走る脚だった。
中級が7つ。同時ではない。3つ、2つ、2つの順に来た。
五重陣が、光った。
4人で組んだ陣は、5枚目が薄く、その分、押し返す力が足りず、陣が後ろへ下がった。その先に、ミルカの膝があった。
(——足りません)
ミルカがそう思ったとき、後ろから何かが流れ込んできた。
陣の5枚目が、内側から厚くなった。
厚くなった陣が、7つの中級を、まとめて天井の柱の方へ弾いた。柱が2本、音を立てて折れた。その中で、ミルカは振り返った。
坑道の入口に、男が立っていた。
外套の裾が焦げている。片方の袖が、肘から先だけ無い。
「ラウル」
ドルガが言った。
「……なぜ、ここにいる」
「7日前から、ここにいます」
ラウルは、掌を下ろした。
「疑え、と仰ったそうですので。疑って、独りで調べておりました」
ミルカは、インクで汚れた指を前掛けで拭って、立ち上がった。
「あなたは、出ていきました」
「出ていきました」
「今も、ゼノを主とは呼びませんか」
「呼びません」
ラウルは、床の陣を見た。4人で組んだ、5枚目の薄い陣を見た。
「あの方を、俺はまだ知りません。ですが——数える役が要るのでしょう。あの方は、自分では数えない……ように、見えましたので」
彼は、そこで初めて、7人の方を向いた。
「7人です。今夜は、7人で全部です」
折れた柱の下で、墨の男は逃げずに、床に何か書いていた。陣ではなかった。名簿だ。細長い紙に、7つの名を並べて書いている。
ミルカが、その手元を見て、動きを止めた。
「……その紙は」
「入れた者の名簿だ」
男は、書く手を止めなかった。
「私は、入れた者を全部書いている。12年で、1100人。あんたらが抜いた者も、入れ直した分は、ここに書いてある。抜かれたら、横に印を入れる。入れ直したら、印を消す」
彼は、7人の名の横の印を、順に消していった。
「——数えているのは、私だ。あんたらではない」
ラウルは、書きかけの名簿を上から覗き込んだ。
見て、しばらく何も言わなかった。片袖の無い腕が、下がったまま動かなかった。
それから、こう言った。
「その紙を、いただきます」
「くれてやってもいいが、写しはある」
「どこに」
「《《魔界の3層》》だ」




