↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/300

第84話 うまい嘘

カルナの町まで戻るのに、3日かかった。


坂の国だ。町は段になっていて、宿は上から4段目にあった。石を積んだ段の間に、細い水路が通っている。夜になると、その水の音が壁越しに聞こえた。


宿の2階で、フィーネが帳面を広げたまま、書く手を止めていた。


「ゼノ。神官の名を、ご存じ?」


「知らん」


「では、書けません」


彼女は、そこに『2名』とだけ書いた。その上に線を引いて消し、また『2名』と書いた。


同じことを、3度やっていた。


シャルが着いたのは、その晩だった。


扉からではなかった。窓でもない。屋根から下りてきて、庇の下の欄干(らんかん)を越えて、部屋の中に音もなく立った。外套が濡れていて、洗ったばかりのものだと分かった。この女は、汚れた外套で人前に出ない。


「ゼノ様。3日前に、聖国が使者を出しました」


「何人だ」


「12人です。表向きは、巡礼の護送です。実際は、行方の分からなくなった神官を2人、捜しております」


フィーネの手が、帳面の上で止まった。


「……早いこと」


「早いです。つまり、あの2人は、出発前から日ごとに何かを送っていました。届かなくなれば、その日が分かります」


シャルは、外套の内側から紙の束を出した。


3寸ほどの厚さだ。紐で2重に縛ってある。


「村の名簿です。80人分。12年分の、出した子の名も」


「誰が書いた」


「わたしが、村長から聞き取りました。この2日で」


俺は、その紙束を見た。


「谷へ行ったのか」


「はい。ゼノ様が出られたあと、1日遅れで」


命じていない。


この女は、命じられていないことを黙ってやって、あとから報告する。そのときに、必ず理由を先に言わない。


「これを、燃やします」


フィーネが、椅子から立った。


「お待ちなさい」


「フィーネ様」


「それは、証です。聖国の神官2名が、12年、辺境の村から人を攫っていた証ですわ。それを燃やして、何が残りますの」


「村が残ります」


シャルの声は、上がらないまま、低くなった。


「この紙が王都に着けば、王家はこれを聖国に突きつけます。突きつければ、聖国は否みます。否んだあと、聖国は村へ人をやります。名簿に載っている80人を、1人ずつ確かめに行きます」


「確かめに行かせないための記録です」


「行きます。わたしは、行かれた側にいました」


    ◆


部屋が、静かになった。


水路の音が、また聞こえた。


フィーネは帳面を閉じず、指で頁の端を摘(つま)んだまま言った。


「……あなたのお母様のことを、仰っているのかしら」


「母の名は、売られた紙に載っていました。載せたのは、母を助けようとした人です」


「善意で、ですのね」


「はい。善意です。善意で載せて、7年、探されました」


シャルは、紙束を卓の上に置いた。手は、そこから離さなかった。


「わたしは、書く人を信じません。書いた人が悪いのではありません。紙が、書いた人の手を離れるからです」


フィーネは、そこで初めて、語尾を平らにした。


「——では、訊きます」


椅子の背を握った指が、白くなっていた。


「12年で4人、連れ去られた子がいます。その4人の名を、この世のどこにも残さないのですか。残さなければ、あの子たちは、初めからいなかったことになります」


「なります」


「それでいいと?」


「よくありません」


シャルは、言葉を切った。


「よくありませんが、生きている80人の方が、多いです」


数の話になった。


俺は、この手の話を三界で何百と聞き、大半は多い方を取った。勘定は、それで合っていた。


合っていたはずだ。


「……4人の名は」


俺が言うと、2人が同時にこちらを見た。


「4人の名は、村長が覚えてる。80人も……覚えてるだろ。紙を燃やしても、消えねえよ、あの村じゃ」


「はい」


「なら、残るな」


「残ります。村の中には」


シャルは、それでも紙束から手を離さなかった。


フィーネが、息を吸い、それを吐く前に、卓の上の燭台(しょくだい)の方へ手を伸ばして、紙束ではなく、自分の帳面を掴んだ。


帳面を開いて、俺に見せた。


「ゼノ。わたし、こちらにも同じことを書きました」


シャルの肩が、動いた。


「……いつです」


「あなたが谷へ戻っている間に。村長は、谷で同じことを、わたしにも話しております」


「フィーネ様」


「ええ。わたしが先に聞いたのですわ」


シャルが、動いた。


速さだけなら、この部屋で俺の次だ。腕が卓を越えて、フィーネの帳面に届く——その直前に、フィーネはそれを燭台の火へ入れた。


自分で、燃やした。


俺は、火の中に手を入れた。


紙は、掴んだ。掌の皮が焼けて、匂いが部屋に広がった。獣の脂を焦がしたときと同じ匂いだ。


2人が、止まった。


「ゼノ様——」


「ゼノ、お手を」


「うるせえ」


俺は、焦げた帳面を卓に置いて、掌を返して見た。中指の付け根から手首まで、皮が一続きに黒くなっていた。1枚組んで、治した。跡は残らなかった。


痛みだけが、あとから来た。


「燃やす燃やさねえの話は、もういい」


俺は、焦げた帳面を、シャルの名簿の横に置いた。


「村の名を消せ。谷の場所も消せ。4人の名だけ残せ。それから」


「それから?」


「攫った側の名を書け。書けねえなら、代わりに俺の名を書いとけ」


フィーネが、顔を上げた。


「……何を仰っているの」


「聖国の2人を殺したのは俺だ。谷に行ったのも俺だ。名簿が要るのは、誰がやったかを書く紙が要るからだろうが。なら、俺の名で足りる」


シャルが、初めて紙束から手を離し、その手を自分の喉の前で握った。


「……それは、あなた様が捜される、ということです」


「もう捜されてる」


「増えます」


「増えりゃいい」


言ってから、少しだけ考えた。増えた分は、谷から逸れる。そこまで考えて、それを口に出さなかった。


それなのに、フィーネが先に言った。


「——逸らすおつもりですのね」


「違う」


「違いませんわ」


「違うと言ってるだろうが」


俺は椅子に座り、治したばかりの掌を、膝の上に伏せた。


フィーネは、焦げた帳面を開いた。


火の入った端が、指で触ると粉になった。それでも、中ほどの頁は読めた。彼女は一度だけ俺の顔を見てから、そこに新しい行を足した。


『ローデン以東の件、行為者——ゼノ』


「……これで、よろしいの」


「あぁ」


「わたし、これを王都へ出します。出せば、殿下がお困りになります」


「困らせろ」


シャルは、窓際に立って、自分の外套の裾を、指で真っ直ぐに直していた。母の宿で古い金具を並べたときと同じ手つきだ。


「ゼノ様」


「あぁ」


「わたしは、まだ、書く人を信じません」


「そうか」


「ですが、燃やすのを、やめます」


彼女は、名簿の紐を解(ほど)いた。解いて、その束から、連れていかれた4人の4枚だけを抜いた。


「この4枚を、わたしが持ちます。持って、歩きます。紙が手を離れなければ、追われません」


    ◆


その夜、俺は眠らなかった。


掌が痛んだからではない。痛みは、とうに引いていた。


あとに残ったのは、勘定だ。80人と4人を、俺は今日、天秤に載せて、多い方を取らなかった。両方を残す形にした。


前世なら、載せた時点で終わっていた。


(——合わねえな)


合わないまま、それでいいと思った。


朝、フィーネが宿の下で待っていた。


馬が3頭。荷は少ない。彼女は、焦げた帳面を鞍に括りつけていた。


「ゼノ。1つだけ、伺ってよろしい?」


「なんだ」


「昨夜、火に手をお入れになりましたでしょう。あれは、どちらを取ったのですの。わたしの帳面ですか。それとも」


俺は、答えなかった。


答えが無かった。あのとき、俺は考えて手を入れたのではない。燃えるものが目の前にあって、両方を残すには、手を入れるしか無かった。


「……忘れた」


「嘘が、下手におなりですわ」


フィーネは馬に乗り、前を向いたまま言った。


「王都まで6日ですの。6日で、《《うまい嘘》》を考えてくださいまし」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。