第78話 命令どおりです
出立の日取りは、6日後に決まった。
決めたのはフィーネで、数えたのもフィーネだ。馬が4頭、替えが2頭、国境までの宿が11。聖国は通らない。カルナ側を回る。
残る者と、行く者を分けた。
行くのは、俺とフィーネとリィナ。それだけだ。
「3人ですの」
「多いか?」
「少なすぎますわ。……いえ、いいえ。3人でよろしいのです。数えたのはわたしですもの」
フィーネは、帳面の上で炭を1度止めて、それから続けた。
ほかは、全員残る。
ヴィントが大学。学生と、混成の稽古を持つ。トバイアスも大学。共同術式を、100人まで増やす。ミルカは王都の書庫。焼け残った490の綴りを、1枚ずつ読む。ポーラは、その両方を行ったり来たりする。
シャルは王都だ。冬の前に、本人が決めた。
「教団の連絡と、見張りです」
「あんたは、来たがると思ってた」
「行きたいです」
シャルは、そう言ってから、床に座った。
「ですが、王都に残る者が、ゼノ様の側の者でなければ、ここは空になります。空になった場所は、必ず誰かが座ります」
エリシアは、南街区の帳簿を見ていた。
俺が出立の日を告げると、顔を上げずに、数字を1つ書き足してから言った。
「馬代は、宰相府から出します。名目は、大学の遊学でございます」
「遊学か」
「遊学でございます。……それ以外の名目ですと、審議が要ります」
それきり、口を閉じた。
俺は部屋を出た。出がけに、一度だけ振り返った。エリシアは、まだ帳簿を見ていた。帳簿は、さっきから1行も進んでいなかった。
出立の3日前の夜、シャルが窓から入ってきた。
速さが、いつもと違った。窓枠に足をかけた時点で、もう喋っていた。
「ゼノ様。南の支部が、動いています」
「どこだ?」
「トルネの町です。王都から南へ、馬で2日」
シャルは、外套の内から折った紙を出した。
「一昨日、支部の者が3人、町の外で襲われました。1人が死にました。襲ったのは、町の穀物商の雇った者です」
「それで?」
「支部が、その穀物商の家へ向かっています。40人です」
「40人で、商家1つに行くのか?」
「商家だけではありません」
シャルは、紙を広げた。
家の名が並んでいた。7つ。
「穀物商の本家と、分家が4つ。それから、嫁いだ先が2つ。合わせて7軒。人数は、49人です。子供が11人います」
「誰が決めた」
「支部長です。ですが」
シャルは、俺の目を見た。
「支部長が言ったのは、こうです。『魔王様が、やられたら相手の一族ごと返せと仰った』」
俺は、その晩のうちに出た。
馬では間に合わない。闇で影を渡った。夜のあいだだけ、俺は影の中を歩ける。歩幅が伸びる。木の影から木の影へ、屋根の影から屋根の影へ。それでも、2日の道を一晩では詰められない。
明け方、南街道の中ほどで日が昇った。
影が短くなる。歩幅が戻る。俺は馬を1頭借りて、走らせて、潰した。その代を、その場に置いていくだけの銀は持っていた。
トルネの町が見えたのは、その日の夕方だった。
町の南に、煙が1本立っていた。藁を焚いた煙だ。家が燃えるときの煙は、もっと黒い。
穀物商の本家は、町外れの、蔵が3つ並んだ屋敷だった。
門は破られていた。破り方が、丁寧だった。蝶番だけを落としてある。俺がやる開け方だ。誰にも教えていない。見ていた者が、真似た。
中庭に、人が立っていた。
黒い布を肩に掛けた者が、30人ほど。庭の隅に、屋敷の者が集められている。数えると、20人いた。子供が5人。
そして、蔵の前に、地面に伏せられた者が4人いた。
4人とも、動いていなかった。
「——止めろ」
俺の声で、30人が振り返り、一斉に膝をついた。その音が、中庭の石の上で揃った。
「魔王様」
前に出たのは、痩せた男だった。頬がこけている。左の眉の上に、古い傷がある。支部長だ。
「ご覧の通り、返しております」
「4人は、誰だ?」
「本家の主と、その兄と、番頭が2人でございます」
男は、俺の方を見ていなかった。伏せた頭の先の、石の目地を見ていた。
「あと45人。これから、分家へ回ります」
俺は、庭の隅へ歩いた。
集められた20人が、身体を寄せ合った。その真ん中に、子供が入っている。いちばん小さいのは、3つか4つだ。母親が、その子の目を手で塞いでいた。
その手が震えていて、指の間から、子供がこちらを見ていた。
俺は、その子と目が合った。目の縁が赤い。泣いたあとで、もう泣きやんでいる。
「支部長」
「ここに」
「誰が決めた?」
「魔王様のお言葉でございます」
男は、そこで初めて顔を上げた。
その目は、迷っていなかった。疑ってもいなかった。仕事を正しくやっている者の目だった。
「冬の前に、拠点で仰いました。『やられたら、相手の一族ごと返せ。半分にすると、残りが恨む』と」
「言った」
「はい」
「それで、49人か」
「半分にいたしますと、残りが恨みますので」
俺は、庭の真ん中に立った。
言葉を探したが、見つからなかった。この男は、間違えていない。俺の言った通りにやっている。俺は、あの晩、拠点で60人に向かって喋りながら、その場の顔を1つずつ見て、通じたと思った。
通じていた。
通じたから、こうなっている。
「……こいつらを、逃がせ」
「……は」
「屋敷の者を、全員逃がせ。分家にも行くな」
支部長の顔が、初めて動いた。
「魔王様。それでは、筋が通りません」
「通さなくていい」
「1人殺されております。こちらが引けば、次は、もっと来ます」
「来たら、俺が行く」
「7日、かかりますが」
男は、そこで自分の言ったことに気づいた顔をして、また頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「合ってる」
「は」
「7日かかる。だから、あんたらが自分で考えて動いた。それも、俺が言った」
俺は、自分の掌を見た。
あの晩、俺は2つ言った。1つは「一族ごと返せ」。もう1つは「俺がいなくても、自分で考えて動け」。
2つとも、この男は覚えている。
そして、2つを足した。子供が11人、その中に入った。
「支部長」
「何でしょうか?」
「あんたは、これを、やりたかったか?」
男は、答えなかった。
俺は待った。やがて、男の喉が動いた。
「……分かりません」
「分からねえのか?」
「命令でございます。命令を、やりたいかどうかで考えたことが、ございません」
男は、膝をついたまま、自分の胸に手を当てた。
刻印のある場所だ。
「ここに、刻印がございます。これが入ってから、命令を疑ったことがございません。疑えないのか、疑わないのかも、分かりません」
俺は、屋敷の者を門の外へ出した。
出すときに、教団の者が2人、道を塞いだ。その2人に、悪気があったわけではない。まだ命令が変わっていないと思っている。
「どけ」
「は」
2人は、すぐにどいた。どいたあとで、互いの顔を見合わせた。何が起きているのか分かっていない。
20人が、道へ出た。
道の上で、母親が振り返った。子供を抱えたまま、俺に向かって膝をついた。
「……ありがとうございます」
「礼を言う相手を間違えてる」
俺は、蔵の前へ戻った。
伏せられた4人を、順に見た。1人は、まだ温かかった。
掌に陣を1枚組んだ。
組んで、やめた。
治癒は、死んだ者には効かない。俺は前世からそれを知っている。それでも、掌を出した。この身体になってから、初めてだった。
俺は、陣を消して、立ち上がった。
門の外で、支部長が待っていた。
40人が、道の両側に並んで、膝をついていた。夕日が、その背中を全部赤くしていた。
俺は、その真ん中に立った。
「全員、王都へ戻れ」
「はい」
「拠点に、60人集めろ。刻印のある者も、無い者も、全部だ」
「かしこまりました。……何を、なさいますか」
俺は、答えなかった。
その前に、決めなければならないことがあった。俺の下の者が入れた刻印を消すということは、こいつらが俺の言葉を疑えるようになるということだ。
疑えるようになれば、去る者が出る。
(……勘定が、合わなくなるな)
《《合わなくていい》》、と思った。
初めてだった。




