第73話 借りた順
降臨祭の1日目は、灯籠だった。
日が落ちると、王都じゅうの家が、紙を貼った箱に火を入れて軒先に吊る。箱の側面には字を書く。何を書くかは、その家で決めるらしい。通りの端から見ると、火の入った箱が高さを揃えずに並んでいて、風が来るたびに明るさの順番が入れ替わった。
宮の中庭にも、机が出ていた。紙と、筆と、墨。
「ゼノ様も、お書きください」
リィナが、紙を1枚差し出した。
「何を書く」
「名前を書きます」
「誰の名前だ」
「……ご自分で、お決めください」
リィナは、そこで紙を置いて、離れていった。少し先から、こちらを見ていて、目が合うと壁の方を向いた。
俺は、筆を持った。筆の穂が硬い。祭りのために新しく下ろしたものだ。
名前を書く。
借りを作ったら返す。返す相手を書いておけば、忘れない。俺は、この半年で人に借りを作りすぎた。返していないものを、順に書いた。
火を入れて、軒に吊った。
風で、少し回った。紙の4面のうち、軒から見えるのは2面だけだ。
半刻ほどして、中庭が騒がしくなった。
騒がしいというより、人が増えていた。宮仕えの者が、俺の灯籠の下を通るときに、上を見て、歩く速さが変わる。
トバイアスが来た。
「ゼノさん。あの、確認なんですが」
「なんだ」
「灯籠の字って、その、想い人の名を書くものでして」
「知らん」
「7人書いてあります」
エリシアが来たのは、その直後だった。
来て、灯籠を見上げて、しばらく動かなかった。それから、俺の方を向いた。
「ゼノ様。上から2番目は、わたくしの名でございますか」
「あぁ」
「……2番目でございますか」
「上から書いた」
「上から、何の順でございましょう」
「借りた順だ」
エリシアは、少し口を開けて、また閉じて、扇を出した。冬なのに扇を出した。
「……さようでございますか」
フィーネは、そのすぐ後ろから来た。
灯籠を見上げて、首を傾げて、それから数えた。
「7人ですのね。……わたし、7番目ですわ」
「借りた順だ」
「ゼノ。わたしが馬代を立て替えたのは、エリシア様より前ですのよ」
「馬代は返した」
「返していただいた分は、数に入りませんの?」
「入らねえだろ」
フィーネは扇を持っていなかったので、帳面で顔を扇いだ。
「……では、返さないでいただいた方が、上に来ますのね」
シャルが屋根から降りてきて、灯籠の真下に立って、上を見た。
「わたしは、6番目です」
「何も貸してねえだろ、あんたは」
「はい。ですので、6番目でも多いです」
シャルは、それだけ言って、屋根へ戻ろうとした。戻りかけて、止まった。
「ゼノ様。1番目は、どなたですか」
1番目は、ポーラだった。
7日離れた場所で、通路を塞いだ娘だ。俺は、あれをまだ返していない。
その名を、俺が口に出す前に、中庭にユーリカが入ってきた。
灯籠を見上げて、3つ数えるあいだ止まって、それから振り返った。
「なにこれ」
「灯籠だ」
「わたしの名前、無いんだけど」
「借りてねえからな」
ユーリカは、俺の胸ぐらを掴んだ。
「わたし、闘技場であんたに助けられた」
叫ばなかった。掴んだだけで、声はむしろ低くなった。
「助けられた。150人のうちの1人。それは借りじゃないの」
「あれは俺の都合だ」
「じゃあ、わたしがあんたに貸してることは?」
「無えな」
「無いの」
ユーリカは、胸ぐらから手を離した。
机の上の筆を取って、紙を1枚引き寄せて、何か書き、自分で火を入れて、俺の灯籠の隣に吊った。
そこには、1行だけ書いてあった。
『貸し1』
火を入れたばかりの紙は、まだ湿っていて、字の墨が滲んで、《《1》》が大きく見えた。
ミルカが、そのやりとりを机の横で見ていた。
灯籠を2つとも見比べて、それから紙を1枚取った。
「わたしも書きます」
「書け」
ミルカは、細かい字で長く書いた。長すぎて、紙の裏まで回った。吊るす前に、リィナが横から覗き込んだ。
「ミルカ。これは、何ですか」
「借りの一覧です。ゼノが7人と書いたので、順番が正しいかどうかを確かめました」
「……確かめた、と言いますと」
「ゼノは借りた順と言いましたが、4番目は1番目より前です。ポーラより先に、宿のおかみに1度借りています」
「いつだ?」
「去年の秋です。銅貨が2枚足りない夜に、おかみが先に鍋を出しました」
ミルカは、灯籠を吊った。
その灯籠だけ、字が多すぎて、中の火の光が外へ出なかった。
◆
中庭の隅で、リィナが1人で立っていた。
灯籠を持っていない。書いていない。
俺が横に立つと、リィナは前を向いたまま言った。
「わたしの名は、ありませんでした」
「見えなかっただけだ」
「……はい?」
俺は、自分の灯籠を指した。
紙は4面ある。正面に4人、裏に3人書いた。
リィナの名は、裏の1番上にあった。
「裏は、見えない場所です。だから、わたしの名は」
リィナが、そこまで言って、止まった。
止まって、両手で口を押さえた。
「1番目だと言っていません」
「言ってねえな」
「1番目だと思いました」
「思ったのは、あんただ」
「……はい」
リィナは、口を押さえたままだった。それから手を下ろして、俺の灯籠の紐を直しに行った。
紐に手を掛けたまま、こちらを見ずに言った。
「ゼノ様。裏に書いたのは、わざとですか」
「紙が足りなかった」
「……そうですか」
紐が、さっきより短く結び直されていた。灯籠が、俺の顔の高さまで下がった。
祭りの2日目は、火だった。
大通りに、鉄の籠が等間隔に並ぶ。中で薪を焚く。焚いた火の上を、若い者が跳ぶ。跳べた者は、その年のうちに一度だけ願いが叶うことになっている。
ヴィントが跳んだ。
片腕に布を巻いたまま跳んで、外套の裾を焦がして、着地で転んだ。そこへ人が集まって、笑い声が上がった。ヴィント本人が、いちばん大きく笑っていた。
俺は、その輪の外にいた。
輪の外に、ジークハルトが立っていた。
「あの方は、腕を怪我しておられますね」
「大学で学生を守った」
「そうですか」
ジークハルトは、火を見ていた。
「わたしは、跳びません。勇者は、願いごとを人前でしてはいけないことになっています」
「厄介な国だな」
「はい」
彼は、少し笑った。頬の片方だけが動く、あの下手な笑い方だ。
「明日、祭壇が開きます」
「あぁ」
「あなたは、来ますか」
「行く」
ジークハルトは、火の方を向いたまま、頷いた。
「わたしは、あなたに来てほしくありません」
「なぜです、とは訊かないのですね」
「訊いても、あんたは言わねえだろ」
「言います。訊かれれば」
ジークハルトは、火の熱で赤くなった顔を、こちらへ向けた。
「昨夜、祭壇の下見に行きました。5枚の写しの前に立ったとき、わたしの膝が下がりました」
彼は、右手で自分の左膝を押さえた。
「あなたに初めてお会いした日と、同じです。あの場所に、あなたと同じものがあります」




