第71話 順番です
王都に戻ると、街が白くなっていた。
雪ではない。布だ。
大通りの両側の家が、軒から白い布を垂らしている。長さは人の背丈ほどで、下の端に房が付いていて、風が吹くと一斉に同じ向きへ流れる。2000年前に天使が降りたとき、空から白い布のようなものが落ちてきた、ということになっているらしい。
「落ちてきたのは、羽根ですわ」
フィーネが馬車の窓から言った。
「布にしたのは、羽根が高いからです」
祭りは、まだ4日先だった。
それなのに、人が多い。宿はどこも埋まっていて、南街区の安宿まで値が3倍になっている。五大国の使節がそのまま残っているせいだ。使節が残れば、使節に物を売る者が来る。売る者が来れば、売る者から巻き上げる者も来る。
南街区の路地に入ると、巻き上げる者が減っていた。
物乞いがいない。喧嘩がない。角ごとに、黒い布を肩に掛けた者が1人ずつ立っている。
立っているだけだ。何もしていない。
「……これ、うちの者ですの?」
うち、とフィーネは言った。
拠点の門の石に、新しい札が掛かっていた。
『争いごと、聞きます』
その下に、もう1枚増えている。
『順番に聞きます。割り込んだ方が負けです』
門の内側に、人が並んでいた。20人ほど。教団の者ではなかった。南街区の住人だ。籠を抱えた女がいて、片脚を引きずった老人がいて、子供を連れた男がいる。
並んだ列の横に、机が1つ出ていた。
机の向こうに、ラウルが座っていた。
帳簿を開いて、炭で書いている。書きながら、顔を上げずに言った。
「次の方」
「……あの」
「順番です。名前と、揉めている相手と、揉めた日。3つ言ってください」
「字が、書けんのです」
「言ってください。こちらが書きます」
老人は、机の前に立って、しばらく何も言わなかった。ラウルは、急かさなかった。炭を置いて、待った。
俺が門を入ると、並んでいた者が一斉に道を空けた。
ラウルは、顔を上げなかった。
「順番です」
「俺だ」
「順番です」
言ってから、顔を上げて俺を見て、2つ数えるあいだ止まって、それから立ち上がった。
「……失礼しました」
「座れ。そのまま続けろ」
ラウルは腰を下ろしてから、老人に言った。
「揉めた日を、もう一度お願いします」
ドルガが奥から出てきて、俺の前で膝をつこうとした。
「やめろ」
「……は」
「毎回それをやると、列が止まる」
ドルガは立ったが、どう立てばいいのか分からない顔をしていた。右腕は吊っている。3月は使えない。
「あの若いのは」
「ラウルと申します。教団で生まれた者です。器は、ほとんどありません。刻印もありません」
「誰が机を出させた?」
「本人です」
ドルガは、少し言いにくそうにした。
「争いごとを聞くと決めましたのは、我々です。ですが、最初の3日で喧嘩になりました。先に来た者と、声の大きい者が入れ替わりまして。それを見て、あれが机を出しました」
「何と言って出した?」
「何も申しません。出して、座っておりました。3日目に、住人の方が列を作り始めました」
俺は、机の横をもう一度見た。
帳簿は3冊。1冊目が今日ぶんで、2冊目と3冊目には、日付ごとに線が引いてある。線の脇に、小さな印が付いている。片づいたものと、片づいていないものを分けているらしい。
片づいていない方が、《《3分の1》》あった。
「片づかねえのは、なんでだ?」
ラウルは、炭を止めずに答えた。
「うちでは決められないからです。土地の境と、金の貸し借りと、子供の親が誰かは、うちが決めると後で殴られます」
「誰にだ?」
「決められた方に」
俺は、その返事の速さで分かった。一度考えて出した答えではない。ラウルは、それを毎日考えている。
「そういうのは、王宮へ回せ」
ラウルは、初めて炭を止めた。
「……それは、命令ですか」
「あぁ」
「分かりました」
彼は、3冊目の表紙に線を1本引いた。それだけだった。礼も言わなかったし、驚きもしなかった。
宮に戻ると、エリシアが東の回廊で待っていた。
待っていた、というのは正しくない。回廊を歩いていて、俺と行き合っただけの形をしていた。この人は、待つときに必ず歩いている。
「お戻りが、3日早うございます」
「森を抜けた」
「山賊は?」
「9人、連れてきた」
エリシアは、そこで止まりかけた足をそのまま進めた。
「……食べさせる分は、こちらで持ちます」
「そうしろ」
「ゼノ様。ひとつ、申し上げておかねばなりません」
回廊の窓から、大通りの白い布が見えた。
「聖国は、抗議を取り下げておりません。引き渡しの要求も、生きております」
「断ったんだろ?」
「断りました。本日、2度目を断りました」
エリシアは、窓の外を見ていた。
「東部の5家が、わたくしの継承権について、正式な審議を求めております。理由は2つでございます。ひとつは、魔王と呼ばれる者を代表に立てたこと。もうひとつは——」
彼女は言葉を止めて、言い直した。
「……もうひとつは、ございません。ひとつだけでございます」
嘘だった。
この人が嘘をつくときは、数を間違える。
俺は、訊かなかった。
エリシアは歩き続けて、3歩先で立ち止まった。
「ゼノ様」
「あぁ」
「降臨祭の3日目に、祭壇の開帳がございます。五大国の使節が並び、王家の者が祝詞を上げます。わたくしが上げます」
「見に行くか」
「——」
エリシアは振り返り、何か言いかけて、口を閉じ、手袋の指を1本ずつ確かめるように握った。
「……お越しくださるのですか」
「祭りだろ」
「祭りでございます」
「なら、行く」
エリシアは、いつもより深く頭を下げた。そのまま、少し長く止まっていた。
その晩、大通りで人だかりができていた。
俺は、宿へ戻る途中でそれに出くわした。50人ほどが、広場の噴水の周りに集まっている。中央に、樽の上に立った男がいた。
痩せている。外套は聖国のものだが、階級の刺繍は無く、解いた跡だけが残っていた。
男が喋っていた。
「——2000年前、天使は羽根を落とした。落としたのは、施しだと教わってきた。違う」
人だかりは、静かだった。
「落としたのではない。毟られたのだ」
男は、両手を上げた。
「今年、この王都に、羽根を毟る者が来た。闇と光を同時に使う者だ。諸君は見た。2万人が見た。天の光を、闇の手に持った者を」
俺は、人だかりの後ろで立ち止まった。
「あれは、裁きの合図だ。天は、我々に見せたのだ。——我々の中に、天を殺した者が混ざっていると」
50人のうち、何人かが胸の前で指を組んだ。
樽の上の男は、そこで声を落とした。その方が、よく通った。
「私は、聖国の神殿で12年、祭壇の記録を書き写した。写しの中に、書いてはならぬ頁があった。5枚の円のうち、3枚目だ」
俺は、動きを止めた。
「そこに描かれた者の名は、削られていた。誰が削ったかは書いてある。——王家だ」
人だかりが、崩れた。
聞いていた者が散ったのではない。一斉に前へ出たのだ。
俺は、その背中の群れを見ていた。
(……こいつは、知ってる側だ)
樽の上の男が、俺の方を見て、笑った。誰にも似ていない笑い方だった。




