第69話 見たかったなあ
王都から大学まで、馬で8日。俺たちは6日で着いた。
俺が道を選んだ。街道は森を迂回する。森の中には山賊がいて、夜は通れないことになっている。俺は森を抜けた。夜も進んだ。3日目の晩に、実際に18人出てきた。
「——魔王だ」
先頭の男が、そう言って逃げた。
残りの17人は、逃げる背中を見てから、俺を見た。篝火も持っていない。そのくせ、枝を踏む音を隠せていない。この18人は、待ち伏せに慣れていない。俺は闇を組まなかった。組む前に、17人が武器を置いて、地面に膝をついた。
「働き口を、探しております」
「知るか」
「お慈悲を」
俺は馬の腹を軽く蹴った。馬を進めたところで、フィーネの馬車の窓が開いた。
「ゼノ。17人ですわ」
「逃げたのが1人いる」
「17人です。——数えていますのよ、わたし」
フィーネは帳面を膝に載せていた。上から3行目まで、もう名前が入っている。
「働き口を探している者が、17人。ちょうど、数えている最中でしたの」
◆
大学の門は、閉まっていた。
冬の講義の間に門を閉める大学ではなかった。門の脇に立っていたのは、学生だった。剣を持っている。持ち方が、リィナの教えた持ち方だった。
「止まってください。名と、所属を」
「ゼノだ」
学生が固まり、剣を落として、拾って、また固まった。門の内側から声がした。
「通せ」
ヴィント・ダリオンだった。
ヴィントを最後に見たのは、中庭で俺に食ってかかったときだ。侯爵家の次男で、剣も魔法も中途半端で、そのどちらでも俺に届かなかった。
今は、外套の左袖が無かった。
肩から先を切ってあるのとは違った。焼けて、なくなっている。その下の腕に、布が巻いてあった。
「腕は?」
「動く。……動かんこともない」
ヴィントは門を閉め直した。片手だった。
「7人のうち、4人は逃げた。3人はまだ地下にいる。学長が尋問しておる」
「お前が防いだと聞いたぞ」
「防いだのはわたしではない」
その言い方で、俺は先を訊かなかった。
ポーラは、医務棟の3階にいた。
窓際の、日の当たるベッドだ。上半身を起こして、膝の上に木の板を載せて、その上で何か書いていた。俺が入ってくると、板を裏返した。
「見ない」
「見てねえ」
「見ようとした」
俺は椅子を引いて座った。脇腹の布は、新しい。血は染みていない。顔の色は悪くないが、痩せていた。
「立てるか?」
「立てる」
「立ってみろ」
ポーラはベッドの縁に脚を出し、床に足の裏をつけて、それから、つけただけで止まった。
「……今日は、やめとく」
「あぁ」
「明日はいける」
「あぁ」
「なんで2回とも『あぁ』なの」
俺は、彼女の手を取った。
掌の皮は、剥けたままだった。3箇所ではなく、5箇所に増えている。布を巻いた跡が、皮膚に食い込んで白い線になっていた。
1枚。掌に陣が1枚、音もなく浮かんだ。
治癒。
「脇腹じゃないの」
「脇腹は医者がやった」
「手は、医者やってくれなかった」
「だろうな」
赤みが引いた。ポーラは、治った掌を自分の目の前まで持ち上げて、指を1本ずつ曲げて、俺の顔を見た。
「あんたさ。あの日、闘技場で光使ったんでしょ」
「聞いたのか?」
「ヴィント様が教えてくれた。すごかったんでしょ。2万人いたんでしょ。あたし、それ、見てないんだよね」
ポーラは、治った手でシーツを握った。
「通路にいたから」
「あぁ」
「見たかったなあ」
俺は、何と言えばいいのか分からなかった。
分からないまま、口が動いた。
「もう一度やる」
「え」
「同じものを、もう一度やる。あんたの前で」
ポーラは、しばらく俺を見ていた。それから、シーツに顔を半分埋めた。
「……そういうこと言うの、ずるいと思う」
「何がだ」
「なんでもない」
彼女は、裏返した板をもう一度裏返して、また裏返した。結局、見せなかった。
医務棟を出ると、廊下にリィナが立っていた。
動かない。中に入らない。
「入らねえのか」
「……あとで参ります」
リィナは、医務棟の扉を見ていた。
「わたしは、あの子に腰が高いとしか言いませんでした。刺されたのは、腰が高かったからです。踏み込みが浅ければ、避け……避けられました」
「避けたら、後ろの学生に当たってる」
リィナは黙った。
間を置いて、こう言った。
「それは、分かっております。……分かっております」
分かっている、で終わらせる娘ではなかった。リィナは、分かっていることを2度言う。2度言うときは、納得していないときだ。
◆
その日の夕方、修練場でリィナとヴィントがぶつかった。
俺は、居合わせただけだ。
学生が30人ほど並んでいた。門に立っていた者たちだ。剣を持っている者と、杖を持っている者が混ざっている。その列を、リィナが2つに分けようとした。
「剣の者は右へ。魔法の者は左へ」
「待て」
ヴィントが片手を上げた。
「分けるな。混ぜたまま組ませる」
「剣と魔法では、間合いが違います」
「違うから組ませるのだ。あの日、東棟で、学生は分かれなかった。分かれる時間が無かった」
「時間が無かったのは、備えていなかったからです」
「備えておれば、7人が来ないとでも言うのか」
2人の声が、修練場の石壁に跳ね返った。学生は誰も動かなかった。
「わたしは、物心ついてから同じ型を振ってまいりました」
リィナは木剣の先を下げていたが、退かなかった。
「その型で、ゼノ様の前に立てるようになりました。型は、人を強くします。混ぜれば、どちらも中途半端になります」
「中途半端で結構」
ヴィントは、布を巻いた左腕を上げかけた。腕は途中で止まり、彼はそのまま喋った。
「わたしは、剣も魔法も中途半端だと言われて育った。……言ったのは、わたし自身だがな」
彼は腕を下ろした。
「東棟で、わたしは机を炎で焼いて、その煙の中で剣を振った。どちらも中途半端だった。中途半端な者が2つ持っておると、片方が潰れても、もう片方が残る」
リィナが、初めて木剣を持ち上げた。
「腕が焼けても、ですか」
「腕が焼けても、学生は15人おる」
その晩、リィナが俺の部屋に来た。
扉から来て、ノックを3回して、返事を待った。入ってきて、立ったまま言った。
「ゼノ様は、どちらが正しいとお思いですか」
俺は、答えなかった。
リィナは続けた。
「わたしは、あの男が嫌いです。昔、ゼノ様に食ってかかった者です。今日、あの男の言うことの方が、学生の役に立つと思いました。それが、いちばん腹が立ちます」
「腹が立つのは、あんたの勝手だ」
「はい」
「両方やれ」
リィナが顔を上げた。
「型は型で振らせろ。混ぜる稽古は、ヴィントにやらせろ。あんたが両方見ろ」
「……それでは、わたしの時間が倍になります」
「増やせと言ったのは、あんただ」
リィナは、そこで何か言いかけて、やめた。
頭を下げて、出ていった。扉が閉まる前に、こちらを振り返って、一度だけ口を開いた。
「わたしが言ったのは、そういう意味では——」
扉が閉まった。
◆
翌朝、書庫の階段の下でミルカが待っていた。
寒いのに、外套を着ていない。抱えた紙束が、外套の代わりになっている。
「ゼノ。王都へ行くと聞きました」
「フィーネが呼んだのか?」
「はい。……いえ、呼ばれる前に荷を作りました」
ミルカが紙束を持ち直した拍子に、上から3枚目が落ちた。俺が拾うと、そこに円が描いてあった。
5つ。
「降臨祭の祭壇の写しです。王都の書庫にあるものを、わたしが写しました」
「祭壇の絵か?」
「はい。ゼノ。この5つですが」
ミルカは、俺の手から紙を取り返すと、指で3つ目の円をなぞった。
「線の太さが、《《円ごとに違います》》」




