第68話 身体が一つしかない
知らせは、3つ同時に来た。
1つ目は、夜明け前に窓を叩く音だった。
南街区の教団から来た伝令だ。息が上がって、言葉になっていない。俺が水を飲ませると、飲む前に喋った。
「拠点が、囲まれています。人数は、30」
2つ目は、その伝令がまだ喋っている間に廊下から来た。
リィナだった。
「ゼノ様。宮の東の書庫に、人が入っています。宿直の者が2人、倒れました」
3つ目は、階段を駆け上がってきたフィーネが持っていた。
早馬の封だ。蝋が割れている。
「大学からですわ。——7日前の日付です」
7日前だ。
俺がジークハルトと砂の上にいた日に、大学が襲われている。報せが馬で7日かかって、今、俺の手の中にある。
俺は封を切らなかった。開ければ読んでしまう。その間は、動かない。
「フィーネ。読め。走りながらでいい」
「わたしは走れませんわ」
「じゃあ、あとで」
俺は階段を下りながら、闇を1枚だけ組んだ。夜明け前の廊下が、俺の歩く先だけ暗くなった。影の中の方が速い。歩幅が伸びる。
リィナが横についてきた。
「南街区ですか」
「あぁ」
「では、書庫はわたしが」
「あそこには2人倒れてる。あんた1人だ」
「はい」
即答だった。
「エリシア様には、わたしから」
リィナは俺の前に回り込み、外套の前を1度だけ引っ張って直すと、走っていった。
南街区の路地は、朝の前がいちばん暗い。
石の間に霜が降りて、踏むと鳴る。角を3つ曲がったところで、鳴らない道に変わった。誰かが先に歩いて、霜を潰している。潰れた幅からして、30人分だ。
拠点の門に、石が1つ据えてある。紋章が彫ってある石だ。
その石の上に、男が1人座っていた。
男はこちらを見て、立ち上がった。上等な外套だ。路地には似合わない。
「魔王殿か」
「どこの手の者だ?」
「答えると思うか」
俺は闇を4枚組んで、この男が何を言っても俺の動きは変わらないことに気づいた。
闇幕で路地を潰した。
その中を、俺は歩いた。人間は、暗いところで声を出す。声を出した順に、足を払った。7人までは、そうやって片づいた。
8人目で、幕が内側から明るくなった。
中級の光魔法だ。人間の器で使える範囲のものだが、闇幕を破るには十分だった。
破れた隙間から、拠点の中が見えた。
中は、すでに戦いになっていた。血の匂いはしない。焦げた布の匂いだけが、天井の低いところに溜まっていた。
教団の11人が、扉の内側に横一列に並んでいる。上級の闇魔法を使う3人が前だ。ドルガが真ん中にいた。
ドルガは、右腕を上げていなかった。上げられなかった。肘から先が、捻じれた向きで垂れている。それでも左手で闇を組んで、扉を塞いでいた。
その後ろで、刻印の無い者たちが、子供を奥へ送っていた。
列の端に、帳簿を抱えた若い男がいた。
俺が入ると、11人が一斉に膝をついた、ように見えた。床を打つ音が、11回ではなく1回に聞こえた。
「魔王様——」
「やめろ。扉を見てろ」
膝をついたせいで、扉の前が空いて、その分だけ外の光が入ってきた。俺はそこを闇で塞ぎ直しながら、数えた。
膝をついたのは、10人だった。
1人、立っている。
帳簿を抱えた男だ。俺を見ていない。壁際に立って、奥の通路の方を向いている。子供を送り出した順番を、指で数えていた。
「ラウル」
ドルガが、垂れた右腕のまま怒鳴った。
「膝をつけ」
「あと、4人です」
「ラウル——」
「仕事中の奴を跪かせるな」
俺が言うと、ドルガは口を閉じ、膝をついたまま俺を見上げた。
ラウルは、そこで初めて俺の方を見た。
一度だけだった。見て、また通路の方を向いた。
外の30人のうち、最初に逃げたのは指揮していた男だった。
逃がした。追わなかった。追えば、拠点の扉から俺がいなくなる。
30人のうち、19人が残った。そいつらは、闇魔法を使う人間を見て、それから膝をついた教団の者を見て、何が起きているのかを理解できずに武器を落とした。
俺は、ドルガの右腕を見た。
肘の内側で骨が2つに折れて、皮の下で先が動いている。1枚。掌に陣が1枚、浮かんだ。
治癒。
骨が鳴った。ドルガは声を出さなかった。そのために、自分の左の掌に歯を立てていた。
「上の階梯はやらねえ。あと3月は、そいつは使えねえ」
「……使わせません」
ドルガは、治った腕を床につけて、深く頭を下げた。
「指示を」
「もう出てる。18条の11だ。『守るのは、まず動けない者から』。あんたらは、それをやった」
言いながら、俺は気づいた。
この拠点は、俺がいない7日を、俺の書いていない規則で耐えている。
宮に戻ったのは、日が高くなってからだ。
東の書庫の前に、人が集まっていた。倒れていた2人は生きている。リィナが1人で片づけていた。
床に、男が3人転がっている。3人とも、肩か膝が外れていた。リィナは関節を外す。殺さない。物心ついてから、そう振ってきた型だ。
エリシアが、書棚の間に立っていた。
抜き取られた棚を見上げている。
「何を盗られた?」
「王家の系図の、第3巻でございます」
「系図」
「わたくしどもの家が、どこから来たかを書いたものでございます。……初代より前が書いてございます」
リィナが、床の男の襟を掴んで起こした。
いつもより乱暴な手つきだった。
「この者たちは、書庫の場所を知っていました。宿直の交代の刻も知っていました」
「中に手引きがいるな」
「はい」
リィナは男を床に戻し、俺の方を向かずに言った。
「ゼノ様。わたしは、間に合いました」
「あぁ」
「ここは、間に合いました」
その言い方の意味が、少し遅れて分かった。
◆
大学の封を開けたのは、その日の夕方だった。
フィーネが読み上げた。声は、報告を読む速さだった。途中から速さが落ちた。
「——冬の講義の3日目、東棟に7人が押し入りましたわ。狙いは、測定石の記録。学生の名簿と、器の数値の一覧です」
「取られたか?」
「取られていません」
フィーネは紙を裏返した。
「防いだのは、ヴィント・ダリオンですわ」
俺は顔を上げた。
「あの男が?」
「魔法と剣を、同時に使ったそうです。学生を15人、机の裏へ入れて、その前に立ったと書いてございます。……いえ、書いてあります」
フィーネの語尾が、そこで平らになった。
「立った者が、もう1人います」
ポーラだった。
火魔法の使い手で、剣は先月から。掌の皮が3箇所むけて、その上から布を巻いている娘だ。
紙には、こう書いてあった。
『炎で通路を塞ぎ、学生を逃がしました。塞いだ場所から動かず、7人のうち3人を止めました。左の脇腹に刺し傷。医師は、命に別状は無いが、当分は立てないと申しております』
俺は、その紙を2度読んだ。
2度目は、字を追っていなかった。
(俺は、あの日、砂の上にいた)
闘技場の上で、150人を守った。守れた。あの一瞬、俺は自分のできることの全部を使って、間に合った。
同じ日、7日離れた場所で、あの娘は自分の身体で通路を塞いでいた。
俺は行けなかった。
魔力の問題ではない。速さの問題でもない。空を飛べるわけでもない。7日の距離は7日だ。
(身体が、1つしかねえ)
前世では、これで困ったことがない。俺が行けない場所は、行く価値の無い場所だった。行く価値のある場所には、俺が行けばよかった。
今は、俺の名前で動く人間が、3つの場所に散っている。
3つ目に届くのが、《《7日後》》だ。
「フィーネ」
「なんですの」
「人を、集める」
フィーネは紙を膝に置いて、しばらく俺を見ていた。
「……何人ですの」
「足りるだけだ」
「それは、数ではありませんわ」
「じゃあ、数えろ。あんたが数えるのは得意だろ」
フィーネは炭を取り、帳面を開いて、一番上に線を引いた。
その先で、手が止まった。
「ゼノ。それは、軍ですの」
「呼び方は、あんたが決めろ」
「わたしが決めると、王国が困りますのよ」
◆
その夜、リィナが部屋に来た。
扉から来た。ノックを3回して、返事を待って、それから入ってきた。
「ポーラは、生きております」
「知ってる。紙で読んだ」
「わたし、あの子に剣を教えました。腰が高いと、それしか言いませんでした」
リィナは、立ったまま動かなかった。
「腰が高いままの子が、通路に立ちました」
「あぁ」
「わたしは、間に合った方にいました」
俺は、何か言おうとした。
言う前に、リィナが先に言った。
「ゼノ様。わたしを、増やしてください」
「……なんだ?」
「わたしと同じことができる者を、増やしてください。わたしは1人しかおりません。それが、いちばん腹が立ちます」
リィナは頭を下げて、部屋を出ていった。
1人になってから、俺は自分の掌を開いた。白い線は、もう消えていた。




