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第67話 合わない勘定

表彰の式は、砂の上ではやらなかった。


結界が内側から焼けたせいで、闘技場は当日中の立ち入りが止まった。5国の術士が梯子を掛けて、結界の内側を朝まで調べていた。トバイアスもその中にいて、朝に顔を見たときには目の下が黒くなっていた。


「ゼノさん。結界の3層目、光の粒が喰(く)い込んだ跡が11箇所。抜けたのは1箇所だけです。設計では7箇所まで耐えるはずですから、4箇所ぶん余計に持ちました。理由は、たぶん、上へ逃がしたからで——」


「それだけ喋れるなら寝てねえな」


「寝てません」


「寝ろ」


「はい。あと、2箇所だけ見てから」


式は、王宮の大広間だった。


5国の使節が並んで、王が中央に座り、その左にエリシアが立った。俺は呼ばれた順に前へ出て、差し出された飾(かざ)り剣(けん)を受け取った。刃が入っていない。重さは、木剣の半分もない。


「ヴァリス王国、代表——」


呼び上げの役人が、そこで詰まった。


家名が無い。線が1本引いてあるだけの行を、声に出す形が決まっていない。役人は、線のところで息を吸って、それから言った。


「——ゼノ」


名前だけだった。


拍手が起きて、広間の後ろの方で止まらなくなった。役人がもう一度何か言おうとして、諦めて下がった。


エリシアは、その間ずっと、俺ではなく広間の後ろを見ていた。


夜。大学から来た者のために、王宮の東の間が開けられた。


長机が2つ。料理は宮廷のものだ。トバイアスが皿の前で固まっていた。


「……これ、なんですか」


「鵞鳥(がちょう)だ」


「そうじゃなくて。なんで羽が刺さってるんですか」


「飾りだ」


「食べるところに刺さってたら、飾りじゃないですよね」


トバイアスは羽を引き抜いて、皿の横に置き、もう一度手に取って、じっと見た。


「……持って帰っていいですか」


「鵞鳥の羽だぞ」


「ミルカさんにあげます。あの人のペンは、鴉なので」


「鴉じゃ駄目なのか」


「鴉の方が細く書けるそうです。でも、鵞鳥の方が高いので」


トバイアスは羽の軸を指で扱(しご)いて真っ直ぐにして、羊皮紙の筒に差した。


フィーネは、いちばん端の席にいた。


皿に手をつけていない。膝の上に帳面を広げて、炭で線を引いている。俺が横に座ると、帳面を閉じずに、こちらへ傾けた。


上から下まで、細かい字で埋まっていた。日付と、数字と、名前。


「これは、何だ」


「試験の採点表ですわ」


「採点表」


「わたしが、ゼノに出した試験ですの。3月前に、王都で。忘れましたか」


忘れてはいない。この娘は、俺を測るために代表の枠を用意した。測って、何かの役に立つかを見ていた。


フィーネは、いちばん下の行を炭の先で示した。


「合格ですわ」


「そうか」


「……それだけ?」


「他に何がある」


フィーネは帳面を閉じて、膝の上で両手を重ねた。指の関節が白くなっていた。


「3月、数えていましたのよ」


「知ってる」


「知っていて、そうかと」


「あんたが何を数えてたのかは、知らねえ」


フィーネは、そこで黙った。


皿の鵞鳥に初めてナイフを入れた。切り口を見て、切った分をそのまま皿の端へ寄せた。食べなかった。


「……わたし、ゼノが負けると思っていましたの」


「あぁ」


「思っていて、それでも出しましたわ。出したのは、負けるところを見たかったからではありません。負けても、こちらに戻ってくるかを見たかったからです」


「戻ってきたぞ」


「勝って戻ってきたら、困りますでしょう」


フィーネは、初めて俺の顔を見た。


「勝った人は、もっと大きなところへ行きます。うちの国は、小さいんですの」


    ◆


広間を出ると、リィナが廊下の柱の陰にいた。


祝いの席には出ていない。理由を訊いても「人が多いので」としか言わない。実際には、俺が広間を出るのを待っていた。


「ゼノ様」


「なんだ」


「手を、もう一度見せてください」


俺は左の掌を上に向けた。白い線は、まだあった。昨日より、わずかに短くなっている。


リィナは、指でなぞらなかった。今日は、見るだけだった。


「……減っています」


「あぁ」


「よかったです」


それだけ言って、リィナは柱から離れ、3歩歩いて、止まった。


「ゼノ様。わたし、昨日は一度も、剣を持ちませんでした」


「そうだったか」


「闘技場で、ゼノ様が両手を上げたとき、わたしは立ち上がりました。立ち上がって、走ろうとして、脚が動きませんでした。柵まで、5歩です」


リィナは、こちらを向かなかった。


「5歩が、遠かったです」


    ◆


その夜、俺は自分の部屋で掌を開いていた。


闇を4枚。


重ねて、数えた。5枚目は、組もうとして指の先で崩れた。その分の魔力が、腕の中で行き場を失って、肘の内側で熱になった。


——半年前と同じだ。


半年前、王都で初めて測定石を割ったとき、俺の器はここまでだった。あれから、俺は魔力を使い続けている。人間の身体は、使えば伸びる。リィナの胼胝が3度固まり直したように、器も同じ理屈で広がるはずだった。


《《広がっていない》》。


今日、光と闇を同時に組んだ。あれは器を広げたのではない。持っている分を、2つに割って使っただけだ。割れば、片方は半分になる。


俺は掌を閉じた。


(器が伸びてねえ)


前世の俺の器は、この身体の千倍あった。そこから引き剥がされたものが、この身体の中に入っている。入り切っていない、と考えた方が正しい。溢れた分がどこにあるのかは、分からない。


決勝の前の晩、ジークハルトの光が撫でた傷。あそこに、何かが挟まっている。


俺は立ち上がって、窓を開けた。


王都の夜だ。南街区の方に、いくつか灯が残っている。18条の貼り紙を出した60人が、今夜も見張りに立っているはずだった。あいつらは、俺の名前で動いている。


(……勘定が、合わねえままだ)


同じ夜。


ソルディア聖国の神殿で、祭壇の裏の5枚の写しの前に、神官が6人立った。3枚目の写しに、新しい札が掛けられた。札には、名前が1つだけ書かれていた。


同じ夜。


カルナの公子リュカが、父のカルナ公へ報告を送った。文面は3行だった。「闇と光を同時に使う者がいます。王国は、それを代表として出しました。次はこちらが出す番です」。


同じ夜。


ドラーズのイルザ・アイゼンが、右の籠手(こて)を外して、焼けた前腕を医師に見せた。医師が何か言う前に、彼女は言った。「7度目は、あの男に負ける。それでいい」


同じ夜。


ソルディア聖国の審問庁から、第一継承者宛の2通目の封が出された。エリシアは、それを1通目と同じ引き出しに入れて、鍵を掛けて、しばらく引き出しの前に立っていた。


そして、同じ夜。


人間界のずっと下、光の届かない層で、誰かが目を開けた。


優勝した。


その夜、三界でゼノの名を知る者たちが、一斉に動き出した。

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