第66話 選ぶのをやめた
決勝の日、砂は昨夜より白かった。
2万の席が、昨日までとは違う埋まり方をしていた。昨日までは、客が国ごとに固まって座っていた。今日は、前の方の席に人が押し寄せて、後ろの段が空いている。近い方から埋まる日は、客は試合を見に来ているのではない。何が起きるかを見に来ている。
正面の貴賓席に、5国の使節が並んでいた。聖国の6人は、いちばん端だった。エリシアは中央で、背を伸ばして座っている。その斜め後ろに、フィーネが立っていた。座る席があるのに、立っていた。
俺は砂へ出た。
反対側の門から、ジークハルトが出てきた。
「昨夜は、失礼しました」
「あぁ」
「訊きたいことは、増えました」
「勝ったらな」
審判が手を上げた。
始まった瞬間、光が4枚重なった。
特級だ。この男は、ためらいというものを持っていない。初手で持っている中のいちばん重いものを出す。
俺は闇を3枚。闇幕で正面を潰して、その裏を歩いて、右へ回った。
光は、俺の回った先で待っていた。
(——読まれてる)
昨夜、こいつは俺の内側を撫でている。俺の魔力の流れ方を、掌の内側で一度なぞっている。その手触りで、次に俺がどちらへ体重を移すかを当てている。
肩に、光が当たった。
熱くない。焼かない。押してくる。押されて、俺の踵が砂に溝を掘った。
「あなたは、痛がりませんね」
ジークハルトが言いながら、5枚目を重ねた。
特級の上だ。人間の器では、5枚目で肺が潰れる。
貴賓席の端で、聖国の主席が腰を浮かせた。
「——加護だ」
浮いたのはその男だけではなかった。聖国の6人が全員、同じ形に胸の前で指を組んだ。祈りだ。どの顔も、試合から目を逸らしていた。
「殿下」
フィーネが、エリシアの椅子の背に指をかけた。
「あの光は、ジークハルト殿のものではありませんわ」
「……分かっております」
「分かっていて、座っていらっしゃるのですか」
「座るのが、わたくしの仕事でございます」
エリシアの膝の上で、手袋の指が1本ずつ折れていった。
6枚目が重なったとき、ジークハルトの膝が落ちた。
俺が落としたのではない。誰も触っていない。自分の光に、自分の膝が耐えられなくなっただけだ。
「……止めろ」
俺は砂を蹴った。その先で、光が一段太くなった。
「止まりません」
「あんたが組んでるんだろうが」
「わたしでは、ありません」
彼は、自分の右手を左手で掴んで、下へ引いた。腕は、途中で止まった。腕が言うことを聞いていない。
6枚の光が、剣の先で1つに縒れた。
縒れた先が、俺ではなく、客席の方を向いた。
その席に、ユーリカがいた。
前から3列目だ。兄の試合を見に来て、いちばん前に近い段に座っていた。隣にヴィントがいて、その両側に、王都から来た見物の人間が詰まっていた。
数えた。
その一帯に、150人ほど。
光が出た。
太さは、人の胴ほどだ。速さは、闇で追いつける速さを越えていた。闇幕は光を消す。だが4枚では、この太さを消し切る前に幕の方が破れて、その分が客席へ抜ける。
俺は、《《選ぶのをやめた》》。
右の掌に闇を4枚。
左の掌に、光を4枚。
闇で、光の芯を割り、2本になったものを、左の光で外側から挟んで、上へ向けた。
同じ属性でなければ、光は曲がらない。前世で、俺は光魔法を使わなかった。使えないからじゃねえ。使う必要が、一度も無かっただけだ。悪魔が光魔法を使えると知られれば、厄介事が増える。
厄介事が増える。
——増やせ。
2本の光が、天へ抜けた。
闘技場の結界が、内側から白く焼けた。5国5人で張った結界だ。焼けたが、割れなかった。持ちこたえた分が、上へ逃げた。
空の高いところで、光が散って、その粒が、砂の上に、雪のように落ちてきた。
静かだった。
2万人が、いっぺんに黙る音というものがある。息を吸って、吐くのを忘れる音だ。
俺は、まだ両手を上げていた。
右に闇。左に光。
両の掌の上に、その2つの陣が、消えないまま浮いていた。
「——光を」
誰かが言った。誰か1人ではなかった。貴賓席から、客席から、砂の上の審判の口から、同じ言葉が出た。
「光を、使った」
聖国の主席が、立ち上がっていた。
指を組んだまま、こちらを指している。指の形が祈りから外れていた。
「——あれは、なんだ」
「光魔法でございます」
エリシアが、立たずに答えた。
「闇と、同時にか」
「はい」
「王国は、あれを代表として出したのか」
「はい」
エリシアは、そこで初めて立った。
「わたくしどもの代表は、今、客席の150人を、守りましてございます」
主席は何か言おうとした。言う前に、聖国の6人のうち、いちばん若い1人が、椅子から降りて、床に膝をついた。
祈っていた。
祈る向きが、祭壇ではなく、砂の方だった。
ジークハルトは、砂に膝をついていた。
剣は落ちている。その柄から、まだ細い光が立ち上っていて、それが指の先で震えていた。
俺は歩いて、その前に立った。
「立てるか?」
「……いいえ」
彼は、右手を見ていた。
「今、わたしは、あれを撃ちました」
「撃ったのはあんたの手だ。決めたのは別の奴だ」
「同じことでしょう?」
「同じじゃねえ」
俺は屈んで、落ちた剣を拾った。柄が、掌の中で一度痙攣した。生き物のように。
「あんたの光は、人に向くのを嫌がってた。最後に重ねるまでに、剣の先が2度、逸れてる」
ジークハルトが顔を上げた。
「……見えて、いたのですか?」
「見えた」
審判が、旗を上げようとして、上げられずにいた。
規則に無いのだ。加護が暴走した試合をどう裁くかは、4年前の結界が落ちたときにも決めていない。
ジークハルトが、砂に手をついたまま言った。
「——負けを、申し上げます」
声は、2万人に届く声ではなかった。届かなくてよかった。届く相手は、俺ひとりでよかった。
「わたしの光は、客席へ向きました。向いた時点で、わたしは剣を持つ者ではありません」
「そういう理屈は、後で言え」
「いいえ。今、言わせてください」
彼は顔を上げた。頬の片方だけが動いた。あの下手な笑い方だった。
「昨夜、訊きたいことがあると申し上げました。勝ったら訊くつもりでした」
「負けたな」
「はい。ですので、1つだけ、申し上げて帰ります」
ジークハルトは、立った。膝が笑っているのを、自分で押さえて立った。
「あなたから感じた2つ目は、まだ分かりません。ですが——先ほど、少し」
「あれは、朝に似ているのではありません」
彼は、空を見た。光の粒は、もう落ち終わっていた。
「朝を、来させる側の気配です」
俺が口を開く前に、審判の旗が上がった。
門へ戻る通路は暗い。石の壁が、砂より冷たい。
その暗がりに、ユーリカが立っていた。
俺の胸に頭からぶつかってきた。それから、拳で俺の胸を叩いた。1回、2回、3回目で拳が開いて、外套を掴んだ。
「馬鹿。馬鹿。なんで両手上げてんの。あんた、片手で足りるでしょ。……片手で足りないの、初めて見た」
「足りなかった」
「知ってる」
ユーリカは、顔を上げなかった。
「兄さんが、わたしの方に撃ったの、見た」
「あれは、あいつじゃねえ」
「知ってる。知ってるけど、見た」
俺は、その頭に手を置こうとして、置く場所を間違えた。頭の後ろではなく、耳の上に当たった。どうしていいか分からなくなって、そのままにした。
ユーリカは、何も言わなかった。
通路の先で、リィナが待っていた。
その後ろにフィーネがいて、さらに後ろにエリシアがいた。3人とも、俺の手を見ていた。
リィナが先に口を開いた。
「ゼノ様。左手を、見せてください」
「なんともねえよ」
「見せてください」
俺は左の掌を上に向けた。
何ともなかった。焦げても、裂けてもいない。ただ、掌の真ん中の線が、1本だけ白く抜けていた。
リィナは、その白い線を指でなぞった。なぞってから、指を離した。
「……これは、増えるのですか」
俺は答えられなかった。
答えられないことを、この娘は正確に見抜く。




