第61話 勝つときに謝る
2日目の第2試合は、客席の入りが違った。
ドラーズ帝国と、メルセア王国。北の2国だ。この2つは5年前まで、国境の川を挟んで殴り合っていた。今は殴っていないというだけで、どちらの客席も、朝から自国の色の布を持って座っている。
俺は西側の10段目に座っていた。隣にユーリカがいる。
「ここ、空いてたから」
訊いていない。
ユーリカは膝の上で布を握っていた。メルセアの色だ。握って、皺を伸ばして、また握っている。
「別に、応援に来たわけじゃないけど」
イルザ・アイゼンは、槍を担いで砂に入ってきた。
穂先が長い。人を刺すための長さではなく、馬を止めるための長さだ。石突きを砂に立てて、そこに体重を預けた途端、右足の踵が沈んだ。柔らかい場所と硬い場所を、足で探している。
ジークハルトは、剣を鞘に入れたまま入ってきた。
まず客席に頭を下げた。それから審判に下げて、最後にイルザに下げた。3回下げるあいだ、イルザは一度も下げなかった。
「お前、それをやめろ」
石突きが、砂の中で半寸沈んだ。
「わたしは83人殺している。頭を下げられる筋合いが無い」
「存じております」
ジークハルトは、鞘の留め金を外した。
「あなたの83人のうち、11人はわたしの国の兵です。5年前、川の南で。……そのときのことも、存じております」
イルザが、初めて笑った。
試合は、速かった。
イルザが先に出た。槍が砂を抉って、その砂ごとジークハルトの目に来た。目を潰す動きに、詠唱が乗っている。喉から短く3つ。上級の雷魔法だ。穂先から白い線が走って、砂の中で跳ねた。
雷は、ジークハルトの足元へ回り込んだ。地面を伝っている。上へ撃てば避けられる。下は避けられない。
ジークハルトは避けなかった。
剣を抜いて、砂へ刺した。刃を伝って雷が上がり、剣の鍔のところで止まった。止まったのではない。《《食われた》》。
光だ。
刃の腹に、陣が4枚重なっていた。人間の身体で、特級の光魔法が通っている。
「——盾」
ジークハルトの声は、大きくなかった。人前で唱え慣れている者の、低い出し方だ。雷は刃の中で消えた。最初に雷が這った足元の砂だけが、硝子になっていた。
イルザの2手目は、槍ではなかった。
石突きを離し、踏み込んで、肘をジークハルトの顎に入れた。武器を捨てる判断が早い。踏み込みの速さではなく、槍を捨てる早さが異常だった。
顎が跳ねたのに、ジークハルトの足が動かなかった。
俺は、そこで手数を追うのをやめた。
この男は、4枚を1試合のあいだ組みっぱなしにしている。人間の器で、特級を維持したまま殴られている。維持できる理由は1つしかない。器が保っているのではなく、外から掛かっている光が保っている。
天使の加護だ。
浴びた経験がある。前世で、天界の連中が最後に出してくる代物だ。あれは強い。ただ、本人の器を越えて注ぐので、注いだ側が止めないと止まらない。
止め方を、あの男が知っているようには見えなかった。
「兄さんね、勝つときに謝るの」
ユーリカが、布を握ったまま言った。
「昔から。試合でも、狩りでも。……1回だけ、謝らなかったことがある」
砂の上で、ジークハルトの剣が動いた。
速くない。人間の目に追える速さだ。だが、イルザの槍の内側へ入る角度が、最初から決まっている。相手がどう動いてもそこへ行く、という角度の入り方だった。
峰が、イルザの右の肩に落ちた。
槍を持つ側だ。
イルザは膝をついた。ついてから、左手で槍を拾い直そうとして、砂を掴んだ。右腕が上がらない。
「降参を」
「言うか」
「では、もう一度落とします。次は肩ではありません」
イルザは、左手で砂を握り、離した。
「……降参だ」
ジークハルトは、剣を鞘へ戻して、膝をついた。イルザと同じ高さまで下りて、頭を下げた。
「申し訳ありません」
客席が、そこで鳴った。
◇
——わたしは、兄が謝るのを、客席から数えていました。
11回です。今日だけで11回。
わたしが7つのとき、兄は村の外で狼を3頭斃しました。帰ってきて、母に、狼に謝ったと言いました。母はそれを笑いませんでした。父も笑いませんでした。村の誰も笑わなかったので、わたしも笑いませんでした。
隣に座っている男は、笑いませんでした。笑わずに、兄の右手を見ていました。
わたしは、兄の顔しか見ていませんでした。
砂の上で、ジークハルトが立ち上がった。
右手が震えていた。
剣を握っていた方だ。震えは指先からではなく、肘の内側から来ている。彼は左手でその手首を掴み、背中の後ろへ回した。客席からは見えない位置へ。
その手つきが、慣れていた。
控えの通路で、イルザと行き合った。
右腕を布で吊っている。自分でやったのだろう。結び目が片手で作れる形になっていた。
「見ていたな?」
「見てた」
「あれに勝てるか?」
「勝つ」
イルザは、俺の顔を正面から見た。83人殺した女の目は、思っていたより乾いていた。
「わたしは、あいつに5年勝てない。今日で6度目だ」
「6度やったのか?」
「次で7度目にする。お前が勝ったら、お前とやる」
彼女は、吊った腕を顎で示した。
「治せるか、これを」
「治せる」
「やめておけ。帝国の医者が3日かけて治す。3日ぶん、わたしは考える時間が要る」




