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第48話 殺せと言われてねえ

宰相府は、王宮の西棟の下にある。門で名を訊かれた。フィーネが大学の印を出そうとしたので、俺はそれを手で止めた。


「ゼノだ」


門番は、少し考えた。それから、名簿も見ずに扉を開けた。俺の名は、通した方が早い名になっていた。


3階の執務室は、半年前と同じだった。壁の3面が棚で、そこに紙が詰まっている。窓際に机がひとつ。窓は閉まっていた。


男は、立って待っていた。


「夜分に申し訳ございません」


先に言ったのは、ダリオンだった。


「今は昼だ」


「そうでございました」


男は、深く頭を下げた。半年前と、同じ角度だ。相手が誰でも、何をしに来ても、同じところまで頭を下げる。


「お掛けください」


「立っていていい」


「では、わたくしも立ちましょう」


半年で、ダリオンは少し痩せていた。


頬の下に影がある。髪は白いが、乱れていない。指は細く、爪が短く切り揃えてある。40年、紙をめくり続けた指だ。中指のペンだこは薄い。書くより読む方が長い。


香の匂いがした。シャルが3日残ると言った香だ。


「話は聞いたな?」


「半刻前に聞きました」


「なら早い」


「ゼノ殿。わたくしは、エリシア殿下には、指1本触れておりません」


俺は黙った。半年前、この部屋で俺は言った。エリシアに、次に手を出したら潰すと。ダリオンは、それを一度も破っていない。


破らずに、俺を殺しに来た。


「……俺の言い方が、狭かったな」


「息子か?」


「……はい」


「あれは、選ばれなかっただけだ。俺は何もしてねえ」


「存じております。ですから、これは私情でございます」


男は、窓の方へ半歩動いた。開けはしなかった。


「あの子は、わたくしに似ませんでした。器は、わたくしより上でございます。上級の火魔法を、17で。わたくしは生涯、初級のままでございました」


俺は何も言わなかった。ダリオンも、返事を待っていなかった。


「自分の力で、選ばれるはずでした。わたくしは何もしておりません。40年、誰かを前に立てて生きてまいりましたが、あれだけは——」


ダリオンは、そこで言葉を切った。窓の桟に指を掛けた。


「横線でございますよ」


声が、半音上がっていた。


「家名の無い者はそう書けと、20年前にわたくしが決めた、あの線でございます。わたくしが書かせた線の右に、あの子ではない名が——」


桟に掛けた指の関節が、白くなっていた。ダリオンは自分の声を聞いたらしかった。口を閉じて、桟から指を1本ずつ離した。


「……失礼を」


「それで、5年生かした女を殺す気になったのか」


ダリオンは、答えなかった。離した指を、見ていた。


「もうひとつ、ございます」


返事を待たずに、ダリオンは続けた。


「エルド殿下の件でございます。あれを崩した者が、貴方様であると、遅ればせながら気づきました。半年かかりました。気づいたときは……」


指を見ていた目が、窓の外へ行った。


「腹が立ちました」


言ってから、男は短く笑った。息が漏れただけの笑いだった。笑った自分に、ダリオンは驚いた顔をした。


    ◇


——わたくしは宰相府の記録係として、隣室で筆を執っておりました。


記録係は、閣下の面会をすべて書き留めます。40年、一度も欠けたことがございません。


その日の記録は、途中で切れております。理由を申し上げます。わたくしの手元の墨が、凍ったのでございます。


秋でございました。火は入れておりません。ですが、部屋が寒いという寒さではございませんでした。息が白くなり、硯の面に薄い膜が張り、指がペンから離れなくなりました。


隣室から、声は聞こえませんでした。物音も、ひとつも。


ダリオンの吐く息が、白かった。秋にしては冷える部屋だ。窓を閉めきっているせいだろう。


「半年前、あんたは言ったな。わたくしは、あと20年ここにおります、と」


男は、目を伏せた。


「……20年は、無理でございましょうな」


「あぁ」


俺は1歩、男に近づいた。半年前は、下がらなかった。今日は、下がった。半歩だけ。


自分でも気づいていない半歩だった。気づいた顔をしたのは、踵が壁に当たってからだ。


「殺すのは、簡単だ。あんたを殺して、屋敷を潰して、息子も、嫁いだ娘も、使用人も、一晩ずつやる。半年前にそう言った。あれは本当だ」


「息子は——」


男の声が、そこだけ高くなった。すぐに、元の高さへ戻った。


「……いえ。存じております」


「だが、やらねえ」


ダリオンが、顔を上げた。安堵ではない。理解できないものを見た顔だ。


「……なぜでございますか」


「殺せと、言われてねえからだ」


俺は掌を上げた。1枚。2枚。3枚。影が、床の四隅(よすみ)から立ち上がった。影糸(えいし)。


糸は、男の身体には触れなかった。


部屋の壁を這って、棚の隙間を通って、窓の桟を回って、扉の枠に絡んだ。《《この部屋そのもの》》を縛った。


「動くな。動くと、部屋が動く」


「……承知いたしました」


「あんたの処分は、俺が決めねえ」


男は、糸の絡んだ扉の枠に目をやった。それから、まるで書類の1行を読み上げるように言った。


「では、どなたが」


「あんたが40年、王座から遠ざけようとした娘だ」

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