↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/300

第44話 奇遇だな

掛け金は、内側から指で押し上げられていた。この部屋には昼のうちから誰かが入っていて、帰るときに窓を開けられるようにしておいたということだ。


俺は動かなかった。動けば、相手は入るのをやめる。


四半刻ほど、樋の音を聞いていた。


47滴目で、窓が開いた。


風は入ってこなかった。開いた分だけ、外の冷気が床を這ってきた。石の冷たさが、素足の踵(かかと)に届く。


人が入ってきた。


音がしない。衣擦(きぬず)れも、着地の音も、呼吸も無い。3階だ。壁を登ってきたことになる。


そいつは床に降りて、まっすぐベッドへ来た。迷いがひとつも無い。昼のうちに、この部屋の家具の位置を全部覚えている者の歩き方だ。


枕元で止まった。


腕が上がる気配。


俺は起きた。


刃は喉(のど)の3寸手前で止まった。止めたのは相手ではない。《《俺の指だ》》。刃の腹を、親指と人差し指で挟んでいる。


「昼にも来たな。窓の掛け金を上げたのは、あんただ」


返事は無かった。


代わりに、左手が動いた。2本目だ。今度は脇腹を狙ってくる。俺は身体をずらさなかった。その必要がない。刃は肋に当たって、そこで止まった。


布が裂ける音がした。皮膚は裂けなかった。


「硬えだろう」


「……はい」


初めて声が出た。小さい。押し殺した声だ。声を出さない訓練を受けた者の、喉の使い方だ。


「なら次だ。3本目は」


「腿に」


「言うのか」


「訊かれましたので」


3本目が来た。


腿に当たって、折れた。


俺は火を1つ、頭の上に浮かべた。


部屋が明るくなった。


娘だった。


黒い髪を、耳の高さで短く切り揃えている。切り口が真横に一直線だ。自分で切ったのではない。誰かが、掴まれないためだけに切っている。前髪が汗で額に貼りついていた。


身体は薄い。胸も肩も薄いのに、脹脛(ふくらはぎ)だけが張っている。腿ではなく脹脛だ。走る脚ではなく、登る脚だった。前腕も細いが、指の付け根の内側だけが厚い。庇の縁を掴んで体重を支える指だ。


確かめながら動くのでも、夢中で動くのでもない。決めた通りに動いて、通らなければ次へ行く。稽古ではなく、実地で身につけた手順の踏み方だった。


その手が、4本目を抜いた。


「もう無えだろう」


「あります」


「何本だ」


「7本です」


「律儀だな」


    ◇


——わたしは、ゼノ様の部屋の扉の外にいました。


音が一切しませんでした。部屋の前は、わたしの持ち場です。20年、扉の外で気配を読んで生きてきました。それが、聞こえませんでした。


聞こえたのは、鉄が折れる音だけです。3つ。


扉を開けたとき、床に短刀が4本。うち3本が折れています。3本とも、刃の途中から折れていました。人の身体に当たって折れる刃を、わたしは見たことがありません。


ゼノ様は、ベッドの上で身を起こしただけでいらっしゃいました。


わたしの手は、剣の柄に届いていませんでした。扉の把手を握ったまま、握っていることを忘れていました。


「リィナ、下がってろ」


「下がりません」


リィナは扉を背中で閉めて、内側に残った。今度は、剣の柄に手を掛けていた。


「……7本目まで付き合う」


娘は、5本目で床を蹴った。天井へ跳んだ。梁を蹴って、上から落ちてくる。刺すのではなく、体重を全部乗せて押し込む型だ。喉を狙っていた。


その型は、俺の知っているものだった。


この夏、街道でエリシアを囲んだ12人のうちの1人が、同じ落ち方をした。


「なるほどな」


俺は掌を上げた。


1枚。2枚。


影が、床から立ち上がった。


影糸(えいし)。


娘は空中で止まった。糸が四肢に絡んで、そのまま宙に吊られている。


暴れなかった。暴れても無駄だと、一瞬で判断していた。


「6本目は」


俺は訊いた。


「口の中です」


「毒か」


娘は、顎を引いた。


「噛むな!」


「……」


「噛んだら、あんたの雇い主が誰か分からなくなる」


娘の目が、初めて動いた。


「そうなったら、俺は王都の宰相府を端から潰す。宰相の一族から始めて、屋敷の使用人、出入りの商人、その家族。全部やれば、その中に必ず正解が入る」


俺は火を、彼女の顔の高さまで下ろした。


「噛め」


娘は、噛まなかった。


代わりに、口を開けて、舌の下の小さな包みを吐き出した。糸の上から落ちて、床で転がった。


「なぜ吐いた」


「……関係のない者が、死にますので」


「あんたは人殺しだろう」


「はい」


「なら、なぜ気にする?」


娘は答えなかった。


俺は影糸を緩めて、彼女を床に下ろした。膝が抜けて、そこに座り込んだ。土のついた素足が、絨毯の上に2つ並んだ。


「名前は」


「シャル」


「家名は」


「ありません」


俺は少し、笑った。


「奇遇だな」


「なぜ、殺しに来た?」


娘は、床を見た。


それから、顔を上げないまま言った。


「母が、いるので」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。