第38話 潰す、の中身
フィーネは机の上の束を横へ寄せた。その角を、指で揃え直した。
「膿を潰すだけであれば、腕の立つ者を雇えば済みますわ。対抗戦は、ヴァリス王国の名で出ます。勝てば、この国の威光に。負ければ……。——ゼノは、国の名を背負って戦ったことが、ありますか」
「無い。あんたの国の旗にも、何の興味も無い」
「知っていますわ。ですので、それが見たいのです」
(……ふん)
俺は椅子の背にもたれた。1つの試験で、2つ測っている。膿を潰せるかどうかと、他人の旗を背負って立てるかどうかだ。
18だと言った。他人を測る言葉をこれだけ持っている人間を、俺は3人しか知らない。1人は王女で、1人は宰相で、1人はベッドの上の王だ。全員、俺より年上だった。
「受ける。ただ、潰す、の中身は先に言っておく」
フィーネが、少し目を開いた。
「俺が前世で——いや、昔やってたやり方だと、家ごとだ。当人を消して、その血を順番に回る。王都から始めて、領地、嫁いだ娘、その家の使用人まで。坊ちゃんも入る」
「駄目です」
速かった。フィーネの声が、書庫の天井に一度当たって戻ってきた。娘は自分でその音に驚いたらしく、机の縁に置いていた指を引っ込めた。
「……息子は、何も。ヴィント・ダリオンは、毎晩、塔の裏で——」
そこで止まって、口を開いて、また閉じた。
「親父の名で、1行目に書かれてる男だぞ」
「それは、本人が書いたのでは——」
フィーネは、息を吸い直した。それでも、次の言葉が出てこなかった。机の下で、靴が石の床を擦る音がした。
「……要りません。息子は残してください。家も、そう決めています」
「じゃあ、坊ちゃんは残す。潰し方も、あんたに訊いてから決める」
「……よろしいのですか」
「よくはねえ」
娘は、机の上で指を揃えて、深く頭を下げた。上げるまでが、いつもより長かった。
◇
——その夜のことを、わたしはグレイシスの家へ書き送りました。
上級の階位のことも、闇の陣のことも、噂のことも、手は止まらずに書けました。止まったのは、息子の件を書くところです。
家ごとだ、とあの人は言いました。わたしは、要りません、と答えました。家で決めてあった答えです。そのとおりに書けば、それで足ります。
書庫の天井に当たって戻ってきた自分の声が、まだ耳の奥に残っていました。あんな声の出し方を、わたしは家で習っていません。
書き損じた紙を3枚丸めて、4枚目に「要らぬと答えた」とだけ書きました。丸めた3枚は、朝まで袖に入れておきました。
選抜まで、20日あった。俺のやることは、何も変わらなかった。朝は寮の裏の空き地。昼は講義。夜は窓辺で脚を組んで、器の縁を内側から押し広げる。
変わったのは、空き地の人数だった。
20人を越えたあたりで、リィナが困った顔をするようになった。
「ゼノ」
「どうした?」
「……多すぎます」
「教えられねえか?」
「教えられます。ですが、1人ずつ手を取っていますと、日が暮れます」
俺は空き地を見た。20人が、木刀を振っている。揃ってはいない。だが全員が同じ型をやろうとしている。
「上手い順に5人選べ。その5人に、あんたが教える。あとは、下へ回っていく」
「え」
彼女は、目を丸くした。
「わたしが、直接見ませんと」
「見なくていい。あんたは3年かけて型を1つ覚えた。20人を1人で見たら、また3年だ」
「……わたしが遅いと、仰りたいのですか」
「そうは言ってねえ」
「仰いました」
リィナは、握っていた木刀の先で、足元の土を一度突いた。
「3年かかったのは、わたしのせいではありません」
何が気に障ったのか、俺には分からなかった。3年は3年だ。
「5人が15人を見れば、3年が1年になる」
リィナは返事をしなかった。空き地の20人の方へ歩いていって、5人の名を、いつもより大きな声で呼んだ。
(……王都の壁だな)
1人じゃ積めねえ。何万人かが、何十年もかけて積んだから、あそこにある。俺はあの壁を見たとき「そういう手があったのか」と思った。だが、やってはいなかった。あの穴で、俺は誰にも教わらずに特級まで来た。積むのは1人でできると、ずっと思っていた。
トバイアスは、その5人に入らなかった。木刀の持ち方こそ直ったが、それ以上は何も進んでいない。代わりに、夜になると俺の部屋へ来るようになった。羽根ペンを3本と、獣皮の紙を抱えて。
「ゼノさん」
「どうした?」
「3枚目が、回りきる前に落ちます」
俺は紙を見た。書かれた陣は、丁寧だった。丁寧すぎた。
「あんた、2枚目を完璧に組んでから3枚目を置いてるだろ」
「……そうです。順番に組まないと」
「順番じゃねえ。上級は、3枚同時に立ち上がる。2枚が固まってから3枚目を載せると、載せた瞬間に下の2枚が仕事を終えてる」
男は、手の中の羽根ペンを見下ろした。
「……それは」
男は、それを握り直した。
「どの本にも、書いてありません」
「だろうな。書ける奴が、この界にいねえ」
トバイアスは、その夜、俺の部屋で400回組んだ。4001回目から、4400回目までだ。朝方、400回目でようやく上級魔法の陣が回りきった。男は、羽根ペンを落とした。それから、床に手をついて泣いた。
俺は、それを椅子から眺めていた。泣いている人間に何をするものなのか、俺は知らない。床に転がった羽根ペンを拾って、机に置いた。それしか思いつかなかった。
「届いたな」
トバイアスは、置かれたペンを見もしないで泣いていた。
俺は窓の外を見た。夜が明けかけていた。
選抜まで、あと11日だった。




