↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/300

第37話 懐刀の娘

その夜、俺は降臨学の書庫へ降りた。地下1階。灯りが2つ灯っている。娘は長机の前に座って、束を積んでいた。俺が入ると、立ち上がった。そして、前掛けを外した。



下に着ていたのは、絹だった。染めていない。飾りも無い。だが、あの布は俺が半年で嫌というほど見た。王宮の西棟で、上等な布なのに目立つ色を使わない男が着ていたのと、同じ質のものだ。


「ゼノ。先日、わたしがお渡しした束を、お調べになりましたね」


「調べた」


「4枚目から、目録印がありません」


「無かった」


「では、話が——」



娘は言葉を切って、両手を前で揃えた。指を一度ほどいて、また揃えた。それから、深く頭を下げた。地下の階段で見たのと同じ角度だった。今日は、その角度が正しく見えた。


「わたしは——フィーネと申します。グレイシス家の者です」



俺は、その家名を頭の中で探した。王宮で仕入れた記憶の中にも、この半年で聞いた名の中にも、無い。


「知らねえ家だ」


「知られていません。表には出てきませんし、名を口にすることも憚られる家ですの」



(——おい)


俺は、その言い回しを知っていた。あの村の夜だ。麦のパンをちぎりながら、エリシアが言った。


——この国には、代々王の傍に仕える家がございます。表には出てまいりません。名を口にすることも憚られる家です。



「懐刀か」


「そう呼ぶ者もいます。エリシア殿下を推したのは、わたしの家です」



俺は長机の椅子を引いて座り、フィーネを見上げた。



王女を選んだ家。表に出ない家。名を口にすることも憚られる家。その家の者が、3年、灰色の前掛けをつけて書庫の埃を数えている。


「3年、見習いをやってたのは」


「大学に人を置くと決めたのが、3年前です」


「誰を見るために?」


「決めていませんでした。置いてから、見るべき者が現れるまで待ちます。それが家の流儀です」



(……ふん)


網を張って待つ。俺があの穴でやっていたことだ。餌を待つ蜘蛛の生き方。かつての俺が最も嫌った戦い方で、今の俺には嫌う資格が無い。この家は、それを300年やっている。



「それで、用件は」


「ええ」


フィーネは、机の向こうに座った。


「ゼノ。お願いがありますの」


「聞こう」


「この国の膿となっている勢力を、潰していただきたいのです」



俺は、その言い方を待っていた。


「誰だ」


「言いませんわ」


「なぜだ」


「名を言えば、ゼノは明日にでも殺しに行きます。殺されては、困ります」



「殺すのか」


「そこは、まだ決めていません。潰していただきたい、と言いました。潰すの中身は、そのときに詰めますわ。——あの者は今、何もしていません。何もしていない者を殺せば、それはただの人殺しです」


「俺は人殺しだ」


「ええ」


フィーネは頷いた。


「ですが、わたしの家は、人殺しを雇う家では……」


そこで一度、唇を閉じた。


「……ありません。膿を出す家です。そう、教わってきました」



(——ほう)


俺は、机の向こうを見た。


「じゃあ、どうする?」


「待ちます」


「何を」


「あの者が、自分から手を出すのを」



フィーネは、机の上で指を1本立てた。


「学内選抜の結果が出た日です」



(……待て)


俺が2行目を書かなければ、選抜は無かった。1行目の男が、黙って代表になるだけだ。


「あんた、俺が書くのを待ってたのか」


「……書くとは、思っていました」


「レントの束を持ってきたのも、写しを明日へ延ばしたのも」


「束は、ゼノが探していたからです」


フィーネの声が、そこで速くなった。


「写しに日がかかったのも、本当です。4枚目から先は字が掠れていて、わたしは、嘘は——」


言いかけて、止めた。机の上で揃えていた指を握った。


「……書かせた、とは違います」



俺はそれには答えずに、次を訊いた。


「その膿ってのは、坊ちゃんの親父か」



フィーネは、答えなかった。握った指をほどかないまま、まっすぐ俺を見ていた。



(……ああ、そうかよ)


黙り方が、宰相と同じだった。



「言っておくが、俺は宰相に、一度だけ警告してる。次に王女に手を出したら潰す、と。宰相はそれを守った。守ったまま、エルドを潰した」


「知っています」


「守られると、こっちは動けねえ」


「ええ。ですので、今度は、あちらからゼノに手を出させますわ」



俺は、腹の底で笑った。



「クク……」



「あんた、いくつだ」


「18です」


「そうか。あんたの家は、質が悪いな」


フィーネは何か言いかけて、やめた。組んだ指の、親指だけが動いた。



「報酬を聞いてない。俺が動く理由が、まだひとつも出てねえ」


「えぇ……それは——」


フィーネは、束の上に手を置いて、それからどけた。


「空間魔法に詳しい一族の……居場所を、お教えできます」



俺は、椅子から背を離した。



「……もう一度」


「空間魔法に詳しい一族がいます。レントが会った者と、同じ血です。名も、国も、今は言いません。ですが、生きています」


「使えるのか」


「使えます」



俺は、机の縁を握り、それから力を抜いた。木が凹むところだった。



300年前に、レントは1人に会った。名を告げず、住まいを告げず、書き残すことを禁じた男に。


書物はそこで終わっていた。この先は人に在る、とレントは書いた。


その人が、まだいる。



「なぜ、あんたがそれを持ってる?」


「わたしの家は、王を選ぶ家です。選ぶには、この国に無いものまで知っておかないと……300年、そればかりです」



俺は、机の上の束に目を落とした。



王家の書庫は空だった。この大学は問いを作っていなかった。300年前の男は、答えに触れて書かなかった。その全部の裏側に、表に出ない家が1つ座っていて、300年ぶんの控えを取っていた。



(……底が見えねえ)



「ひとつ、条件があります。膿を潰していただく前に、試験があります」


「試験」


「ええ。学内選抜で代表になり、五大国の対抗戦で優勝していただきます」



「なぜだ。膿と関係ねえだろ」


「ありませんわ。関係が無いから、試験になりますの」



(……食えねえ家だ)


エリシアを推した家だ。血でも年でもなく、資質で選んだ。その結果、王女は兄に殺されかけて、辺境の岩場まで逃げた。この家は、人を選んで、選んだ人間を危ない場所へ立たせる。


そして、それを悪いことだと思っていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。